仲正昌樹(第1回)

「毒者」は何を求めているのか

 人文系の本を書いていて一番イヤなことは、ネット上で、想定外にひどい「毒者」に出くわすことである。「毒者」というのは言うまでもなく、ちゃんと読んでいないのに、その本の著者をバカに見せようとして、様々な誹謗中傷をブログやツィッターで——多くの場合、匿名で——書き散らし、それに同意する者が一人でも出てくると、有頂天になり、論客ぶった物言いを始めようとする、どうしようもない輩である。
 あまりにも目にあまるので、「書いてないことを書いてあるかのようにでっちあげて、誹謗するのはやめてもらいたい」、と抗議すると、「知識人は、(誹謗中傷を含めて)あらゆる批判を受け入れる義務がある」とか、「言論弾圧だ!」とか、「あなたが世間知らずで人格破綻者であることが判明した。私の言った通りだ」、とか、無茶苦茶なことを言って、更に騒ぐ——“論客”のやることか!多分、臆病さと、相手してもらった嬉しさが入り混じった、原始的な反応なのだろう。
 この手の毒者の吠え方は、いくつかのお決まりのパターンがある
① 著者の人格を勝手に想像し、「どうしてこんなに人格が歪んでしまったのか」、と悪気なさそうにツブヤク、
② 自分なりの妙な“現実”観に基づいて、「現実を見ていない!」と、知識人批判もどきをする、
③ 自分が“尊敬”する他の知識人と——ほとんど争点がないのに——無理やり比較して、「こいつはダメ!」だと断ずる、
④ 自分の中で“定説化”している“学問の常識”に照らして、ニセ学者呼ばわりする。
 ある特定の学者・知識人のファンを自称している人間には、この四つの全てに当てはまりそうなのが少なくない。最近の私の経験からすると、「ハンナ・アーレント通」がひどい。アーレントには、「マイノリティとしての苦しみに耐え続けた人」というイメージがあるので、そういう餌に虫が引き寄せられるのだろう。純粋に“素人”だけならまだいいが、“プロ”になりかけている連中も結構いるので、イヤになる。
 今ちょうど、アーレントについての短い論文を書いているし、アーレントに関する仕事を企画している。だから、ひどく憂鬱である。