たけもとのぶひろ(第1回)

2012 年9月30日(日曜日、台風)

 明月堂の末井さんは、ぼくの最初のエッセー集『泪の旅人─ならず者出獄後記』の出版を、企画の段階から手がけて世に問うてくださった、ありがたい友人です。その末井さんから提案がありました。会社のブログを始めるが、参加しないか、と。
 まずは躊躇しました。出版社のブログで文章を書こうとして書けなかった“挫折の前科”があるからです。別の友人であるバジリコの長廻健太郎社長からの誘いで、ブログに挑戦しようとして果たせなかった苦い経験が、それです。今にして思うと、自分を語っていない、いわゆる評論でしかないような文章を書いていたからだと思います。彼は満足しませんでした。その不満をぼく流に書くと、つまるところ、こういうことだと思います。
「ちがうやろ。ナマの自分を出して書いてほしいのや。いつも喋っているように、ナマのままを書いたら、もっとおもしろくなるはずやないか」
 ホリエモンとか村上ナニガシとかオリックスの宮内とかでマスコミが大騒ぎしていた頃ですから、ひと昔前の話です。ぼくはバジリコのブログで彼ら「について」 書いたのでした。
 百も二百もある評論のあとに「一」 を加えてどうするのか、と彼は言いたかったのではないでしょうか。というわけで、彼の期待に応えることができず、早々と撤退せざるをえませんでした。我侭を通させてもらったということです。
ぼくはこの年になるまで、本を読んで字を書いて、という生活をしてきました。本を読むこと、字を書くことは、ものを考えることにつながる、少なくともそのプロセスの一部だと思うのです。そういうプロセスをうろうろと行きつ戻りつすること自体が、ぼくにはとてもおもしろいわけです。それだけなら、人畜無害なご趣味でケッコウですね、とお褒めいただいて、この話はひとまず落着するのですが、難儀なのはそこで終わりにならないところにあります。
 いわゆる言論の、茫然自失するほど無限の選択肢の中から、いくつかを選んで検討しているのにすぎないにしても、それらの中には賛同するものもあれば否定しないではいられないものがあって当たり前です。となると、それらについて賛否を表現しないではおれない思いや考えが生まれます。そして自分の中のその流れに身を任せてゆくと、どうなるか。
 相手が論文や言説の類いですから、こちらも自ずとその種のものになってしまいがちです。そんなもの、おもしろいはずがありません。書いている本人の僕がおもしろくないものを、おもしろく読んでもらえるわけがありません。
 こうなってしまっては“挫折の再犯”になってしまうのですよね。対象とする書物なり文章に引っ張られてしまうと、おもしろくない。紹介とか解説ではなく、自分を語るスタイルが要求されているのでありましょう。自分を語るためには、他者の言説や文章であっても、自分にとって関心のあるほんの一部に触発されただけでもうんぬんできる、そういう度胸なり腕力がないとうまくいかないのかもしれません。その流儀でやらないと、自分を見つけ出してくり広げることなど、そもそもできないのでありましょう。
 たとえば昔のマルクス学者なら、マルクスの書いていることをどうのこうのと紹介し、それについてどうしたこうしたとコメン卜しておればよかったのでしょうが、その種の解釈学はもはや許されなくなっています。問われているのは、他の学者の言説についてではなくて、論ずる自分自身の中に何があるか、何が生まれようとしているか、なのではないでしょうか。
 ことに触れ、自分の中に浮かんでは消え、消えでは浮かんでくる思念を、浮かび来るその時・その場で掬い上げて、叙述する──そういうふうにできないものか。すでに確立された言説のテキスト・クリティークではなくて、絶えず変化して止まない思いがたどる道筋を、あたかも追いかけるようにして記録する。そういうことはできないのか。
 できるだけ自分に引き寄せて叙述する。できるだけ自分に個有のものを見つけ出し、引き出しつつ叙述する。それら、自分の中で生まれてくる様々な思いをつなげていくように心がけて叙述する。さらに言えば、自分の中で生きているいろんな人たちの思いが、自分を通って出てくるように叙述する。
 そういうふうに考え、そういうふうに叙述してゆくことができれば、たとえ論であるうが説であるうが、表現できるのではないでしょうか。できるはずだと思うのです。だって、表現するのは他人の思考・言説ではなくて、自分自身のソレのはずなのですから。
 自分を叙述する、表現する、と書きました。まるで自分さえあれば万事OK みたいな話ですけれど、その肝心の自分を在らしめること自体が容易ではありません,どうも人間というものは、そういうふうに安直にできていないようです。自己表現という行為は、他者の存在があってはじめて成り立つ。他者というものの存在それ自体がイメージできないとなれば、表現という行為は成立できなくなってしまう。同じことを逆に言えば、ひょっとして誰か読んでくれる人がいるかもしれないという可能性に、一縷の希みを抱くことさえできれば、表現という行為は十分成立するだと思うのです。
 上記のようにぼくは、ブログ挫折前科一犯の身です。にもかかわらず、性懲りもなく、末井さんの誘いに乗ろうとしています。身の程知らずの誹りを免れますまい。それでもやってみようと思うに至ったのは、上述の“一縷の希み”に加えて、それとは別に思うところがあってのことです。ニつあります。
 ひとつは悩みです。文章を書くときのぼくは、なんとしても書かなければ、との思いに圧されでしまうのでしょう、どうしても身構えてしまうのです。これは実に困ったものです。で、いつも自分に言い聞かせています。“なにピピってるねん。 そんなにこわばっていてどうするのや、そんなにこちこちになって気張っていたら書けるものも書けへんやないか、そもそも構えるからあかんのや、もっと楽にして柔らかな気分にならんとあかんやないか”などと。要するに、もう少し自然体で書きたいのにできない、それが悩みです。もしも、巧まずして自ずと出てくる字をそのまま書き写すように書くことができたら、それに勝る喜び、幸せはないとさえ思われるのです。
 『言うは易く行うは難し』との先人の言葉は、もちるん承知しています。その上で挑戦してみたいのです。
 もうひとつは、ぼくの気持ちの問題です。ぼくは3 か月ほど前に、東京の事務所を京都へ移しました。下宿も引き払って、京都の自宅に帰りました。いくら事務所を畳まずに仕事をやるんだと言い張ってみても、今日の経済情勢では、そうそう仕事にありつけるものではありません。おまけに仕事が映像制作なので、もともと東京以外で成り立つような仕事ではありません。ですから、事務所を京都で再開するなんて、できる相談ではないし、あきれてものが言えないような話ではあるのです。
 そうした状況ではありますが、ともかく東京を離れることにしました。新幹線で2 時間余りの東京が、物理的な時間で言えぽほとんど手の届く範囲にあるにもかかわらず、心を隔てる距離としてははるか彼方に遠ざかってしまいます。このままの流れでいくと、これまでの友だちの縁まで切れてしまうのではないか、とぼくは心配です。ぼくのこの心配を、末井さんも心配しでくださったのではないか。このたびのプログという表現の場へのお誘いが、それではないのか。そんなふうに感じました。そこへと思いが至ると、ここはどうしても、友情というかご好意というか、とにかく末井さんの気持ちに応えたい、という気持ちになったのです。
 初っ端から、えらい改まった話になってしました。ぼくの今の気持ちのままを書かせていただきました。ご寛恕ください。ぼくの願いが少しでも反映できるブログにしたいと願っています。

takemoto1