読まないで“書評”したつもりになっているアマゾンの狂人

仲正昌樹
[第9回]
2014年6月2日

 アマゾン・レビューなどの書評サイトに、その本をほとんど読まないまま、あるいは、ひどい誤読をして“書評”もどきを書いて悦に入っている輩の存在については、散々いろんなところで書いてきたが、久しぶりにひどいのに出くわした。最近新潮選書の一冊として刊行された、私の『精神論ぬきの保守主義』に対して、アマゾン・レビューで、「太郎」というハンドルネームのバカが付けた、書評もどきのことである。

「精神論ぬきの保守主義」

『精神論ぬきの保守主義』(新潮選書)

 私にいいがかりを付けたがる奴は、基本的にはサヨクが多いのだが、この本はタイトルに「保守」と入っているせいか、「太郎」はウヨク系のようである。正式の販売日当日に投稿されたものである。つまり、たとえ実際に眼にした後で書いたとしても、落ち着いて読む時間はなかったと考えられる。これほど焦って投稿するのは、熱心な読者か、著者をけなしたくして仕方のないクズか、どちらかだが、太郎は当然後者である。5点満点中の2点という低い評価である。一見しただけで、ほとんど読まないまま、妄想で難癖を付けていることが分かる。以下がその全文である。

「本書は、ヒュームからハイエクまでの計6人の思想家の簡単な解説と、筆者の9条論で構成されている。
入門書としてはいいかもしれないが、1~10まであるとして本書では1~3程度しか解説していないので、あまり深い内容は期待しないほうがいい(この点に関しては筆者も認めている)。
9条に関しては、「今まで曖昧なままでうまく行ってきたのだから、今さら憲法改正なんかしなくていい」というのが筆者の考え。著者は安全保障や国防の専門家でなく、その手の問題に関して見識を期待する方が野暮な話かもしれないが、実際は、現憲法のおかげででうまく行っていたのではなく、冷戦が本当の戦争にならなかったから現憲法の不備が露呈しなかっただけだと言っておく。
自衛隊の海外派遣が本来任務となり、南西諸島をめぐる日中間の対立が緊張感を増している状況を見るに、「今まで何も問題がなかったから今のままでいい」という考えが通用しないことを肝に銘じるべきだろう。 」

 先ず、「1~10まであるとして本書では1~3程度しか」というのは、どういう基準で言っているのか?これは、「10」までを知っていないとできないはずの発言である。このアホは、六人の思想家の思想の全てを、それぞれについての研究成果を含めて知りつくしているつもりなのだろうか?真面目に思想史を勉強している人間であれば、●●の本はこの思想家について三〇%くらいまでしか語っていない、いや七〇%くらいは語っている、などと、アバウトな数字を挙げたりしない。何がその人物の思想のエッセンスで、それをどう記述したらいいかについて、常に論争の余地があるからだ。
 私はこの本を「入門書」として書いたが、ある程度専門的な知識がある人間が読めば、私独特の見方が随所に入っていることが分かるはずだ。それらの中には、本当に専門的な研究家からは異論がある部分もあるだろう。太郎には、そういう要素を読み取れる意志も能力もないのだろう。
 10の内の1~3程度と言い切ってしまうこと自体が、単に読んでないだけでなく、学問的素養がないことを自白しているようなものである。学問を、知識の量の話にしようとするのは、何年経っても受験コンプレックスから解放されてない、バカの発想である。受験であれば、百点満点取るための知識の何%、とかいう話が出てきても不思議はないが、学問はそういうものではない。太郎は、その最も肝心なことを大学で学ぶ機会を持たなかったのだろう。哀れな奴なのかもしれない。
 バカの太郎は、「1~3程度」しか書いてないことについて、「この点に関しては筆者も認めている」などと言っているが、当然、そんなことを私が書くはずがない。強いて言えば、この本が「入門書」だということを明記しているくらいである。私はこの手の入門書を書く時には、読者はこれで分かった気にならないで、翻訳でもいいから、自分でこれらの思想家の原典に当たるべきである、ということを注記するようにしている。入門書の著者が、そうした当然の注意を促すのはよくあることだ。太郎は、私が別の本の後書きなどでそういうことを書いていたのをうろ覚えで記憶していたか、伝聞で聞いていて、その意図を曲解したのかもしれない。だとしても、「1~3」などと断ずるのは非常識である。「粗品ですが~」、と差し出されたプレゼントに対して、「何だ粗品なのか」とコメントするようなものである。太郎は、相当に人格が歪んでいて、他人の言葉尻を曲解して難癖をつける習性を持っているのか、あまりにも学力が低くくて、本を読む時の常識を弁えていないかのどちらかである。
 他の人の本に対する太郎のレビューをいくつかを見てみたが、こいつには、ほとんど読まないまま、前書きとか後書き、著者のプロフィールの印象だけで決めつけ、難癖を付ける傾向があるようだ――やや雑な推測だが、この手の無礼な奴は、多少ぞんざいに扱ってもかまわないだろう。私の本をほとんど読んでないことは、「筆者の9条論で構成されている」という言い方から分かる。九条について書いているのは、全体の要約と、それを日本の現状にどう繋げて考えるべきか論じた、「終章」のごく一部である。分量としては、終章全体の五分の一にもならないくらいである。終章では他に、大学の自治とか、自民党の憲法改正案の他の部分、明治以降の日本の思想史などについても述べている。恐らく、最後の方だけ見て、「九条」という言葉に脊髄反射して、分かったつもりになったのだろう。
 そのごく短い“九条論”さえも、まともに読めてない。「今まで曖昧なままでうまく行ってきたのだから、今さら憲法改正なんかしなくていい」、などとは言っていない。曖昧だから改正しようと即断するのが保守の発想だろうか、とバジョット等の視点から疑問を呈しただけである。そのうえで、憲法の文言と、戦略的対応を直結させる必要があるか、冷静に考えてみようと問題提起しているのである。その程度の読解力もない、あるいはそれを身につけようとしもない奴が、論客ぶって、私に外交政策を教えようというのであるから、あきれ返る。私は外交政策の専門家ではないが、近代史についてはそれなりに勉強していて、論文を書いたこともある。その関係で安全保障についても学んでいるので、受験コンプレックス・バカに教えてもらう必要などない。まともな学者であれば、自分の直接の専門分野でなかったら、いろいろと専門家の意見が分かれている問題について発言することを控えるものである。太郎には、そういう常識さえ通じないのだろう。
 言わずもがなだが、「実際は、現憲法のおかげででうまく行っていた」、などと言っていない――日本語も少しヘン。憲法の文言で全てが決まるとは限らない、と示唆している私がそういうことを言うはずがない。当然、「今まで何も問題がなかったから今のままでいい」、などと結論付けるはずもない。この場合の「憲法」というのが、憲法典のことではなくて、広い意味での国家の構成(constitution)を指しているのであれば、全くの見当外れとは言えないが、太郎にはそういう違いを理解する能力はないだろう。
 あと、外交問題の専門家でない私にとっては本来管轄外のテーマだが、「冷戦が本当の戦争にならなかったから現憲法の不備が露呈しなかっただけ」、というのは、何を言いたいのだろうか?冷戦時代に、アメリカやソ連が関与した戦争が何度も起っていることを知らないのだろうか?米ソ直接の全面戦争は起らなかったと言いたいのかもしれないが、それが起こったとしたら、どういう風に事態が進行して、日本の九条の問題が表面化したはず、と想像しているのだろうか?何年頃、どの地域でのどういう形態の紛争が全面戦争へと発展したのか、その時米ソの軍事力、勢力圏はどういうバランスになっていたのか、日本の周辺諸国はどういう軍事・外交体制だったのか、といった様々な要因によって、状況は異なってくる。そういうことを考えないで、安易に「冷戦」のことを分かっているかのような物言いをしたがるのは、何も分かっていない証拠である。
 ついで言っておくと、「自衛隊の海外派遣が本来任務とな」ったのは、いつのことだろうか?海外派遣が本来任務になるように自衛隊法が改正されたわけではないし、自民党のタカ派と思われている人たちさえ、「海外派遣を本来任務にする」とは現時点では言っていない。更に言えば、「南西諸島をめぐる日中間の対立」とは何を指しているのか。多分、いくつかの諸島がごっちゃになっているのだろうが、その程度の理解力のくせに、よく国防を論じるつもりになれたものである。私はそれほど強い愛国心を持っているわけではないが、こういう学力の低い似非愛国者を生み出し、のさばらせている日本の教育システムはこのままでいいのか、と心配になってくる。
 この本をめぐる、別件のバカのことにも言及しておこう。この本が刊行された二日後くらいに、評論家の池田信夫が、言論プラットフォーム・アゴラに、「日本には保守すべき伝統がない」というタイトルの書評を掲載した。タイトルは私の主張からずれているし、入門書なのであまり深い内容はないという趣旨の失礼なコメントも付いていたが、全体としては関心を持ってくれているようなトーンだったので、まあいいか、と思っていた。
 そう思っていたのだが、この書評記事に対するツイッター上のリアクションの中に、「後期スコラ派」というハンドルネームを付けているやつ――学術的な感じのハンドルネームを付けているが、実際には、アニメに関する、オタクっぽいツイートがほとんど――による、「池田も仲正もここまでバカだったのか――唖然!」という書き込みがあるのを目にしてしまって、不快になった。この一言だけなので、このアホがどういう思想を持っているのか具体的に分からないが、確実なのは、こいつが、実物を読みもしないで、ネット上の伝聞だけで、私が「日本には保守すべき伝統がない」、と言っているものと思い込んでしまったことである。
 こういう連中の頭の中では、情報がショートして、適当な話ができあがってしまうのだろう。アニメのストーリーを二次創作するのは勝手だが、現実に存在する人間の発言を二次創作ででっちあげて、ツイッターで流布されたら、ひどく迷惑である。そういう常識さえ弁えないまま、雰囲気で右っぽいことを言いたがるクズを、ネットウヨクと言うのだろう。