仲正昌樹さんの見解

 仲正昌樹です。
 これまで明月堂書店から出している拙著などで、繰りかえし述べてきたように、私は、ツイッターで多くのRTを集めさえすれば、自分たちの言い分が正しいと思い込んでしまうような連中は、相手にする価値がないと思っているので、デマ情報に対して個別に反論するつもりはありません——オバカさんのサンプルとして使わせてもらうことはあるかもしれませんが。ただ明月堂書店のブログの突然の閉鎖というやや異例の事態になったので、今回のような件についての基本的立場を改めて表明しておきます。

①他人の本や文章を論評する際に、いかなる基準による判断か示すことなく、いきなり「無駄な記述が多い」などと断じるのは、その著者の人格を根本から否定する行為である。真摯な読者であれば、自分には無駄でも、「著者も何か考えたうえで書いたことであろう」と一応推定してから、話を始めるはずである。書き方がほぼ決まっていて、その基準が広く共有されているようなジャンルの著作であれば、例外扱いしてよいかもしれないが、今回の件で問題になった私の著作は、それに当てはまるとも考えられない。こうしたことを理解できない人間、軽くしか受け止められない人間と、著者としての私が対話することは不可能である。

②上記①のようなことは、研究者やプロの評論家、あるいは、それを目指す人間は、基本的なマナーとして身に付けておくべきだと考える。匿名に等しいハンドルネームで上記のような論評をするのは、論外である。その人物にどれだけの経歴や知識があっても、埋め合わせにはならない。プロの研究者、評論家、あるいはその卵であると自称する人間が、そういうマナーの必要性を認めないのであれば、私はそのような人間は、根本的に失格であると考える。そういう輩に対してどう対処すべきかについては、いろいろ考え方があるだろうが、私は、悪質なケースに対しては、時として、「おまえは失格だ」と言ってやることにしている。

③著者に対して上記のようなひどい論評をしながらも、なおかつ、対話したいというのであれば、(私はそれが対話しようとしている人間の態度とは基本的に思わないが)、メールアドレスなどの連絡先を明記すべきである。原則本名を名乗るか、それに近い自らの属性を示すべきだと思うが、ちゃんと連絡が取れれば、匿名性の高いアカウントでも構わないだろう。当該の論評記事自体に連絡先を示さないで、「私はいろんなところで同じようなハンドルネームで書いているので、私が誰か特定することはできるだろう」、などと言うのは、真面目な人間の態度ではない。

④上記のような意味での“対話”を求める人間の中には、ブログやツイッターで応答しろ、という者もいるが、攻撃的なコメントに対して、ブログやツイッターで直接応答すれば、関係ない野次馬や、他人を攻撃したくて仕方ない人間が集まってきて、様々な誤情報を拡散させようとするのは、今回の件からも明らかである。そういうことを分かったうえで、ブログやツイッターでの応答を求める人間は、かなり悪質である。

⑤反論文を載せろと要求しながら、相手の返答をわずか数時間さえ待つことができずに、その内容をネットで拡散し、当該著者に対して悪い感情を持っている人間の“同意”を得ることで、自分の正当性を証明したと考えるような人間に、まともな対話の意志があるとは思えない。正常な判断ができる人間とも思えない。また、そういう人間のことを、冷静に対応している、文章力がある、などと言って持ち上げる人間は、悪意の塊か、狂っている。到底、対話などできない。

⑥私が「」付きで、「二流」と呼んでいるのは、正当ではないやり方で、自分の優秀さ(“一流”であること、あるいはそれに近いこと)を証明しようとし、その過程で他人に迷惑をかけても平然としている人間である。世間的に見て、私よりずっと社会的ステータスが高い人や著名人であっても、そういう態度を露骨に示せば、私は「二流」と呼ぶ。上記①から⑤に当てはまるような人間は、当然、「二流」である。この点は、ちゃんと読めば誤解が起きる余地がないように書いたはずだが、それを理解できないほど国語力が低く、大騒ぎする“人間”とは話ができない。