たけもとのぶひろ(第8回)

その後の出来事――トラがフクちゃんに

 第5回の「愛猫ペロ失踪事件顛末記(1)」の「11月2日(金)」のなかで、ぼくはペロを取り戻すために心ならずも、外猫のトラを追い払ったいきさつをかきました。もう一度念のために再録します。
「トラが通る、夕刻5時過ぎ。用意しておいた石を投げる。当たらないように。トラは野良猫ではあっても、ぼくらが毎朝毎晩エサをあげている外猫だから、ぼくらが急に敵意をもって迫害し攻撃するのはなぜなのか、理解できないに違いない。今迄はトラの縄張りを守るために他の野良猫を排除してきてくれた、その同じ人たちがどうして? と。トラがうろうろしていると、ペロが怖くて帰って来られないのではないか。ぼくらはそれを恐れていて、だからペロが帰ってくる迄の少しの間、彼女に近寄らないでいてほしいだけなのだが、もちろんトラにはわかってもらえない。」

 話はそのトラのことだ。彼女はペロが無事帰還したその翌日から庭の縁側にやってきた。いつものようにエサをもらおうと思って。これには大いに驚いた。ぼくらは石を投げて追い払ったのだから。また石を投げられるとは思わなかったのだろうか。
 まさかと思うがトラは、ぼんやりとではあれ、たとえば次のような “三段論法” をイメージしたのであろうか。つまり、「ペロが無事帰還した→だから自分はもう追い払われることはない→したがって以前と同様エサをもらえるはずだ」というような。いや、やはり、人間にあまりいい目をさせてもらってないはずの野良猫が、人間の善意を当てにしたような “三段論法” を考えるなんて、そんなことがあろうとは思えないのだけれど。
 とまれ、トラはまたふたたび来るようになった。ぼくらとしても、いくらペロのためとはいえ、彼女を追い払ったことを申し訳なく思っていたから、以前と同じように、水をあげ、カリカリと缶詰をあげ、暖かいマットとか爪研ぎダンボールを用意して、彼女の来るのを心待ちにするようになった。こうして、ぼくの家の敷地は彼女の縄張りとして復活した。

 ここで突然、妙なことを言うようだが、実はトラは以前にぼくの家にいたことがあったのだ。これからの話はほとんどヨメはんの体験であって、ぼく自身は東京で単身赴任みたいな生活をしていたから、ほとんどかかわっていないのだが。
 トラとヨメはんとのそもそもの出会いは2006年のことだったという(ということは、ペロと出会ってすでに1年はたっていることになる)。トラはそのときすでに妊娠しており、そののち、3軒先の空き家のどこかで出産したらしく、初めは3匹くらいいた子猫がだんだんいなくなって、とうとう1匹残るのみとなったというのだが、その頃にトラはまたまたお腹が大きくなり始めたのを見て、ヨメはんは思ったらしい。 “このまま放置しておくと、野良猫がどんどん増えていって、手がつけられなくなる。親も子も避妊手術(男の子なら去勢手術だが)をし、子どものほうはまだ可愛い盛りだから里親を探そう、親は自分で飼ってあげるしかない” と。

 これを実行するために、2007年6月、はじめて捕獲器というものを借りて彼らを捕えた。すぐに病院に連れていって2匹に、それぞれ健康診断検査、ワクチン接種、避妊手術(子どもは女の子だったのだ)を受けさせ、子どものほうはあらかじめ見つけておいた里親さんにもらってもらう。貰い手のない母親のトラのほうは、ワクチン接種の影響かなにかで1週間の入院を余儀なくされたのち、さぁ退院となったのはいいけれど、案の定、帰るところがない。自分で飼ってあげるしかない。しかし、その頃のトラはまだ若かった。家に連れて帰っても、泣くわ叫ぶわ暴れるわで、どうしても落ち着いてくれない。それでもなんとか1週間はいてくれたであろうか。あとは外へ出してあげるしかなかった。
 外へと解放してもらったトラは、何事もなかったかのように、やはりエサをもらいにやってきていたらしい。ヨメはんはペロのときと同じく例によって、エサ場を作る、ハウスに毛布と暖房器を入れる、電気蚊取器を常設する、などなど至れり尽くせりの面倒見を再開した。彼女にしてみれば、トラから子どもをとりあげてしまっただけで、本人を飼ってあげていないわけだから、自責の念にかられてもいたのであろう。

 そこへもってきて、このたびのペロ騒動でもって、迫害の止むなきに至った。申し訳ない。それに、以前と違って歳をとってもきている。外は身を切るような寒さだし、かわいそ過ぎる。これはもう見ていられない。再度捕獲に挑戦して家の中に入れてあげるしかない。
 こうしてペロ騒動(10月31日~11月4日)からおよそ1か月のちの12月3日、トラの捕獲作戦を開始した。ペロのときと同じように、表の庭の縁側と裏の通路の2か所に、捕獲器を置いて、トリの唐揚げの匂いで誘った。3日(月)から6日(木)までは、こちらの誘いを無視していたトラではあったが、捕獲器の中のトリの唐揚げ以外にエサはあげていないのだから、腹はぺこぺこだったにちがいない。そうはいっても、やはり危険を感じるのであろう、なんとか我慢して、捕獲器の前の電気マットの上でじっとしている。ぼくらはぼくらで、ひょっとするとダメかも、と悲観的にもなるし、時間がたてばたつほど焦ってくる。

 ところが、12月7日(金)は違った。これまでは捕獲器の中の唐揚げのほうを見て座っていたのに、この日はガラス越しに家の中のぼくらのほうを向いて座っている。唐揚げ以外の安全な食い物をくれ、とねだっているかのように。よほど腹がへっているのであろう。
 もう暗くなってきたし、寒さもハンパではないのにちがいない。
 しかし、と思う。 “今日もあかんかもしれんなぁ。そしたら、明日の土曜日の午前中になんとかしないと、危ないかもしれへん。病院は午後から休みやし、日曜も休みやから、捕獲器を仕掛けて、もし捕まえても、病院に連れ込めないからなぁ。とにかく明日の午前中に捕まえないと” と。
 半ば諦めかけていたその時、裏の通路で “ガタン!” と音が聞こえたような気がした。さほど大きくなかった。聞き逃していたかもしれないほどの音だった。 “もしかして” と裏の通路へと急いだ。 なんと! トラが入っていた。

 12月7日(金)午後5時半。トラの入った捕獲器を大きな風呂敷に包んで、病院へと急いだ。家には3匹の猫がいるのだから、一緒に暮らしていくことができるかどうか、あらゆる検査をしてもらう必要がある。尿検査から始まって、レントゲン、血液検査、白血病ウイルス検査、猫エイズ感染症検査、フィラリア血液検査などなど、すべてノープロブレムだ。あとは検便だけ。初めてのウンチをもって来なさい、との指示があった。
 大急ぎで帰る。他の猫の晩飯もあるし、ペロの強制給餌もあるし。それよりも何よりも、トラの寝場所を作ってやらないと。ヨメはんの部屋をトラに明け渡し、彼女は居間に移動。トラのハウス、エサ場、オシッコやウンチのための砂場をなんとかととのえてあげる。他の猫といきなり接触すると、どうなるかわからない。しばらくは別々の部屋で暮らせるように隔離する。すべてOKとなって、彼女を部屋の中で自由にしてやる。

 やれやれと一息入れたところで、晩飯を食ったのだと思うが、食ったものが何だったのか覚えていない。インスタントのラーメンとかレトルトのカレーとか、その種のものだったと思う。食べながら、ぼくは提案した。 “これを機会に「トラ」という名前はやめて、「フク子」と呼ばへんか” と。「福」が来た、と思いたかった。縁起がいい。ヨメはんも賛成してくれた。
 このときをもって、わが家に “フクちゃん” が誕生したのであった。
名前を改めると、その名前で呼んでやりたいのが人情だ。早速、彼女のいる部屋に行く。
 が、ハウスにもどこにもフクはいない。その部屋から出るところはどこにもない。とすれば、押し入れしかない。案の定、わずかに隙間が空いている。中を探しまくって、ようやく見つけた。いったん入ったはいいけれど、出て来れるかどうかわからないほどの狭いところに隠れていた。フクを手でつかんで引っ張りだした。ハウスに入ったのを見届けたうえで、缶詰とカリカリと水を用意し、暖房の温度を調節し、寝た。

 8日(金)の朝、見に行った。缶詰もカリカリもまったく食べていなかった。オシッコもウンチもしていなかった。昼間はじっとして動かないし、メシも食わない。せめて夜だけでも食ってもらわないと。8日の晩メシ(カリカリと缶詰と水)に期待をかける。
 9日の朝、缶詰は全部なくなっている。やったぁ!
 カリカリは少々食べた模様。オシッコやウンチはまだしていないが、希望がもてる。
 食べてくれたことで、こちらも欲が出て来た。9日の夜は、寝るときにあげるだけでなく、夜中でも目が覚めたら、様子を見て缶詰を少量づつあげることにする。10日の夜、11日の夜、ともに成功。できればカリカリのほうをもう少したくさん食べてくれるとよいのだが――などと言えるほどに、ぼくらにも余裕が出てきた。
 そしてついに、12日(水)の朝、出た。待ちに待った、ウンチが!

 善は急げというではないか、早く行こう、病院へ。便をしらべてもらう。結果は問題なしだった。帰心矢のごとし、である。フクを家に置いて来ているし、ほかの3匹もいるのだから。検便の結果がよかったからには、フクちゃんとあとの3匹を隔てておく理由がない。
 帰宅早々、フクのいる部屋のフスマを半分開けてあげた。五郎が行く。ニー子が行くあとにペッちゃんがついて行く。3匹は、姿の消えないフクのことが気になって仕方がない。フクはまだ用心をしているのか、じっとして動かない。けれど、前回のように泣きわめくことはない。ぼくらにはニャンとも言わないけれど、猫たちが行くと小さな声でニャ~ニャ~とささやいたり、ファーっと怒っているらしい。

 五郎15歳、ニー子14歳、ペロ7歳のところへ、おそらく8歳(あるいは9歳かもしれない)フクが加わった。みんな野良猫出身なのだから、さほど時間をかけずとも仲良くなってくれると思う。いや、きっと仲良くやっていけるし、そうでないと困るのだ。

 ここまでを書いたときには希望をもっていた。今度こそ成功させてやる、と。しかし、そのすぐ後ぐらいから、どうもうまくいかなくなった。捕獲した翌日くらいから夜になるとニャ~ニャ~とささやくように鳴いていた。昼間もハウスから出てこないので、その間に寝ているのだろうか。夜鳴きは途絶えることなく続く。ぼくらは、そのうちなれるだろうと楽観していたのだが、夜鳴きはひどくなる一方だった。野良だっただけに狭いハウスに拘禁された状態が耐えられないのかもしれない(最初のときと同じように)。

 ほかの猫たちも元気がなくなる。人間のほうも寝ていられない。大げさに言うと、いわゆる “一睡もできない状態” におちいった。フクは、しかし、抗議するかのように鳴きつづけている。
 外はものすごい寒さだし、食うものだってままならない。ぼくたち以外に当てにできるところがあるのだろうか。寝るところは、これからも縁側に暖房つきのハウスを用意はしてあげるにしても、これまでのフク(トラ)は、ペロがそうだったように、ずうっとそこに居着いていそうもない。行く末を考えると、どんどん歳をとっていくし病気だってしかねないし、生きていくこと自体が不安定の極みなのだが。
 そのうえ、いま放してしまえば、今度こそ、それっきりになりかねないのだが。
 それを承知の上で、元の自由な外の世界に返してあげたほうがフクのためなのだろうか。

 悩みに悩み、さんざん口論した挙げ句、フクちゃんのハウスのあるヨメはんの部屋の窓(約10センチ間隔で格子がはまっている)を開け放ち、居間の障子、縁側のガラス戸を開けて、出る出ないをフクちゃんの選択に委ねることにした。出て行かなかったら、一緒の家族としてやっていける。しかし、もし出て行ったら、この間のぼくらの行動は、独り善がりのお節介から、彼女の気持ちを無視して、彼女を拘禁していたことにならざるをえない。
 開け放ってから5分10分してヨメはんが見に行った。まだいる。出て行けることに気がついていないらしい。あと少し待って、もし居てくれたら、彼女とともに頑張ろう!
 5分待ったか、10分待ったか。やはり今度も彼女が見に行った。
 フクちゃんは、今度はもう居なかった。
 約10センチの間隔。彼女の体格からすると、その間を通り抜けることは困難というより絶望的なほど不可能に思えるのだが、その絶望的なまでに困難な空間を突破して、やはり同じく絶望的困難の中へと消えていったのだ。
 12月16日のおおよす午後3時ころだった。

 ぼくらふたりはほとんど黙ったままで、フクのハウス、暖房関係、エサ場、爪研ぎなどを元の通りにととのえた。今晩、あるいは明日の早朝、来るかもしれないのだから。
 全部の作業が終わったとき、すでに外は真っ暗であった。フクの身の上を思うとゾッとするような寒さであった。昼間は珍しく、ぽかぽかする陽気だったのに。