仲正昌樹(第3回)

編集者に社会性はないのか!

 人文系の学者として多少は名前が知られている人だと、時々出版社の編集者から「○○というテーマで一冊書きませんか」、という誘いが来る。私のところにも時々来る。
 大抵の場合、一度打ち合わせをして、話がまとまると、その編集者が企画案をまとめて送ってくれる。それに著者が一度目を通したうえで、企画会議の承認を得て、正式に執筆依頼を受けることになる。著者の方が持ち込んだのでない限り、企画会議で拒否されることはあまりない。
 2〜3人でやっているような小さい人文系の出版社の場合、正式の会議がなくて、オーナー経営者の独断で決まることがある。そういう所とお付き合いする時は、オーナー経営者がどの程度気まぐれか見極めたうえで、慎重にお付き合いすることにしている。無論持ち込み企画を自費出版したり、買取条件付きで出してもらう時は、話は別だ——就職のために、一冊著書を出しておこうと思っている若手研究者は、ひどい目に遭わないように気を付けた方がいい。
 私は幸いにして、これまで自費出版したことも、買取条件付きで出版したこともない。ただ、二度ほど、若手の編集者から持ち込まれた企画を、「分かったふり」をしたがるワンマンの編集長につぶされて、不快な思いをしたことがある。一度は、社名に「y新書」と付けた新書を出している出版社である。数年前のことだった。担当になるはずの若手の編集者によると、当時の名物編集者を気取っていた、全共闘世代の編集長は、その若手への“かわいがり”のつもりで、私の仕事自体をけなすような偉そうなことを散々言っていたらしい。本当にそういう調子だったのか、その場にいなかったのか分からないが、少なくとも私は目次案に詳細な説明を付けるなど、数ヶ月にわたって担当者と何度もやり取りしながら、企画案の作成に関与した。その努力を無駄にさせるのだから、一言謝罪くらいしてよさそうなものだが、その全共闘親父は何も言ってよこさなかった。何様のつもりか! お友達の左翼論客ともたれ合って生きている、ごくつぶしの分際で! 
 その件で懲りたので、企画書作りのためだとか言って、私にいろんなことをやらせる編集者や、ややこしそうな企画会議には警戒していたのだが、最近ちょっと油断して、またそういう目に遭ってしまった。安っぽい哲学入門書を何冊か出している中経出版である。
 編集者から、「仲正先生に、孤独というテーマについて是非書いて頂きたいと思いまして…」、とメールが来た。メールのやりとりだけで、企画書を作ってしまおということだった。そこでちょっと疑うべきだった。しかし、その時は、直接会わないで企画をまとめようと言われたのが、初めてだったせいもあって、「編集部内でほぼ了解が取れているのだろう」、と好意的に取ってしまった。それが間違いの元だった。目次案を書いてくれ、というのはまあいいとして、その内、出だしの文章をサンプルとして企画会議に出したいと言ってきた。そこで、気が付けばよかったが、「出だしの文章まで書かせるのだから、安易に却下できないだろう」、と良い方に取ってしまった。
 それで「プロローグ」を書いて送った。「孤独というのは、哲学的に考えるきっかけにはなる。恋人や友人がいないからといって悩んでいる人たちを助けることが哲学の目的ではない。お悩み解決は、その道のプロに任せればいい。孤独というのはそもそもどういう現象か、孤独だといけないのは何故か考えるのが、哲学だ。当面の“孤独の悩み”の解決など、どうでもよくなったところで、本当の哲学が始まる……」、という感じのことを書いた。
 そしたら、その編集者が急に及び腰になって、「確かにそうだと思います。しかし、これでは一般読者がついて来れないので、哲学で孤独を克服するための指針を示して頂けないでしょうか……」、などと言い出した。何かヘンな感じになった。哲学で孤独を克服するなんて、勘違いも甚だしい。「それじゃあ、私に頼む意味がないだろう。そもそも、私がどういうことを書いているのか知っているのか」、と言ってやった。それで向こうは、しぶしぶ企画会議に出したようだったが、提出から二週間後の会議——企画会議まで二週間もかかる面倒な所だと分かっていたら、最初から引き受けなかった——で、編集長などから、いろいろ“問題”を指摘されてダメになった、と報告してきた。
 かの編集者は、「先生の一ファンに戻ります」、と虫のいいことを言っていたが、多分、実際には私の本をまともに読んだことなど一度もなかったのだろう。当然、編集長等の責任者から、プロローグまで書かせて申し訳ありませんでした、というような謝罪はなかった。これほどまでに社外の人間に迷惑をかけておいて、何とも思わないような社会性のない出版社は、さっさと潰れるべきである。
 中経のせいで、いろいろと過去のイヤな記憶が蘇ってきた。私が最初の著書を出す前、本当に無名だった時期、いくつかの人文系出版社に出版を検討してくれないかと打診して回ったが、その過程で、物知り顔の偉そうな編集者・経営者たちからいろいろ無礼な目にあった。
 本当は、人文書は基本的にあまり売れないので、名前がかなり知られた大物か、その大物の一押しの“将来有望株(?)”か、あるいは、完全自費出版でない限り、なかなか出せないというだけの話なのに、「もっともらしいこと」を言って断ろうとする。そのもっともらしい言い方に腹が立つ。「あなたの本はよく書けているとは思いますが、本として出版するには、○○がまだ足りないようですね。どういう本が出版されて売れているのか、よく勉強されて……」、などと、まるで師匠にでもなったかのような偉そうな口を聞く。
 若手の研究者に偉そうなことを言って、優越感に浸りたいのか? 普段大物にへいこらしている鬱憤を、コネのない若手相手に晴らそうというのか? そんな態度を取られたら、よほど人間が出来ていない限り、こんな有害な出版社はさっさと倒産すべきだ、と思ってしまう。私は人間が出来ていないので、そうした扱いを受けて、許せないと思っている出版社が数社ある。
 この手の連中は、自分たちの偉そうな振る舞いで、多くの著者を敵に回していることを分かっているのか? 超大物の機嫌を取りながら、(偉そうに)自費出版を引き受けることで、生き残ることしか考えていないのだろうか? こんな連中の下では、ろくな編集者が育たないのももっともだ。