たけもとのぶひろ(第7回)

(続)ペロ騒動――そもそもの話(ペロと出会って)。

 ぼくらが東京から京都へ引っ越してきたのは、今から七年前、平成17年、2005年の3月31日だった。越してきてすぐ出会ったのが生後4か月くらいのペロちゃん。ヨメはんの記憶では、おそらく4月11日だったという。
 ペロの母親は食べる物がなくて、子どもに十分なお乳が与えられず、自分はただもう野垂れ死ぬしかない、という風体であったらしい。ほとんど横幅がないほどガリガリに痩せてしまっていたという。
 ろくすっぽ母乳をもらえなかったペロは、それが原因であるかどうかはわからないが、出会ったときから片方の牙がない。牙がないためだと思う、いつも舌がペロっと出ている状態だった。今から思うと、そのころからペロは口内炎かなにかの病気にかかっていて口の中がボロボロだったのではないか。
 見るに見かねて、ヨメはんは敷地の裏の通路に小屋(ハウス)をもうける。秋でも寒い晩は毛布や電気ごたつで暖をとり、暑い夏は寝具をとり替え、電気蚊取器を24時間点けっ放しで守ってあげる。来る日も来る日も、朝晩、カリカリと少々の缶詰を与え、飲み水と寝具を替えてペロに尽くす。それでも、メシをあげに行くたびに “ファー” っと怒られる。
 そんな日々が半年近くも続いたであろうか、ヨメはんはハウスの出入口にマットを敷き、そのすぐ前にゲージ(縦45cm・横30cm・奥行き60cm)を置く。必ずその中でエサを食べるように躾けるためだ。
 そしてさらに4か月、遂に覚悟を決めた。なんの疑いもなくいつものようにゲージの中で朝メシを食べているペロを中に閉じこめ、捕獲に成功した。成功したといっても、ペロは捕獲されたことの恐怖でパニック状態になっている。ペロの入っているゲージは、手で持って家の中に運び入れるしかない。引っ掻かれて血だらけになった手でもって、とにかく家の中に連れて入り、時間を置かずに動物病院に駆け込んだのが、2006年の2月13日(この日をペロの誕生日とする)。エイズ検査は陰性でひとまず安心。かわいそうだけどせざるをえない避妊手術も無事完了。医者の診断結果は入院の必要なしというもの。
そうと決まれば長居は無用、即帰宅。用意しておいた観音開きの押し入れの中のハウスにペロを入れてあげる。そのときの情景が今でも忘れられないと、ヨメはんは昨日のことのように想いだしていう。「たまたまペロと目があった。ペロはこんなに嬉しいことはないというような顔をした。外にいるときはいつもハウスのすぐ前のマットの上で、空を見上げて淋しそうだったのに」と。
うちに来たばかりのころペロは、押し入れとか洋服ダンスなどの中にスペースを作ってもらい、昼間はそこでじっとしていた。ぼくら人間をまったく寄せつけない。が、夜になって人間が寝てしまうと、行動開始のスイッチが入ったかのように、家の中のあちこちを探検して回る。狭い家なのだから、一回り二回りすれば、どこに何があるか、わかってしまうだろうに、そのころの彼女は、来る日も来る日も夜の探検行動をやめなかった。そのときが唯一、危険から解放されて自由を実感できる時間だと思いこんでいるかのように。こういうともっともらしく聞こえるかもしれないが、今にして想うと、本当のことはまったく別のところにあったようにも思えてくる。だいいち彼女は、この家から外へ出て行きたいなんて夢にも思っていないどころか、金輪際あんな苛酷な世界はご免こうむりたいと思っていたふしがある。さらにいえば、家の中で彼女を抱っこしたりできる人間は誰もいない。6年以上たった今になっても、ぼくはもちろんヨメはんですら抱っこができない。近寄っただけで逃げられてしまう。彼女がぼくらのことを嫌っているのでないことは、よくよくわかっているのだが、やはり情けない。寂しい気持ちは拭えない。
 早い話、彼女は何をしても怒られない。自由気まま好き勝手を満喫していても人間には可愛がられるし、すでに老境に入った五郎(15歳)やニー子(14歳)に甘え放題だし。要するに、竹本家でいちばん偉い “王様” みたいな存在、それがペッちゃんなのだ。
 しかし、彼女がこれほどまで大事にされるには、これらとはまったく別の、哀しくも悔しい事情があるのだった。前回ちょっと触れたようにペロは、 “不治の病い” と言われる慢性腎不全をわずらっている。このため、週に3度、1日置きに病院に通った頃もあった。今でも週に2度は通院している。病院通いとは別に、前回にも書いた ”強制給餌” を朝と晩の2回、毎日欠かしたことがない。病院に行くにせよ強制給餌をやるにせよ、ふつうに抱っこはおろか近寄りもできないのだから、四苦八苦してまずはペロをキャリーに誘導してから、クルマに乗せるなり給餌の態勢に入るなりしないと、事柄が始まらない。
 診てもらった獣医師は十指に余るのではないかと思う。東京は世田谷区成城のアカデメイア動物病院の田中里加子先生【注】には、何回も電話をかけて相談にのってもらい、懇切丁寧なご指示ご指導をいただいた。大阪の府立医大にまで相談に行ったりもした。京都はそこら中の医者に通った。里加子先生には今もお世話になっている。京都の獣医さんもこのところ、あちこち探しまくらなくてもよくなってきたし、ペロの体調もようやく安定してきたかな、というのが感想だ。
 たとえば2012年12月8日のペロの数値(単位mg/dl)は以下の通り。
 BUN(血中尿素窒素量)正常値(2.0~40.0)ペロ 45.3
 CREA(クレアチニン、腎不全数値)正常値(0.5~2.1)ペロ 2.6
 P(リン)正常値(1.7~7.2)ペロ 4.5
 ペロ自身はもちろん、ぼくらも、まだまだ頑張れるし、頑張ろうと思う。
【注】アカデメイア動物病院(田中里加子院長)については、アエラ(2012.10.22)の記事「いいペット病院の選び方――都内123動物病院を調査」で大きくとりあげられています。記事のその部分を次に引用しておきます。
 「小田急線成城学園前駅にほど近いアカデメイア動物病院(世田谷区)は、典型的な街の動物病院だろう。獣医師1人、動物看護師1人という体制。院長の田中里加子獣医師は父の後を継いだ2代目だ。初診の場合、まずは飼い主の家族構成や飼育環境、散歩コースなどを約30分かけて聞き出す。ペットの診察にかかると、触れる前にじっと観察する。そうすることで、どこにどんな問題が潜んでいるのか探れるという。
「午前中で3件しか診察できないこともありますが、無駄な検査や投薬、手術をせず、動物にとって最も必要なことを探るにはこのやり方が一番です」
 街の動物病院に求められるのは「80%の医療」だという。
「原因を深追いしたり、難しい治療を続けたりすれば、命を危険にさらすこともある。次の病院に任せる判断も大切なのです」