ものすごく短絡的な“常識”感覚の人たち

仲正昌樹
[第12回]
2014年9月1日
好評近刊『マックス・ウェーバーを読む』

好評近刊『マックス・ウェーバーを読む』

 ことあるごとに、「学者や知識人は世間的常識や庶民の知恵に欠ける」、と言いたがる“庶民派ネット論客”たちがいる。大抵の場合、「世間知らずで、勉強はできても頭は悪い学者や知識人」というのは彼らの妄想である。あるいは、彼ら自身の方が世間しらずで、常識的な判断ができないため、学者や知識人の言動をひどく曲解している
 先ず、そういうことを言っている連中のほとんどは、学者・知識人と付き合いがない。テレビに出て来るタレント学者の印象とか、ネット上の学者・知識人をめぐる断片情報から適当なイメージを作り上げているだけである。私は十七年近く大学教員をやっているが、分野ごと大学ごとにかなり異なったキャラや価値観の人がいるので、どういうのが典型的な学者なのか未だによく分からない。「学者という人種は…」とか言っている時点で、妄想で語っている可能性がかなり高い。
 また、ある程度名前の知られた学者・知識人が自分の気に入らない発言をするたびに、「やはり学者・社会常識がない!」、などとツイッターで叫んで、自分と一緒に悪口を言ってくれる人間を集めようとするような輩が、常識ある人間だろうか?それがまともな人間の振る舞いだと思っているとすれば、常識を欠いているというレベルを通り越して、狂っている。また、ちゃんとした社会生活を送っている人間なら、しょっちゅうそんな悪口を言っている時間などないはずだし、著名人を誹謗中傷してうさを晴らすようなバカだと周囲の人に知られたくないはずだ。知られたくないので、ふざけたハンドルネームにしている奴も多いが、そういう卑怯者に、学者や知識人の社会常識の欠如を非難する資格があるのだろうか。
 この手の連中は、学者・知識人の悪口を言いながら、自分の常識なさを暴露してしまうことが多い。私は何年か前に、統一教会の信者だった時の思い出を語った、『Nの肖像』という著作を出した。この本の中で、あまりできのいい信者でなかった私は教会の中でいろいろ問題を起こし、当時教会が力を入れていたドイツでの活動に参加したいと希望していたこと、その希望はなかなかかなえられなかったが最終的に認められ、ドイツに行ったことについてそれなりに詳しく書いた。すると、その部分を斜め読みした、元講談社学術局長の鷲尾というじいさんや、そのお仲間でエロ漫画の下請け編集者で無頼派を気取る男が、「仲正は東大生だったので、統一教会の中で特別待遇を受け、教会の金でドイツにエリート留学させてもらった」、という内容の妄想をネットに書き込んだ。東大生だからということで一般の信者とやや違った扱いを受けたことは否定できないが、他の信者が霊感商法などで稼いだ金でいい生活をさせてもらっていたとか、留学の費用を出してもらったとかは全く根拠のない話である――当時の統一教会の信者の全てが霊感商法的なことをやっていたわけでもないのだが、それにここで拘る必要はないだろう。彼らは、統一教会のような所では、知的エリートは、一般社会以上に特別待遇を受けていると思い込んでいたので、私の記述を曲解し、書いてないことを無理やり“読み取った”のである。
 あまりにひどい勘違いなので、連中に抗議している内に分かったのだが、この連中は、西欧諸国に渡航し、大学に学生として登録し、生活するには莫大な金がかかり、それは相当優遇されたエリートでないと無理だ、と思い込んでいるようである。渡航するだけなら、十数万か、うまく行けば、数万円台ですむし、当時のドイツの大学は、日本の高卒以上であれば、無料で登録できた。生活費はそれほど高くないので、休みの間ちょっとした物売り、例えば版画とか瀬戸物とかの訪問販売をすれば、生活していける――当然私もやった。そもそも、海外留学している日本の学生の多くは、それほど金持ちでないので、何らかのバイトで生計を立てている。それに、統一教会はあまり大きな教団ではないので、海外で布教活動する一般信者に、外交官のような贅沢な生活をさせる余裕など到底なかった。かなり大きい宗教団体でも、海外布教する信者には質素に生活させるものである。
 この程度のことは常識的に考えれば分かりそうなものだが、鷲尾やエロ漫画下請け編集者には、その常識がなかったわけである。「ドイツに行った」というだけで、まるで森鴎外のドイツ留学のようなイメージを抱いてしまって、それを前提に妄想話を作り上げてしまったのだろう。エロ漫画下請け編集者は、ご丁寧にも、「統一教会の女工・労働者の犠牲によってエリート留学している仲正のエリート意識にはへどが出る」と書いていた。電話で直接抗議した際に、「女工・労働者とは何か?」と聞いたが、まともに答えられなかった。統一教会の中に階層があることを比ゆ的に表現したまでとか言っていたが、恐らく、明治時代の女工哀史的な文章をどこかで読んだ記憶が残っていて、勝手に妄想を膨らませたのだろう。「女工」という言い方は、かなり時代がかかっている。この男は底辺の世界を知っている庶民派を気取っているが、こういうアナクロな妄想で、知的エリートらしき人間を誹謗中傷するのが、庶民感覚だとでも思っているのだろうか。
 この低レベルの妄想の中で生きるエロ漫画下請け編集者が、最近また私に関する妄想をネットに書き込んだ。私が五月末に作品社から出した、『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』についてである。妄想男曰く、「アーレント・ブームに便乗して、アーレント本を出すところを見ると、仲正昌樹と大川隆法は発想と頭の程度が同じということか」。大川隆法氏の本については目にしたことがないのでどういう経緯で出版されたのか知らないが、私に関しては全くの見当の外れである。私は大学教員になった直後からアーレントについていくつか論文を書いているし、二〇〇九年にアーレントについての新書も出している。そんなことぐらいちょっとネット検索すれば分かる。しかも、今回の本は、Rengo設計事務所で六回にわたって行った連続講義をテープ起こししてもらって、大幅に加筆修正したものであるが、その講義が行われたのは、二〇一三年の二月から七月にかけてである。岩波ホールでアーレントの映画が上映されてプチ・ブームになる前に講義は終わっている。八月の終わりくらいから、今年の三月か四月に仕上げるつもりでテープ起こしに対する加筆修正を始めた。私の本の前書き部分に、そのことはちゃんと書いてある。

 出版業界の裏事情に通じていると自称する人間が、そんな基本的なことも確認せずに妄想で悪口を書いているのである。加えて、あの本は五〇〇頁近くもあり、アーレントが参照したアリストテレスの原典の検討とか、かなり難しい話をつめこんでいる。それだけ書くのにどれだけの時間がかかるか想像できないのか? 全くもってド素人以下である――恐らく、エロ漫画男は、私がアーレントについての本を出したとどこかで耳にしただけで、実物を見たことさえないだろう。こういう、ごく狭い仲間内の世界しかしらないくせに、庶民派評論家を気取って、ネットで偉そうなことを言いたがる輩は、汚物であるとしかいいようがない。
 これとはやや異なるが、自分の“常識”を前提に、知識人批判をしたがるバカの実例をもう一つ挙げておこう。SAPIOの九月号に私のインタビュー記事が載っている。このインタビュー記事の一部が、小学館のニュースサイト「Newsポストセブン」を介して、ライブドアニュースやアメーバニュースで配信された。すると、自主映画製作者を自称する人物が、そのごく一部を読んだ印象で、「こんなポエムな発想をするなんて、やはり元カルト教団の大学教授だ」、などという誹謗中傷を、アメーバブログに書き込んだ。
 何についてのインタビューかというと、林典子さんという女性写真家が出した『キルギスの誘拐婚』という写真集を読んだ感想についてである。タイトルのごとく、キルギスで今でも行われている誘拐婚についてのフォト・レポートだ。著者本人ではなく、著者とあまり接点のない第三者がインタビュー形式で本についての印象を語るという企画である。私は中央アジアの専門家でも文化人類学者でもないので、当然、純学術的なコメントはできない。ただ、SAPIO編集部によると、統一教会の合同結婚式に参加したことのある私に、それと共通点があるようにも思えるキルギスの誘拐婚について意見を述べてもらったら面白いと考えて、私に依頼したということである。
 当然のことながら、現在の私は統一教会の結婚観ややり方がいいとは思っていない――現在の統一教会の合同結婚式のやり方も、私がいた当時とはかなり変っているようである。また、自分の意志で入信した人たちが合同結婚式に参加するのと、誘拐婚では、全く状況が異なるので、単純に比較できない。そのことはSAPIOの記事でははっきりと言っている――アメーバニュースではその部分は省略されている。従って、自分の統一教会での体験に基づいて、キルギスの誘拐婚を正当化するようなことは一言も言っていない。そもそも、この種の個人の生き方に関わる問題に関して、自分の眼で当事者たちの振る舞いじっくりと観察したわけでもないのに、正当化するかと、断罪するなどというのは僭越であるというのが、私の基本的立場である。
 私が注目したのは、誘拐婚による婚姻が全体の三割程度を占めているらしいこと、どんな女性でもいいから見さかいなしに誘拐しているのではなさそうであること、「単純に暴力だけで誘拐した女性を服従させるのではなく、誘拐した男性の親族の女性たちが説得にあたること、どうしても説得に応じない場合は家に帰すことが暗黙のルールになっていること、婚姻を受け入れたあと幸せに暮らしている女性も多いことなどである。私はそうしたことが事実なら、彼らには、たとえ暴力を行使したとしても、それを更なる暴力に発展させることがないよう抑制し、新しい人間関係へと繋げる技術があるのかもしれない、と述べた。これは、誘拐婚の正当化ではない。やくざや不良の世界にも暴力を抑制するルールがあるようだとの見解を述べるのと、彼らの暴力を正当化したり、擁護するのとは全く別のことである。
 自称映画製作者は、その当たり前のことが分かっていないので、勘違いし、私に腹を立てたらしい。それだけなら、正義感ゆえの過ちとして大目に見てやれなくもないが、このバカは、「こんな人権侵害を美化する、ポエムのような発想をする大学教授は、どこのカルト教団の人かと思ったら、やっぱり元統一教会の人だったんですね」、とふざけたことを言っている。本気で女性に対する人権侵害で怒りを覚えているのなら、どうして、私の過去を茶化すようなことを書くのか?それが誠実な人間の態度か?(元)統一教会と聞いただけで大騒ぎをするバカ仲間の賛同を集めたいとしか思えない? 相手の主張の中身でなく、相手の出自、経歴、身分などを誹謗することによって否定しようとする人間は、誠実に議論しようとしているのではなく、ただのお祭り好きである。
 この映画バカやこいつに賛同するツイートをしたアメーバの似非人権家たちは、「誘拐婚は人権侵害なのだから、それを糾弾しないのはけしからん。仲正は女性の人権を相対化しようとしているのに違いない」、とでも思ったのかもしれないが、見当はずれである。誘拐婚が女性に対する人権侵害であるのは間違いないが、日本のヒマなネット住民が「ひどい!」、とツイートしたところで、誘拐婚がなくなるわけではない。私がインタビューの中で「これは人権侵害だ!」、と言わずもがなのことを言ったところで、何の解決にもならない。もしかすると、連中なりに、「いや、自分たちは国際的な世論を盛り上げるためにやっているのだ」、と思っているのかもしれない――私のようなダメ学者を叩くことが人権問題の解決に繋がると思いこんでいる輩が国際世論を盛り上げることができるとは到底思えないが。しかし、国際世論を盛り上げるのはいいとしても、どういう手順でやめさせるつもりなのか? 経済制裁をかけるのか、それとも軍事介入するのか。たとえ軍事介入したとしても、キルギス政府が法律で禁止してもなかなかなくならないのだから、なくなる保障はない。人権を理由に介入する外国への反発として、誘拐婚をキルギス固有の文化と見なすイデオロギーが更に強まるかもしれない。
 ひょっとすると、自称映画製作者は自分でキルギスまで出かけて行って、「誘拐婚は人権侵害なのでよくないよ!」、と説いて回るつもりなのかもしれないが、子供や孫もできて幸せに暮らしている夫婦に面と向かって、「こんな偽りの結婚は解消しなさい!あなたたちは本当の夫婦ではない。女性を誘拐した男は、何年経とうと、罪の償いをすべきだ」、と言い放つつもりだろうか?そうした“偽りの夫婦関係”を解消させるべく、その地方の裁判所や警察を説得するつもりなのだろうか?あるいは、現地に住み着いて、西欧的な人権思想を人々に一から説いて回るつもりか? 子供や孫、新たにできた人間関係はどうするのか? 仮に、誘拐婚から長い時間が経っている夫婦は“時効”扱いするにしても、どれだけの時間が経ち、どういう状態になったら、“時効”なのか?
 女性の人権を本格的に考え、闘っているつもりなら、こうしたいろいろな可能性を考えてから発言すべきである。本当に国際問題化したら、西欧諸国の介入を招くことになるかもしれない。そういうことを考えるつもりもないのに、自分たちの気に障るような発言をする人間を個人攻撃するような輩は、本当の人権派ではあえない。
 この世界には、一部の人を非常に不幸にするので、望ましいものではないと分かっていても、すぐにやめさせるのが極めて困難な風習がたくさんある。日本のツイッターで「ひどいよ!ひどいよ!」と騒ぐだけで、そうした問題の解決に貢献していると思い込み、人権派ぶっているとしたら、とてつもなく、上から目線の傲慢な態度である。
 自称映画製作者とは別の人間が、「大勢に取り囲まれて、マインド・コントロールされ、強制的に受け入れさせられるに決まっているじゃないか」、と訳知り顔にコメントしていた。こいつは、どういう意味で「マインド・コントロール」という言葉を使っているのだろうか?コントロールされているかどうか、どうして分かるのか? 仮にキルギスの年輩の女性たちが、マインド・コントロールの技術をもっていて、誘拐されてきた花嫁候補の心をコントロールできるとしても、その状態を何十年も維持できるのだろうか? 最初に強制があったのであれば、後で本人の気持ちがついてきても、マインド・コントロールだと定義するのであれば、“マインド・コントロール”ということになるが、そういう一般化した意味で「マインド・コントロール」だと言ってみても、何も始まらない。強制されたまま耐えながら結婚生活を続けているかどうかは、個々の家族を長い時間かけてじっくり観察しないと分からない。
 そうしたかなり微妙な問題の存在を考慮に入れず、「マインド・コントロールだ!」と即断し、その判断を他人にも押し付けようとするのは、この連中が、人権派のふりをして、キルギスの人たちを自分で考えることのできない民族と見なし、バカにしているからに他ならない。
イラク戦争が起こって、日本政府がアメリカの戦争遂行を支持することの是非がマスコミで話題になっていた時、石川県の地元名士らしき保守系の老人が、地元の新聞紙上で、「イラクは民度が低くて、自分たちでは混乱を収拾できないので、アメリカが介入して秩序を取り戻してやらねばならない。それを支持する政権の判断は正しい」、としたリ顔で意見表明しているのを見て、唖然とした記憶がある。この老人は、イラクの何を知っているのだろうか? アメーバの俄か人権派たちと、この老人の間に、さほど大きな違いがあるとは思えない。当事者のことを、本人たちよりも分かったつもりになって、「正義」を押し付けようとするのだから。
 誘拐婚についてはいろんな要素を考えなければいけないので、私はインタビューを通して、誘拐婚を正当化するとか断罪するとか言う前に、彼らの文化ついて考えるべきだと示唆したのである。アメーバブログの住人たちにとっては、それは似非知識人の欺瞞であるようだ。私からしてみれば、自分でよく考えようともせず、似非知識人を悪の代弁者に見立てて攻撃する態度こそ、欺瞞であり、卑怯である――女性の人権問題を取材し続けていることで知られる林さんを批判するのはまずいと思って、元統一教会信者ということで攻めやすい私をターゲットするのは、卑怯そのものだ。というより、正義の味方ごっこで、友達づき合の悪い子とか気の弱そうな子を、無理やり悪者役にしてやっつけることで、かっこよがっている幼児の振る舞いに等しい。
 アメーバブログは、多くの芸能人が利用しているので、芸能ネタに便乗して目立とうとする輩が少なくないとされている。私は半年くらい前にも、Newsポストセブンの配信記事がもとで、その手のアメーバの狂人から誹謗されたことがある。騒ぎを起こして目立ちたいのなら、芸能ネタに集中してもらいたいものである――何も考えずに、他人を誹謗して自己満足する無礼な連中なので、このくらいの雑な決めつけをしてやってもいいだろう。
 とにかく、常識も想像力もないくせに、学者・知識人を悪者にすることで、自分を美化しようとする、幼稚な“正義の味方”が多すぎる。