今月のラッキー

今月のラッキー

 食傷ぎみだが、今回も佐村河内の守の事に触れてみたい。これが最後である。
 人間は天使にも悪魔にもなれない存在なんだな――、河内の守の記者会見を見たときの私の率直な感想だった。
 そもそもあのような記者会見はやる必要もないし、やるとしたら「アカンべー路線」で臨むしかないと思っていたが(「編集部便り」2月21日)、悪魔になりきれなかった彼は、(多分)ほんの僅かな「良心」に押されて、自ら修羅場に臨んで――、その結果があのザマであった。まさにNHKを始め、多くの「権威」を手玉に取って弄んできた、それまでの彼のパフォーマンスを総て台無しにするものであり、あのブザマぶりは、正直、残念であった。
 大きなものを卑小にみせて、小さなものを誇大表記する――、かかる我がキニク派的「編集部便り」の路線からすれば、なかなかの「好材料」だっただけに惜しまれてならない。
 せめて、彼がマンデラ氏追悼式典の手話通訳者として話題になった、あの南アフリカの黒人手話通訳者(http://abcdane.net/site/morenews/2013/12/fake-sighlanguage-obama.html)を横にハベらせる――、その程度の演出をして臨んでくいれていたら、その程度の「意地」を見せてくれていたら、彼もまた浮かぶ瀬もあったハズなのに、中途半端な「恭順」を示したあの会見は、そんな可能性のすべてを無にするものであり、あそこで「河内の守劇場」は終わったのだと思った。

手話通訳者

手話通訳者

 それに、会見場で見せた彼の凡庸ぶりはどうしたものだろうか。凡庸さが際立つだけに、あの記者会見、多勢に無勢、よってたかって、武装解除した無力の一人の人間をイジめ抜く――、如何にもそんな公開処刑に立ち会わされているようで、なんとも後味の悪いものでありました。
 こう言ってしまえば、何の面白さもないけれども、(仮に責任が追及されるべきだとしたら)NHKだと思う。ほとんどの日本人にとって「坂本龍馬」が「司馬遼太郎仕込み」であるように、「河内の守」の虚像のほとんどは「NHK仕込み」なのだ。ヒトゴトのように会見をただ報道している場合ではなかったはずである――。
 以上、いかにも月並みな所に感想が落ち着いたところで、私もこの件は終わりにしたい。次の話題が後に控えているからである。

 理研の小保方晴子博士、心配です。晴子さんの場合、まだ、調査中、現在進行中ですが、疑惑は濃くなる一方で、名前に似合わず一向に「晴れる」気配を見せないのが気掛かりだ。おかげで、憎からず思っている私の心も一向に晴れないでいる。
 心配のあまり、事態を正確に把握するため、毎週木曜日の朝、発売と同時に(駄犬の散歩を兼ねて)近くの図書館のカウンターにいち早く駆けつけ、『週刊新潮』と『週刊文春』の二大基本文献をシッカリ勉強して情勢分析をするのが日課になってしまったが、思うに、この事案はそれほど複雑ではないな、と言うのが正直な感想である。
 基本資料となる『新潮』『文春』の記事を熟読玩味した限りで、私なりに分析結果を開陳させて頂けるなら、真理は単純の中に宿る――、の一言に尽きると思った。つまり、ここでも「ソーニャが醜女だったらラスコーリニコフは改心したか」という問題が浮上するのであった(「編集部便り」2014年1月8日)。この点を避けるかぎり、我々はこの騒動から何の解決も教訓も見いだせないまま終わってしまうと言うのが私の結論である。

私、この写真が一番好きです

私、この写真が一番好きです

 そもそも、晴子さんが(言いにくいことですが)、醜女だったら、ムーミンも割烹着もないのである。まさに、理研にとって晴子さんは、傾国、傾城の何とかであって、私の情勢分析予測によれば、二人いた理研所属のノーベル賞候補がこれで永久に候補のままにとどまり、彼女の関係大学の何人かが学者としての将来に赤信号が灯ったと推測されるなど、他にも、一時のスケベ心の代償に、今後の人生設計を危うくしている有象無象も散見され、その与える影響は甚大なものになると思われるのだ。実に、恐ろしい事ではないか。私も男の端くれとして、これを「他山の石」とせず、充分自戒したいものである。そもそも、この騒動はそう言う話なのだ、あんまり難しく考えない方がいいと思う。

 尚、小保方晴子博士が、学生時代「おぼちゃん」と愛称で呼ばれているという記事を読んだ時、直ぐに思い出されたのが「おぼこ娘のキノコ狩り」という、昔、一世を風靡した某キャバレーのキャッチコピーであった。
 これは、あくまでも愛称からの連想だったけれども、その後の事態の推移からして、連想されるのが愛称だけにとどまらなくなって来たのが、何とも辛いような哀しいような……。これこそまさに、昨今、私の最大の心労のタネである。もうこれ以上書けまッせんッ。んー、想像したくないけど、いろいろ、ウラあるんでしょうね、きっと。
 人間(じんかん)万事オッモッテッナッシッ(表無し)、というつまらない洒落を教訓に、今日はこれでオシマイ。嗚呼。