年末年始、慌ただしい日々を過ごして参りました。
 と言っても、そのほとんどが卑近な野暮用で、あえて他人様にご報告申し上げるような事でもないし、それを記しても、所詮、愚痴の類いにしかならない代物なので、ここは無難に、世間の形式通り、新年のご挨拶から始めることにしたいと思います。

(それではまいります)
 新年、あけましておめでとうございます。
 今年も宜しくお願い致します。

 年頭に当たり、正月の様式美を体現した、かかる優雅な挨拶を昨年同様、今年もまた皆様にお届け出来た仕合わせを、まず持って、心よりに感謝申し上げるしだいでございます。正直、安堵しております。
 昨年に引き続き、本年も絶体絶命、社命をかけた常在戦場艱難辛苦の日々が予想されますが、来年も同じくこうして新年の挨拶をお届け出来るよう、この一年必死に頑張りますので、どうか暖かいご支援ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。明日は無きものと肝に命じ、一年一年一日一日が命運を賭した決戦でございます。

 ところで、昨年12月23日、京都大学の時計台記念館百周年大ホールでひらかれた「上山春平記念シンポジウム」(http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/b/b1/news4/131223_613131924133.htm)に、故上山春平氏の復刻本『憲法第九条——大東亜戦争の遺産』(元特攻隊員が託した戦後日本への願い)(12月25日発売)を持参して、本ブログの常連投稿者、たけもとのぶひろさんと二人で駆けつけて参りました。
 本文は言うに及ばず、本著の売りは、たけもとのぶひろ氏(元京大経済学部助手で、1970年前後の京大闘争当時、滝田修のペンネームで全共闘側から積極的に発言し、紆余曲折の果て、1977年に京大を除籍処分になった)に長文の解題を担当して頂いた点もその一つになっておりますが、著者の上山先生は、京大闘争当時、たけもと氏はと真逆の立場で闘争に関わっておられた方ですし、その辺の事情で、当日何やら不愉快な事態にならねばよいがと若干危惧しておりましたが、上山さんの娘さん(現九大准教授)やシンポジウムの事務局の方々にはシンポジウム終了後、文学部主催の懇親会にまでお誘いして頂くほどの歓待を受け、まずは安堵致しました。関係者にはこの場を借りて、改めてお礼を申し挙げたいと思います。
 たけもとさんが京大吉田キャンパスに顔を見せたのは、1972年1月突然全国指名手配を受けて以来、実に、40数年ぶりではなかったかと思います。京大事務局の方々と懐かしげにお話をしていたのが印象的でした。

 今回の京都出張、日程的にはかなり厳しいものがありましたが「忙中閑あり」の言葉通り、キツい事ばかりではなく、それなりに楽しむ事も出来ました。
 ワタクシの出張中預かって頂く事になっている動物病院に愚犬ラッキーと一緒に向かったのが22日の夕方。目指すべき病院は小田急線成城学園前駅から下車1分。会社がある河田町から小田急新宿駅まで散歩を兼ねてラッキーと歩いてゆき、新宿~成城学園前駅間、ラッキーには専用の籠に入ってもらいました。更に成城学園駅前で病院に引き渡す前に、また30分くらい散歩。会社を出た時はまだ午後5時前だったのに、病院に入る頃は午後7時を過ぎておりました。

 ワタクシは地方出張の際、大抵深夜の高速バスを利用致します。経済的な理由もありますが、移動中に爆睡し、目が覚めるとその時既に目的地についているという、この利点は棄て難く、しかも、泥酔状態で乗車し、乗務員に起され、気付けば既に目的地に着いている事を知る、あの充実感、爽快感、まさにこれこそ深夜バスの醍醐味というものであります。
 ワタクシはこの達成感、充実感を一人でも多くの人に広く知ってもらいたい、感じてもらいたいと深く念じて、ことあるごとにその素晴らしさを縷々説き続けてまいりましたが、なかなか賛同者を得る事が出来ず、ずっと不思議に思っているものであります。なんで分からないのでしょうか、ワタクシ分からないのが分かりません。ホント、歯がゆい思いをしております。

 今回は午後7時にラッキーを病院に預けて、乗車時間までの空き時間を病院の院長先生と呑み屋でつぶす事にいたしました。
 いつもならバスの乗り場近くの新宿の呑み屋で時間ギリギリまで粘って、出発直前に猛ダッシュ、となるのですが、さすがに今回は、自分の都合だけで、院長先生を新宿までお誘いするのも気が引けて、結局。成城学園前駅近くで呑んでいたのですが、この場合、歩く時間、電車を待つ時間を含めて高速バスの出発40分くらい前には呑み屋を出ないと危なくなる計算なので、自分なりに時間を気にしながら呑んでいた筈だったのですが、丁度タイムリミットにさしかかる頃、院長先生との会話も佳境に入り、時間を忘れてしまったのでした。
 気付いたらバスの出発まで30分しかありません! 呑み屋の精算を院長先生に任せて、成城学園前駅から新宿南口の高速バス乗り場まで、猛ダッシュ!(途中の事は記さない)、それでもワタクシの時計で約1分の遅刻でした。バス停につくと、既にバスはエンジンを唸らせ、今まさに大切な客を(つまりワタクシを)一人積み残して出発しようとしているではありませんか! 危ないところでした! 今、心静かに当日を回想しても、パソコンを打つワタクシの指にいやが上にも力がこもる程でございます。
 で、ワタクシ、よっぱど安堵したのでしょう、目が醒めた時には、目的地の京都を大きく乗り越して、神戸の三の宮駅までいっておりました。これぞまさに高速バスの醍醐味というものでありましょう。
 問題は乗り越し料金ですが、寛大にも免除して頂きました。それどころか、(京都についた際)告知した筈だったんですが……ゴメンナサイ……、などと逆に謝罪までされてしまいました(偉いじゃないですか、ちょっと余人にはマネができませんね)、ホント恐縮した次第です。
 思い起こせば、あの時もそうでした。今から数年前、博多に行った時の事、大雪のお陰で予定をかなりオーバーし、15時間もかかった事があるのですが、こんなに長時間の時間延長にもかかわらず、1円の割りマシ料金すら要求しなかったのです。信じられますか? いつもながらのJRの太っ腹、心底感動を禁じえません。

 尚、呑み屋で院長先生とワタクシに時間を忘れてまで激論させたテーマは「(善意にもとずく)贈与の可否について」。ワタクシは他人様からの贈与(善意)は基本的に受けるのが礼儀であり、相手の面目をたてる為にも断ってはいけないと言う立場。イエスのアタマに香油を注いだ女性の故事などを引いて自説を展開しました。
 院長先生の説は基本的にはワタクシと似ていますが、香油の女性とイエスはともかく、仮にワタクシがイエスの立場で香油女史が美人ならぬ二目と見られぬ醜女(しこめ)だったとしたら、それでも香油を素直に受けるのか、つまり相手によって態度を変えるのではないか? と言う疑惑、一般論の奇麗事を言って、自分のやましい心を飾っているだけではないのか、という反論だったと思います。
 もっとストレートに言うと、イエスならぬワタクシの内なるスケベ心に不信感を突きつけると言った形。贈与(善意)を受けるか否かは(ワタクシが主張するように)相手の事を考えて決めているのではなく、受ける本人の下心の結果である、それを抜きにして贈与の可否を語っても意味がないとういのが院長先生の説であります。さて、あなたはどっちでしょうか。
 ソーニャが醜女(しこめ)だったら、ラスコーリニコフは改心したか、大地に跪いたか、むしろ、のけぞったのではないのか? 事態はそう言う深刻な問題を孕んでいるのであります。この難問、是非ドスト氏の見解を糾してみたいものであります。

 さて、三の宮からJRの特急で1050円も無駄銭払って京都に戻ると、まず、2日間お世話になる宿泊先のお寺さん、徳正寺を訪ね、河田町ビルの風紀女史から託されたお土産と荷物を置いて一休み。午後からは京都市内の書店挨拶4~5店を回る(徳正寺には青林堂の長井勝一さんのお骨が分骨されており、ワタクシや風紀女史が京都に行った時には、いつもお世話になっています。http://everkyoto.web.fc2.com/report1441.html)。
 夕方、また徳正寺に戻ると住職は法事で留守なので、奥さん、それに息子さんの嫁さんとコタツに当たりながら、四方山話を肴にお酒をごちそうになりました。今夜もまたいい夢を見ながら眠れそうな、まさにそんな予感をさせる寛ぎの時間でありました。
 北朝鮮のナンバー2張成沢さんは先頃粛正された時、報道では「犬畜生にも劣る卑しく下劣な男」と形容されておりましたが、ワタクシも日頃河田町では愚犬ラッキー以下の扱いしか受けていないので、(毎度の事ですが)徳正寺での厚遇はことのほか身に沁み入るものがあるのでございます。
 デオゲネスを地で行くような生活環境で過ごすワタクシに、徳正寺であてがわれた寝室と、翌朝目覚めに廊下に用意されていた熱い生姜紅茶とチーズケーキを何と形容したらいいのでしょうか。この心使いがたまらないのでございます。写真を添付しますのでご欄になってみて下さい(写真1が寝室、写真2が生姜紅茶)。

(写真1) 寝室

(写真1) 寝室

(写真2) 生姜紅茶

(写真2) 生姜紅茶

 ちょっと分かりにくいかもしれませんが、写真2の窓の下に見えるのが、藤森照信氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/藤森照信)設計の茶室「矩庵(くあん)」です。

 目覚めの生姜紅茶がすめば、すかさず奥さんから声がかかります
 「ちょっと外を散歩してきたら?」
 散歩から帰ってくれば、昨夜の深酒を気遣ってか、コタツの上に暖かいおかゆが用意されているのでありませんか。クー。この気遣い、東陽さんではありませんが、タマリャンのでした。

 朝食のあとは、今回の京都出張のメインイベント、上山先生のシンポジウム目指して京大吉田キャンパスへ。たけもとさんと京大正門前で合流し、その後の事は最初にご報告した通りです。
 シンポジウムは午後1時から6時まで。その後の懇親会は2時間近くで途中退席させて頂き、たけもとさんもお誘いし、事前に住職と約束していた本日の酒席、ダブルヘッダー後半戦を徳正寺で深夜バス搭乗時間ギリギリまで楽しみました。
 翌朝新宿に着いて、ラッキーを迎えに成城学園前駅の動物病院へ。
 病院での2日間、まったく食事をとらない様子や、不安そうなラッキーの写真の添付されたメールを院長先生から頂いていたので、(写真3参照)動物病院でのラッキーとの再会はまさに「南極物語」の再現でした。「河田町」に戻って寛ぐラッキーと比べてみて下さい(写真4、5)。

(写真3) 動物病院のラッキー

(写真3) 動物病院のラッキー

(写真4) 河田町

(写真4) 河田町

(写真5) 河田町

(写真5) 河田町

 以上、新年の挨拶かわりの京都出張報告でした。自分でも何が言いたかったのかよくわかりません。まあ、近況報告と言うことでお許しください。