日本国憲法・第九条にノーベル賞を 上山春平著『憲法第九条―大東亜戦争の遺産』(明月堂書店)が参考になる(1)

たけもとのぶひろ[第23回]
2014年4月26日

 4月の初め頃のことでした。夕刊をみていると、大きな見出しが起ちあがり迫ってきました。「九条にノーベル平和賞を」「共感広がり署名2.5万人」とあり、囲みの見出しには「神奈川の主婦 ネットで呼びかけ」とありました。 “おお! なんちゅう閃きや! ノーベル平和賞とは!“ と声をあげんばかりに驚きました。

 ここに主婦とあるのは鷹巣直美さんのことです。ノールウェーのノーベル委員会に宛てて彼女は、「日本国憲法、特に第9条に平和賞を授与してください」と、1年以上もまえから7回も(!)メールを送りつづけてこられたそうです。ということは、それだけ門前払いを喰らわれたことになります。それでも、 “ 相手にしてもらえるやろか、ホンマに賞をもらえるやろか ” なんて思わない。へこたれない。根性が違います。

 そして、ついに4月9日、ノーベル委員会から「候補に登録された」とのメールが届いたそうです。20日の朝日新聞は次のように伝えています。
 「戦争放棄を定めた憲法9条をノーベル平和賞に推薦した「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会が19日、東京・代々木公園であったイベントで、推薦が受理されたことを報告した」と。

 鷹巣さんたちは、「憲法9条にノーベル平和賞を」と呼びかけることで、憲法9条をあらためて世界の檜舞台に登場させるおつもりなのだと思います。これは、憲法9条を世界の問題として議論する必要があるとの直観があってのことではないでしょうか。

 憲法9条をめぐる攻防はじつは世界平和の帰趨に直結しており、したがって日本一国の囲いからいったん外に出て、「国際社会における日本とその憲法9条」という視点から見てみる必要がある――そういうことではないでしょうか。

 世界といい国際性というとき、論点は二つあると思います。現実的な論点と原理原則にかかわる論点と。
 第一の現実的問題です。日本が憲法9条を――事実上であれ、名実ともにであれ――なきものにしたとしたら、どうなるかということです。早い話、中国や韓国、北朝鮮が猛然と反発するのはもちろん、東南アジア諸国も日本を警戒し、その外交姿勢を硬化させるでしょう。米国の反応すら疑わなければならないのが現実です。結果、日本の孤立は避けられないでしょう。そして日本が孤立するとなると、これはもう、東アジアのみならず世界の平和を根底からぶちこわす流れへとつながりかねません。孤立は戦争へとゆき着きます。友好は平和を連れてきます。歴史によって検証済みの、自明のことです。

 このように現実はきわめて深刻です。しかしそれ以上に、深く考えなければならないのが、第二の原理原則の問題です。憲法9条の「そもそも論」です。わが憲法9条は、国際政治の――米中ソを含む主要連合国側の、とくに米国の――どのような意図のもとに、どのような負託を受けて生まれたのか、ということです。この問いに答えることなくして、憲法9条の是非存廃を論ずることはできないと思います。

 偉そうな書きっぷりですよね。恥ずかしいなぁ。じつはぼく、憲法については何ほどのことも知らない素人なのですから。そのぼくが憲法9条に関心をもつに至ったきっかけについて書いておきます。上山春平著『憲法第九条――大東亜戦争の遺産』――元特攻隊員が託した戦後日本への願い――(明月堂書店 2013.12)の編集を手伝い、その「解題」を書く機会を与えていただいたのが、それです。

 この経験が伏線になったのかもしれません。鷹巣さんに触発されました。
いまいちど上山先生の「憲法第九条論」を再論する気持ちになって、思いつくまま考えつくままをつづってゆこうと思います。
 とまれ次回は、上記第二の、「憲法9条の国際性」ということを考えようと思います。


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