神になったつもりか? ――神になろうとする「反ポモ」


仲正昌樹[第53回]
2018年2月6日
『FOOL on the SNS』第2弾!3月発売予定

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 前回、山川ブラザーズ(=ネット上で、低レベルな反ポストモダン的な言動を繰り広げている集団)の面々を中心に、極度に常識感覚を欠いているがゆえに、到底、論争などできない人間たちの問題について書いた。要は、いきなりその相手の人格を傷つけるような罵倒を始めたり、自分の失礼な言動をすっかり忘れて被害者面するような人間とは、論争どころか、対話が成り立たないということだ。物凄く簡単な話なので、いくら山川ブラザーズ・レベルの人間でも理解できるだろう、と思っていたのだが、私の認識はまだ甘かったようである。この当たり前のことが理解できない、あるいは、当たり前のこととして受け入れることができない人間が若干いるようだ。私に粘着し続けている中年の中二病オタクは、以下のようなツイートをした。

しかし相変わらず仲正昌樹氏はブーメランな論争しかできないんだなあと実感。 吉本興業の定番な前フリかと思ってしまう。 全部、仲正氏に当てはまりすぎ

 この男は何かトラウマ的な記憶でもあるのか、「ブーメラン」と「吉本興業」という二つのキーワードをやたらと使いたがり、私に対する誹謗ツイートで何回か使っている。何の前置きもないので、私の発言のどこが吉本のブーメラン芸のようになっているのか皆目理解できなかった。頭のねじが飛んでいる奴の言うことを理解しようとしても無駄だと思いつつ、あまりにも唐突なので、何となく気になっていた。前回の記事に対する中二病の反論コメントらしきものを見ていて、ようやくこの男の思考回路が見えてきた。
 前回の記事で私は、「しかし、学問的な議論を開始するには、最低限の社会常識、モラルが必要だ。……先ず、単なる印象だけで他人を攻撃してはならない、批判する前に相手の主張をよく調べたうえで、誹謗中傷にならないよう客観的な表現を使うべき、ということがある」、と書いた。中二病オタクはこれが、ブーメランになっていると思い込んでいるようである。これとほぼ同じ主旨のことをこの連載で何回か述べているが、中二病はそれらを目にして、今回と同じ思い込みから「吉本! ブーメラン!」、とツブヤいていたのだろう。この男の他にも偶に、「論争に対する仲正氏の主張は支離滅裂に見える。よう分からん!」、などとツブヤくアニメ・オタクがいるが、そういう連中は同じような、勘違いをしているのだろう。
 こいつらにはいくら言っても通じないだろうが、話の通じないツイッタラーの硬直化した反応パターンの面白い例なので、まともな読者向けに少しコメントしておきたい。前回の記事をまともな国語力のある人間が読めば分かるように、私はいきなり妄想まじりで失礼極まりない攻撃をしてくる相手と、論争できるとは思っていない。まともに反論する価値などない。しかし、あまりにもしつこいと不快である。加えて、同じパターンの発言を繰り返しているのを見ている内に、バカのサンプルとして軽く分析したら面白いという気がしてきて、この連載でそういう連中を取り上げているのである。
 そんなことはわざわざ強調するまでもなく、高校生程度の国語力があれば、理解できそうなものだが、中二病のような連中は、私がこの連載で自分たちのことをネタにしているのを目にすると、それをもって、「仲正が私に反論している」(論争が成立している」)と思い込んでしまうのだろう。その思い込みを大前提にしているので、「仲正は自分が呈示したルールを破っているブーメランだ! 吉本だ!」、と言い張ることができるわけである。多分、自分は反論されるに値する論客だと信じて疑わず、それを否定するいかなる言明も脳が受け付けないのだろう。話にならないはずである。
 仮に私が、例えば、「学者というものは、どのような相手からいかなる理不尽な攻撃を受けようと、その相手の言葉を批判として真摯に受け止め、論理的に応答すべく努めねばならない。私は常に学者であろうと思っている…」というようなことを言っていたとしたら、私が山川や中二病のような連中をバカのサンプル扱いすることは、ブーメラン的な意味を持つだろうが、あいにく私はそんな聖人君子的――もしくは、偽善者的な――なことを言った覚えはない。
 ついでに言っておくと、中二病人間は、「批判する前に相手の主張をよく調べたうえで」という文言にも食いついて、「これもブーメランだ。私がどういう発言をしたか、過去のtwilogを調べれば分かるはずなのに、全く無視している」、などと言っていた。本当にこいつの頭の中はどうなっているのだろう。私は当然、私のように本や論文などの形で自分の考えを表明していて、どういう主張をしているのか明確に確認できる人を念頭に置いている。本や論文ではなくても、何らかの媒体でまとまった意見を表明している人であれば、その意見を確認することが可能だが、中二病はそもそも自分の身元を明らかにしないで気ままに暴言ツイートを繰り返しているだけである。そんな輩の失礼な行状を指摘するのに、過去のツイッター履歴などわざわざ確認する必要などない。ツイッターの履歴など、すぐに消えてしまう。先に述べたように、中二病はそもそも“論争相手”などではない。失礼極まりない暴言に対して、「いい加減にしろ!」、と言ってやるだけである。自分の考えをきちんとまとめてブログ等に記録して、誰でも読めるようにしているのであれば、失礼な奴であっても一応多少読んでやろうという気になるかもしれないが、暴言ツイートしているだけの中二病は論外である。
 一体何様のつもりだろう。単に悪口ツイートを続けているだけのくせに、自分が悪口を言った相手が、ツイッターの過去ログを確認してから“批判”すべきだと主張する、というのはどういう感覚なんだろう。神のつもりか? ツイッター上でスターを気取っている連中には、何故か自分を大物だと思い込んでいる輩が多い。やはり前回話題に触れた、元理系研究者を自称し、最近、山川等と結託して反ポモ騒ぎに便乗するようになった「小包中納言」はその後、以下のようにツイートしている。

仲正氏は論理よりも礼儀を重んじる点において私の中では相手をするに値しない人物となりました。もう少し科学概念に対して謙虚になって下さるとよいのですがね。私に対しては上から目線でも構いませんので。

 「論理より礼儀を重んじる」というのは、前回の連載記事のことである。無意味な罵倒ツイートをし、自分の失礼な言動を忘れて逆に被害者ズラできてしまう、記憶力に根本的な欠陥のある人間がどうやったら、論理的思考できるのか? しかもそれを指摘することが、どうして、「論理より礼儀を重んじる」ことになってしまうのか? 本人に自覚はないのだろうか。ところで、「科学概念」に対して謙虚になれ、とはどういう意味か? 私は数学や物理学、生物学の基本概念など適当でいいというような発言をしたことなどない。物理学者であるソーカルや認知科学者であるピンカーの反ポモ発言を妄信する、反ポモ連中の非科学性なら何度も指摘しているが、それが「科学概念」を軽んじることになるのか? どういう論理なのか? 小包中納言は、自分の浅はかな言動を否定されたことをもって、私が「科学概念」を否定したと短絡的に判断したのだろうが、おまえは「科学概念」を「代表」しているのか! おまえは科学の基本法則を支配する神か?
 反ポモとは別のケースでのツイッター上の“神”についても少し触れておこう。今年初め私は、ダイヤモンドオンライン(DOL)に「教育無償化を迷走させた安倍政権ポピュリズム政治の罪」というタイトルの記事を寄稿した――タイトル自体は編集部が付けたものだが、記事の中身に沿っている。すると、安倍支持のウヨクらしいryjsyu (ryusyu)という奴が、大好きな安倍様をけなされたと思ったのか、以下のようにツイートしている。

何もできない大学教授に言えたことか? 仲正の講義なと、学生の私語で聞き取れないのだろう!!学生のとりあえずのやる気?でお茶を濁されているのを分からないから、ポピュリズムなどと意味不明なことを言っている!

 「何もできない」とはどういう意味か? 私は無駄なウヨク・ツイートを続ける、ryjsyuのような輩とは違って、新聞や総合雑誌に寄稿できるし、いくつか外国語が話せるし、他にもいろいろやっている――どういうことをやっているかは、私の著作のいくつかを見れば、すぐに分かる。恐らく、頭の悪いryjsyuは、橋下徹氏等の学者無能呼ばわり発言を擦り込まれて、大学教授は何もできないと思い込んでいて、脊髄反射的にこういうフレーズが出てくるのだろう。「学生のとりあえずのやる気? でお茶を濁されているのを分からないから、ポピュリズムなどと意味不明なことを言っている!」という文は、本当に意味不明である。誰が誰によってお茶を濁されているのか? これで意味が通じているつもりになっているとしたら、常人ではない。
 それにしても、「仲正の講義なと、学生の私語で聞き取れないのだろう!!」という思い込みはどこから出てきたのだろう。私の授業でもたまに居眠りしている奴はいる――無論、見つけたらすぐに起こす!――が、私語で私の声が聞き取れないなどという事態は、私は大学で教えるようになってから二十年以上経つが、一度も経験したことがない。私の大学や、講義や研究会などで出かけた先の大学でも、そんな状態の教室は見たことがない。ryjsyuは、大学に通ったことがないので、断片的な情報から勝手に大学とはどうせこういう所だと妄想しているか、神のごとく全てをお見通しのつもりになっているかのいずれかだろう--恐らくその両方だろう。
 これらの連中に増して神のごとく尊大な態度を取るのは、奈良大の自称社会学者尾上正人である。前回にも述べたように、この男は反ポモ関係でしつこく私に粘着して悪口ツイートを続けている。前回私は、ネット上の反ポモ人間たちが、「ポモ」とレッテル貼りした相手を犯罪者予備軍であるかのように見なし、傍若無人な誹謗中傷を続けていることに対して、「何か似非科学的な商品を売って誰かの健康に害を与えたり、災害対策を遅らせるなどして社会に損失を与えているわけでもない」と書いた。すると、自称社会学者は、

そういう実害も探せばあるかもしれんが(笑)ポモの害というのは人文社会系学問を遅滞させ、権威を失墜させたことだろ

 一体何を念頭に置いているのだろう? あまりに漠然としすぎていて、どういう事態を念頭に置いているのか、本当に全く理解できない――彼がネット上で脊髄反射的に大騒ぎしている、他の反ポモ連中とどう程度の下等動物だと仮定すれば、理解できなくもない。これだけ漠然とした主張は、エビデンスなど示しようがなかろう。反証不可能である。彼はこのツイートの後で補足的に、非科学的な言説によって新薬開発を遅らせて、多くの人の健康や生命を脅かしたということならあるかもしれない、という主旨のことを言っていたが、これは、どのポストモダン系の思想家あるいは研究者のどのような影響を念頭に置いているのだろう?私には、全然具体名が思い浮かばない。山川や祭谷等にはこれだけで通じるのかもしれないが。彼らは神のごとく、この世界で生じるあらゆる事象の間の因果関係を見渡すことができるのだろうか?
 自称社会学者の傲慢はこれだけに留まらない。中二病オタクが、「(ポモ信者である)仲正氏は宗教に関心あるらしい」、という主旨のことを述べていたのに対し、前回私は、「私の過去の経歴と、現在の学問的関心を混同しているのだろう」と述べた。実際、混同していたようである。それについて、自称社会学者は関連して以下のようにツイートしている。

「私の過去の経歴と、現在の学問的関心を混同しているのだろう」 中沢新一なんか見てても、両者は無関係でないどころか根っこで繋がってると思うけどな。信仰も学問も、地雷踏みまくりの人生でしたな(笑)

 「無関係でなく、根っこで繋がっている」とはどういうことだろう。「根っこ」とは何なのか? 中沢氏と私は、ある特定の宗教に関わっていたことと、ポストモダン系の思想研究者と見なされがちであることは一応共通しているが、中沢氏と私では宗教への関わり方はかなり違うし、現在の関心の対象もかなり異なっている。日本のそれ以外のポモ系と見なされている研究者で、宗教との強い繋がりを見出される人はあまりいないだろう。私たち二人に関しては、二つの要素で「根っこ」で繋がっている可能性は否定できないが、それはちゃんと分析してみないと分からない。自称社会学者のくせに、何のエビデンスも示せずに、「根っこでの繋がり」を指摘できてしまう感覚は信じがたい。
 それよりも信じがたいのは、「地雷踏みまくりの人生でしたな」、と他人の人生を神のごとく評価してしまえる感覚である。学問の方でも地雷を踏んでいるというのは、常識的に考えれば、私は研究者としても失敗して、悲惨な人生を歩んでいる、ということだろうが、彼は何様のつもりで、年に何冊も本を出し、いろんな所に講演に呼ばれ、各種の媒体に寄稿するよう求められている私を、挫折して悲惨な生活を送っている研究者の慣れの果て呼ばわりするのだろうか? 彼は普段どれほどの立派な仕事をしているのか? 私には、ヒマで仕方ないので、誹謗・粘着ツイートを続けているとしか思えないのだが。
 彼は昨年末くらいに、「老い先短い仲正と違って、将来のある千葉雅也は…」、という形で千葉氏の将来を心配し、私の人生を終わった扱いする失礼なツイートをしていたが、私は現在五十四歳である。ごく普通に考えて、いつ死んでもおかしい年齢ではないし、深刻な持病もない大学の定年までしばらくある。彼は私の寿命が見えているのだろうか。だったら、本当に神である。