編集部便り

 「子曰く、觚にして觚ならずんば觚ならんや」(三角帽子がとがっていなかったら三角帽子と言えるだろうか)、『論語』の一節である。
 隣国の毛沢東氏はこのワンフレーズをヒントに「革命家の仕事は革命をやる事である」というセールスメッセージを思いついたのであった。革命家が革命をやらずしてどうして革命家といえようか、というわけである。
 元ネタまで遡って詮索する者こそいなかったけれども、このキャッチコピーは時代の波にもうまく便乗して、60年代後半には随分ヒットしたのであった。多くのワカ者の口端に上っただけでなく、中には言葉の自家中毒にやられて人生を誤る者もアマタ出る始末だった。
 論孟時代の「三角帽子」が、巡り巡って一昔前のワカ者の一生をバカ者に狂わせるまで影響力を発揮するのだから、言葉の魔力とはなかなか怖いものである。
 で、この怖い「三角帽子」とはどんな帽子のことをいうのだろうか、「觚」という字を手許の漢和辞典で調べてみると、実は「酒器」のことだというのがわかる。サカズキである。

 「角にて作りし郷飲酒に用ふる爵」。『論語』「子曰、觚不觚、觚哉觚哉」、名のみありて実の伴はざるに喩ふ。
(『大字典』大正六年初版、上田万年他編纂)

 「觚」を「三角帽子」と大胆に意訳したのは故貝塚茂樹先生。更に自由奔放に「革命家」と超訳したのが毛氏であった。
 ところで、なぜ、こんな事を書いたのか、前回、レーニン氏にご登場をお願いしたので、今回は毛氏に、というワケではない。

 ところで、どうでもいいけど『レーニン、毛、終わった』なんて本がありましたね。

『レーニン、毛、終わった』

『レーニン、毛、終わった』

著者のいいだもも氏自身「枕本」などと自嘲していましたが、まさに『広辞苑』級の厚さを誇っていました。多分、誰も読まなかったと思います。勿論、私も読んでいません。一応手に取って見ましたが、重いの何のって……、内容じゃなくて重量ですが。著者が亡くなられたのは東日本大震災の騒ぎが続いている最中でしたから、その死も世間からは完全に無視されるような形になりましたが、本来なら、夕刊紙の社会面に顔写真付きで報じられてもおかしくなかったくらいの人だったと思います。私も一冊、仕事を一緒にさせて頂きました。

『1970・11・25三島由紀夫』

『1970・11・25三島由紀夫』

 前回は、調べ事の必要に迫られ、自分の「備忘録」を過去10数年間に渡って遡り、読み返してみた時の感想として、「備忘録」の充実と本業の充実度が反比例する事を痛感し、この傾向を広く他の事象(取りわけネット)に広げて考えてみたならば、本来ネットを生業としていない者が、充実したネット世界を構築したり、その事に夢中になると言うことは、それに反比例するように本業が疎かにされている危険があるのではないか――、そんな警鐘を書いてみたかったのだが、かかる事実を肉体感覚として知っていた先人の例としてレーニン氏をあげたのであった。
 革命家レーニンが著述家として大家をなす事は、彼に取っては屈辱であり恥ずかしい事であったと思う。で、更に前回、時間があれば、ここで毛氏の超訳『論語』、「革命家の仕事は革命をやる事である」の出番となる筈だったのだが、残念ながらそうも行かず、尻切れとんぼに終わってしまっていたのだった。
 つまり、今回の「編集部便り」は前回の補足ということになる。何ともお粗末なはなしであった。
 それにしても、「觚にして觚ならずんば觚ならんや」とは、言簡潔にして意味深淵なるフレーズでありますね。
 「革命家が革命をやらずしてどうして革命家といえようか」、この「革命家」という箇所に自分を、そして「革命」を自分の職業に言い変えて、各々自分を反省してみれば、お気楽にネットに書き込んだり、投稿したり、自分のブログを充実させる事に時間を割いている場合ではない事に多くの人が気付くのではないだろうか。
 勿論、だから、我が『極北』は貧弱にして、且ついい加減でいいんだ、このままでいいんだ、と居直っているわけではない。むしろ、ホンネでは、せめてブログぐらいちゃんとしたものにしたいと思っているのである。しかしそれを言うと自家撞着に陥ってしまうし、ホント、どうしたらいいんでしょうか。頭が痛い私であった。
 (註)毛沢東の超訳『論語』、ヒトに言わない方がいいと思います。私が勝手に言っているだけですから。恥かきますよ。