編集部便り

 レーニン氏は革命についてあれこれお喋りするよりも、実践する事の方が好きな男であった。巷、騒然とし、革命の秋(とき)まさに近づけりと察すると、それまでシコシコ書き続けてきた、来るべき革命の未来図を構想した原稿を脇に押しやり、躊躇なくペンを投げ棄て、嬉々として街頭に飛出していくような男であった。革命についてお喋りするよりも、革命を成就する方が意義深いと笑いながら。
 皮肉だけれども我々にとって伝えるほどの価値がある――、記すべき程の意味がある――、と思われる事柄は、かえって当事者によっては記録される事なく、時は電光のごとく過ぎ去ってしまうものなのである。

 生来、薄味脳の私は、記憶力に劣り、ややもすると、朝食の内容を夕食時には思い出せないでいると言うような男であるが、だからこそ自戒を込めて、日々、仕事で会った人物の名前、当日の印象的なできごと等を「備忘録」として書き残し、後日の記憶喚起に役立てるべく心がけてきたつもりであった。
 それまで2年近く務めていた会社を退職し、十数年前、ひょんなことから数名で新しい会社を始める事となったのだが、それからは特にかかる「備忘録」の必要性を痛感し、以来今日に至ってる。
 例えば、今から5年近く前の09年8月7日の記述に「O氏より犬預かる。T歓待するも、今後を思うと懸念なきにあらず」とある(OもTもあえてイニシャル表記に訂正)。これによって、5年前のこの日、初めて駄犬ラッキーが河田町に来たことがわかるのである(写真参照)。

2009年8月7日ラッキー

2009年8月7日ラッキー

2009年8月7日ラッキー

2009年8月7日ラッキー

 そうか、ラッキーがここに来てからもう5年が経過しようとしているのだな――、そう思うと感慨深いものがあるが、今日、ここで触れたいと思うのはそのことではない。

 最近、その必要に迫られ、会社にまつわる「あれこれ」の事柄を調べることとなり、件の「備忘録」を過去に遡って確認する機会を得た。そこで思い出されたのが、既述のレーニン氏の故事からの教訓なのだ。
 私の「備忘録」には明らかに一つの傾向があった。
 それは仕事に追いまくられていた時期、別の言い方をすれば、余裕なく脇目も振らず仕事に集中せざるをいなかった時期、もっと別の言い方をすれば、仕事が最も充実していた時期の「備忘録」の記述が実は一番貧弱なのである。
 何人かで会社を立ち上げて十数年、この間、何回かエポックになるような時期を経て現在に至っているのだけれども、それらエポックの時期の記述はほとんど空白になっている。甚だしきは半年間、完全に何も記述がない時期がある。しかし、今振り返って思えば、それらの時期の事柄こそ、記述されていなければならない「事柄」であり、今に至まで必用とされている「あれこれ」なのであった。
 逆に、言わずもがなの教訓譚や思索めいた文言が文面を飾り、毎日キチンとルーチンワークをこなすかのように記録された、「備忘録」に「欠けたるところ無きがごとき時期」こそ、仕事においては一番不毛をかこつ時期に重なるのである。

 ここまで記せば本文に記した私の意図は解るであろう。実は、かかる実感を持つが故に、私はツイッターやフェイスブックの類いを器用にこなす人たちの几帳面さに警戒感と不信感を持っているのである。
 本当に、やるべき事のあるほどの人は、お喋りに日々自分を切り売りするような事をするであろうかと思うのである。ツイッターやフェイスブックの類いはひょっとしたら、そのかなりの部分が、無聊を紛らわす為の必要性を持たない代償行為なのではではないかと疑っているのである。
 そんなわけで、当分、私のネット嫌いは収まりそうもない事を記して今日はオシマイ。もっと上手にネットを活用する方法を学べば、考えも代わってくるのかもしれないけれどもと、ちょっと弱気になることもある。