たけもとのぶひろ(第26回)– 月刊極北

今月のラッキー

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日本国憲法・第九条にノーベル賞を 上山春平著『憲法第九条―大東亜戦争の遺産』(明月堂書店)が参考になる(4)

 主権国家の主権の委譲――ということを、もう少し立ち入って考えたいと思います。
 一国の主権の主たる部分――平和と安全の問題を “他者” に委ねるとなると、その国はもはや主権国家たりえず、「半主権国家」の身分となります。ぼくらとしては、ここで、その半主権国家の運命はいったいどうなるのか? と問わずにはいられません。

 委譲した主権を引き受ける他者によって、運命は二つに分れます。ひとつは、特定の国家が引き受ける場合です。いまひとつは、(国家の上位概念として想定される)国際政治機構が引き受ける場合です。半主権国家は、前者だと、特定国家の属国ないしは保護国(同然の国家)とならざるをえませんが、後者だと、国際政治機構を構成する下位国家として、閉じられた「主権国家」から、開かれた「国際国家」へと転身する可能性が開かれます。このように両者の運命は、天と地ほどにも違いがあります。

 上山先生は憲法9条について、理念としてはもちろん後者をめざすものととらえ、それこそは「人類最初の国際国家の制度化の試み」であった、と論じておられます。
 ここで「国際国家」の定義をあげておきます。
 「「国際国家」というのは国際政治機構の下位機構としての国家であり、武装自衛権をふくめて主権の主要な要素を上位機構としての国際政治機構に委譲する形態を、その成熟形態として想定している」(上山前掲書)。

 上記の定義に即していうと、「下位機構としての国家」が委譲する主権の受け皿たるべき「上位機構としての国際政治機構」が存在していないからには、半主権国家が「国際国家」へと開かれていく道はなかった、ということです。
 つまり、「国際国家」もまた、「平和の論理」がそうであったように、ただの言葉だけの、あるいは建前上の “理想” にとどまった。とどまらざるをえなかったということです。

 しかしながら、ここで確かめておきたいことがあります。「平和の論理」ないし「国際国家」という考えについて、単なる “理想” に終わったといま書いたばかりですし、終わらざるをえなかったのは事実です。それはそうなのですが、そのように片づけてしまってよいものなのかどうか。それらの考えにみちびかれつつ生まれたのが、世界に二つとない我が日本国憲法――とくにその「前文および第9条」――であるとしたら、その思想的来歴というか、よって来たるところを知っておく必要があると思うのです。

 「国際平和」という憲法9条の理念は、そのおおもとを尋ねれば1928年の「パリ不戦条約第1条」にゆき着くというのが、上山上掲書の指摘です。
 第一次大戦の反省から生まれた不戦条約第1条は、19世紀の国際法において至高の存在とされた「主権国家の交戦権」を否定して、次のように宣言しています。「締結国は国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言す」と。

 上の「不戦条約第1条」は正式には「戦争放棄に関する条約」とされており、国際法の歴史を画する宣言としてその名を知られています。そして、ぼくらの憲法9条第1項は、まさにこの「不戦条約第1条」の文言を引き取るような、引き継ぐような気持ちで起草されており、その名も「戦争放棄の原則」と呼ばれていることが広く知られています。

 いまや “時の人” となった観のある9条第1項を示します。
 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
 この条文を前掲条約第1条とつないで読んでみてくだされば、9条の理念が国際法の100年近い歴史に裏づけられているのだな、と得心していただけると思うのです。