著者の人格をけなさないと、「批判」したことにならないという変な思い込み


仲正昌樹[第64回]
2019年9月14日

最近のラッキー(記事とは

最近のラッキー(記事とは関係ありません)。

 以前、少し異なった側面から話題にしたことがあるが、他人の本や論文を論評するには、その著者がどういう人か分からないといけない、と思い込んでいる妙な人たちがいる。中高の国語の授業で習っておくべき、言わずもがなのことを言っておく。本や論文を理解するうえで、相手の人格は関係ない。著者の人格を知らないといけないと思い込んでいるとしたら、その人の国語力にはかなり問題がある。
 著者がどういう人か知らないといけない事情があるとしたら、その文章を参考にして、その人と一緒に仕事ができるか、何らかの直接的な交流を持てないか検討している場合である。単に批評を書くだけであれば、著者の人となりを知る必要などない。新聞に書評でも書くのであれば、著者のちょっとした経歴くらいは確認しておいた方がいいかもしれないが、ネット上で、(特に匿名で)感想文を書くだけなら、そういう情報さえ必要なかろう。
 しかし、ネット上の悪口人間たちは、やたらと書き手の経歴とか評判を知ろうとする。本人と面識がないので、ネット検索でいろんなネガティヴ情報を拾い集めてくる。どういう前提で文章を読んでいるのだろうか。あるいは、とにかく他人の悪口を言って憂さ晴らしをしたいという欲求が先ずあって、言いがかりをつけるために、ネットで閲覧することのできる文章を流し読みしているだけだから、人格攻撃するのは当たり前と見るべきなのか。
 最近、私のある著書に対する、arcarsenalと名乗る人物による以下のようなアマゾン“レビュー”を見つけた。最初に、別に読まなくてかけるような、一応の賛辞――「仲正は整理がうまい」という類のもの――が短く書いてあって、その後に次ぎのような文が続く。

ここから先は本書というよりは著者の行動に対する批判となってしまうが、著者はあまりにネット上の著者に対する批判にムキになって反論し過ぎるきらいがある。「現代思想を勉強している」と自称する人間の中で少なくない人間がかなり雑な理解で悦に浸っていることは分かるし専門家である著者がそれにイラ立つことがあるのもわかるが、著者による反論はほとんど「罵倒」に近いレベルになっており、著者を批判する気もなく著者の本を読むだけのファンとしても、そんなに何も喋るなと言わんばかりの罵倒が浅い理解の人間に対してなされるのであれば著者の本を何のための読むのかわからなくなってくる。なんせ結局ここに書いてあることだけで喋っても罵倒されてしまうのだし。腹の底では読者のことも馬鹿にしてるのかな…と思ってしまう。
 本自体は文句なし! ですが、著者のスタンスと、著者の本を読むという行為を、どう結び付けて理解すればいいのかわからないので、星は4つです。

 上記のように、著者の人格を問題にしていること自体がおかしいうえ、それを一応「レビュー」のために設定されているサイトに書いているのだから、なおさらおかしい。ただ、それ以上におかしいのは、この人物は、私の人格を問題にしようとしている割に、かなりたちの悪い情報操作をしている。意図的にやっているのではないのかもしれないが、だったら、猶更、たちが悪い。
 「著者による反論はほとんど『罵倒』に近いレベルになって」と言っているが、それはその罵倒されている連中が、「批判」ではなく、私に対する個人攻撃をしているからである。この連載で散々書いてきたので、例示するまでもないが、「この程度で国立大学の教授になれるなんて」「仲正なんて、誰からも相手にされていない」「ポモとして生き残るため、必死」などという罵詈雑言を並べ立てるような輩に、バカはどっちだということを示してやっているだけである。こういう連中は、著者の悪口を言うことを第一目的にしているので、私の文章をまともに読んでいない。自分に理解できそうな単語だけ拾ってきて、適当に仲正がバカに見える作文を作っているだけである。
 本来なら、「バカはお前だろ!」だけで充分なのだが、それだと、私がその誤読だらけの“批判”もどきを認めたように見えるかもしれないので、誤解の余地がないように、どこがおかしいか指摘しているのである。罵詈雑言を目的とした誤読だらけの文章を解読して、どういうつもりで書いているのか再現してやっているのだから、第三者的に見れば、むしろ親切だと評価してもらってもいいくらいだが、arcarsenalにはそれが分からない、あるいは、分からないふりをしているのである。彼には、私を罵倒している連中の失礼さは全く目に入らないで、それに対する私のささやかな反撃が、ひどい罵倒に見えてしまうのか。信じがたい認知バイアスである。
 ひょっとしたら、彼はかつて、私に“罵倒”された、あるいは“罵倒”されたと感じた毒者の一人で、逆恨みしているのかもしれないが、だとしたら、甘えるのもいい加減にしろ、と言いたい。私は毒者たちの学級担任でも、介護福祉士でもない。
 更に、「そんなに何も喋るなと言わんばかりの罵倒が浅い理解の人間に対してなされるのであれば」という言い方は、私が、たとえ著者を貶めようという悪意が認められなくても、見当外れのコメントをしている読者全部を罵倒しているかのような印象を与える。明らかにミスリードである。悪意がなさそうな一般読者に何か厳しいことを言うとしても、精々、「原典をちゃんと読むべきだ」とか「早合点してはダメ」といった程度のことだ。彼の頭の中では、悪口ツイッタラーに対する反撃と、そういう一般的な注意がごっちゃになっているのかもしれないが、それはかなり重症である。そういう“重症者”に、私の人格を云々されたら、腹を立てて当然ではないか。
 最後に一言。上記のような、文章を書く時の最低限のマナーを弁えないまた、「著者の本を何のための読むのかわからなくなってくる」、などという情緒的な反応をする読者はいらない。出版社や書店は、そういう奴も込みで商売しているのだろうけど、著者である私個人としては、そういう奴は本当にいらない。逆に、人格攻撃的なものを含まない、純粋に内容に関するピンポイントの批判・指摘であれば、歓迎する。