他人の“心配”ばかりしたがる超ヒマ人


仲正昌樹[第57回]
2018年7月18日
著者近刊紹介『ドゥルーズ+ガタリ入門講義』(作品社)7月下旬発売予定

著者近刊紹介
『ドゥルーズ+ガタリ<アンチ・オイディプス>入門講義』(作品社)7月下旬発売予定

 自分が現在取り組んでいる、あるいは取り組むべき仕事が行き詰まり、どう努力しても好転しそうにない、という挫折感に囚われた時、頼まれもしないのに、他人の境遇を“心配”し始める人がいる。無論、本当に心配しているわけではない。自分自身に関する心配や絶望をその相手に投影しているのである。心配するふりをするだけならまだいいが、頼まれもしないのにいろいろと口うるさく、その相手の行動に口を出し始めると厄介だ。「あなたは〇〇しているけれど、それは◇◇という問題を引き起こし、あなた自身にも周囲にも迷惑をかけている。それに気付くべきだ」、というような調子で。実際には、そんな余計なお世話で他人の行動に干渉している自分が一番迷惑なのだが、そういうことに気付かない。
 これまでこの連載で何回か話題にしたように、私と縁もゆかりもなく、学者の世界のことも全く知らないくせに、学者としての私の立場が苦しくなり追い詰められ、精神状態がやばくなっているなどとネット上で騒ぎたがる奴がいる。そういうのは、騒いでいる連中の思い込み、あるいは、そうであったらいいという願望に過ぎない、大学の教員は彼らが思っているような追い詰められ方をしないということを指摘しておいたのだが、彼らはそれを受け容れようとせず、「いや、そんなはずはない!あんたは追いつめられているはずだ!反論しているのが証拠だ!」、などと強弁する。
 本当に私が追い詰められて惨めな立場にいると確信しているのであれば、私が大学を首になりそうだとか、教育とか大学管理運営上の問題で責任追及されているかとか、出版や講演の機会が激減して収入の面でも社会的ニーズの面でも困窮しているとか、具体的証拠を示すべきだが、当然、そんな証拠などない。関係者にそうしたことに関する――思い込みによる単なる罵倒ではない――客観的な情報の提供を求めるサイトを作ってもらっても、別に構わないが、そういうことはやろうとしない。とにかく自分がそうであってほしい“仲正”像を勝手に作り上げ、勝手に哀れみ、心配したふりをする。
 こういう見当外れのことを――「ポストモダン」思想絡みで――言っている連中の大半は、事実上のニートである。恐らく、学者としての偉そうにしている仲正は、実際には「ポモ」の退潮によって物凄く追い込まれており、ニートに近い自分よりも惨めな状態にある、本当に可哀想なのはあいつだ、と思い込むことで、自分の気持ちを落ち着かせたいのだろう。アカデミックな哲学や文学研究とは縁のなさそうな、ただのアニメ好きのニートでしかない人間が、「ポストモダン」がどうのこうのという話題に首を突っ込み、東浩紀氏や千葉雅也氏に粘着するのは、「一見華々しいけれど実際にはすごく惨めな学者=ポモ学者」を見つけ、その人間をバカにしたり、憐れんだりすることで、自分の惨めさから目を背けているのだろう。露骨にけなそうとするか、憐れんで心配するふりをするかは表面的な違いでしかない。とにかく自分自身に対する哀れみを他人に転嫁し、自分自身の惨状を直視しないようにしているのだろう。
 ポモ系と見なすことのできる学者の悪口なら何でもいいという乗りの、低レベルな「反ポモ」たちの野合集団である山川ブラザーズの面々とつるんでいる樫原辰郎という男がいる。本業は、映画監督であり、ポストモダン思想のことなどあまり関係ないはずだし、実際、それほど知識もないようなのだが、山川等の反ポモツイートに迎合したがる。少し前、「室井岬‏ @Muroi_Misaki」という人物のやりとりで、以下のようにツイートしている。

前者の件は知りませんでした。仲正さんは学者として確かな実績があるのに、なぜあれほど山川ブラザーズを攻撃するのだろうか、と思いますね。

岡本裕一郎の『フランス現代思想史』が出た時に千葉さんが速攻で否定したのとか、仲正さんが山川ブラザーズを執拗に攻撃するのとかは、権威を失う事に対する焦りの現れだと思います。

千葉さんは最近も、ソーカルのやった事は悪いことだ、みたいな発言をしてましたね。仲正さんは、なんだか止められなくなってますね。

「アンチ・オイディプス」入門講義て! そういうことですか仲正先生… https://twitter.com/baddiebeagle/status/999536713117585408 …
悪漢と密偵 @BaddieBeagle
作品社7月予定 『アナーキズム』森政稔 『The Aftermath』リディアン・ブルック/下隆全 『本居宣長』熊野純彦…
返信

 という風に、勝手に私を病人扱いし、勝手に納得している。同情されるべきは、こういう妄想をしてしまう彼のおかしな心理状態である。この連載で何回も言っていることだが、私は、山川ブラザーズの中身の薄い「反ポモ」な主張などどうでもいい。連中が、「反ポモ」のために私の名前を引き合いに出し、私が言ってないことを言っているかのように捻じ曲げて宣伝するので、それに対する不快感を表明し、かつ、ことのついでに、この連中をネット上のバカのサンプルとして軽く分析しているだけである。自分たちがひどく罵倒したことを忘れて、あるいは、なかったことにして、「どうして仲正は……」等と言うのは、まともな精神状態ではない。
 そもそも、哲学・思想業界のことはほぼ無知なのに、どうして私が「権威を失う事」に焦りを覚えているなどと余計で見当外れな推測をするのか?また、それと、私の近刊『アンチ・オイディプス入門講義』との間に何の関係があると思っているのか?
 恐らく、[ドゥルーズ+ガタリ等の代表的なポモの理論家の権威が失墜すると、仲正も権威を失って、学者・著述家としての立場が苦しくなるに違いない⇀だから、反ポモ情宣をする山川ブラザーズに無駄な戦いを挑む⇀近刊で、ドゥルーズ+ガタリの権威の復権を試みているので、余計に山川ブラザーズの動向が気になっている⇀だから必死になっている]、というような形で、粗雑な思い込みによる推論を重ねたのだろう。
 先に述べたように、私の学者としての立場が苦しくなっているかどうかは、ちょっとしたネット検索で確認できる。私がドゥルーズ+ガタリを復権させるために、必死で擁護本を出さねばならないかどうかは、人文系の出版業界の事情をよく知っている人間に聞いてみればいい。そういうことをやらずに、憶測で他人の“心配”をしているのは、自分自身の心境を強引に投影しているとしか思えない。自分自身の将来を本気で心配した方がいい。
 反ポモとは少し文脈が異なるが、数年前から私にやたらと言いがかりをつけてくる、山崎行太郎という自称文芸評論家のボケ老人がいる。この男は、自分自身は大学の常勤教員として採用されたことがなく、七十過ぎまで、カルチャー・スクールの講師などを細々と続けているにすぎない。一応、慶応の文学系の研究科の修士号だけは持っているようだが、博士号は取得しておらず、学術的な著作はない。真正保守を名乗って、売れっ子の保守系論客を罵倒する本をたまに出しているだけである。そして、STAP細胞問題や日大アメフト部事件などで、事情をよく把握していないくせに、気に入らない当事者を罵倒する、見当外れのツイートをして、炎上騒ぎを起こしている。そうでもしないと、注目されないので必死なのだろう――アメフト部事件に関しては、日大の芸術学部で、友人のお情けで、ほとんど名前だけの非常勤講師をしていたので、見当外れに恩義を感じて、勝手に参戦して、火に油を注いだのかもしれない。
 そういう誰がみても可哀そうな奴なのに、しばらく前に「田舎の駅弁大学の教授」である私の境遇を憐れんでくれるかのようなツイートをしている。これこそ、自分の心境を他人に転嫁しようとする、メンタリティの典型である。その駅弁大学の教員になれる可能性さえないまま、学者になることに挫折した自分の境遇をどう思っているのだろうか。ネット上には、自分の問題を直視できないがゆえに、関係のない他人のことを“心配”したがる病人が多すぎる。