猫が主役の竹本一家(2)


2 ファミリーに新顔参入――京都編

たけもとのぶひろ
2018年6月28日

ペロ

ペロ

 五郎との生活が1年、五郎にニ〜子をもらってあげて三人家族で2年3年は暮らしただろうか、今度はぼくに連れ合いができて深沢から用賀に移って3年くらいの頃、思いがけない事の成り行きで、京都の実家が空き家になった。実家に住む人間はぼく以外にない。東京を引き払うことにする。全国に指名手配された1972年1月から数えると33年余の、2005年3月末日――平成で言うと浦和を出所したのが元年だったから17年の東京生活ののち――生まれ故郷に帰ってきたのだった(その後しばらくは東京の事務所を維持して、行ったり来たりの生活だったのだが)。

 越してきてすぐの4月に入ったばかりの頃、野良の子猫に出会った。生後3,4か月の黒白の猫。顔がユニークで、1回見たら忘れられない。鼻の上、両目の真ん中のところから、黒い毛と白い毛の境が「八の字」を書いたように交わり、末広がりになっている、福を呼ぶ猫だ。それだけではない。鼻の先が黒いし、鼻の下の真ん中のところの毛が黒い。まるでチャップリンのちょび髭みたいで、それだけでもユーモラスなのに、おまけにそのちょび髭の下から舌がぺろっと出ている。思わず「ペロ」と名づけたのだが、本人としたら、笑い事ではなかったのだ。

 初めのうちは可愛い可愛いと喜んでいたぼくではあったが、どうしても気になってくるのだった。ペロの舌は外に出たままで、どうして引っ込まないのか、と。
 野良猫ペロのお母さんは、当然、野良猫だ。彼女は、毎日朝晩エサを求め、なんとかありつくまで、街中を行ったり来たり這いづり廻らなければならない。お母さん猫は自分のためだけでなく、産まれた子猫の母乳の分も栄養を摂取しないと、子どもを育てることができない。母猫がたっぷり食べてくれないと、母乳の必要量が満たされない。そうすると、どうなるか。産まれた子猫の兄弟姉妹の間で母乳の奪い合いになる。身体の大きい力の強い猫が有利に決まっている。その分、身体の小さい力の弱い猫が割を食らうのは避けられず、元気に育っていくかどうか、危ぶまれる。
 ペロは小さくて弱かったために、みんなから押しのけられていたがために、いつも母乳の摂取量が十分でなく、生まれつき歯が弱かったのではないだろうか。そうした事情もあってか、上下左右の4本の牙(犬歯)のうち上の1本を残して3本がなくなっている。ために舌の全体を口の中にきちんと収納することができない。どうしてもぺろっと出てしまう――そういうことだったのではないか。
 ぼくは見ていないのだけど連れがたまたま見かけたのがペロの母親だったとしたら、悲惨の一語に尽きると書かざるをえない。その母猫は、ほとんど骨と皮だけになっていて、身体の幅というか厚みというか、そういうものがまったくなくなっていて、なんとか立ってはいるが、立っているのが精一杯で、あとはもう野垂れ死ぬしかないという、そんな姿だったという。

 母猫は救出できないにしても、ペロだけは何とかしてあげないと。可哀相で、見るに見かねる。ちょっと考えればわかるだろうに、最初は蝶々を捕る網でつかまえようと試みる。そんな安直なノリで捕まえられるような相手ではない。人間に迫害されてきた野良猫なのだから。最初はそういうことさえわかっていなかったのだ。
 五郎や二〜子は、野良の出身ではあっても、捕まえてもらった猫だし、自分自身で捕まえる体験はしたことがなかった。何事も一から勉強するしかない。それは試行錯誤なんて甘いものではなかった。ハッキリ言って難行苦行の類いであったと思う、とくに連れ合いにとっては。そのあらましを書く。

 まず、ペロのための生活空間を作らなければ。家の裏手だけれど敷地の内側に道が通してある。道幅が1間に満たない狭い空間ではあるが、まずそこにペロのハウスを置く。自宅は桃山城がすぐ近くの山の上にあるため、冬は1日中寒い。夏でも朝晩は冷えこむ。電気ごたつや清潔な毛布で暖めてあげないといけない。夏は電気蚊取器も欠かせない。毎日、朝と晩、カリカリと缶詰少々を与え、飲み水と寝具は新しいのに取り替える。その度に連れは、優しく声をかけ、文字通り献身的に尽くしているのだけれど、ペロはなかなか心を開いてくれない。 “ふぁ〜っ” と怒られる毎日だ。
 そんな日々が半年近く続いたであろうか、ある日、連れはペロに対してある考え方を提案した。これまでのように、ハウスの前で飲み食いするのを止めて、ちゃんとした食堂を買ってくるから、その中で食べたり飲んだりしてもらいたいのだが、いかがか、と。
 これまでのハウス(寝室)とは別にゲージ(縦45cm・横30cm・奥行き60cm)を買ってきて置く。それが食堂。食堂の設置は、必ずその中で食事をするように躾けるのが目的だった。

 それからさらに4か月、辛抱した。ペロは何の疑いもなく、自分専用の食堂(ゲージ)に入ってメシを食うようになった。もう大丈夫、ぼくらは決断した。ペロを家の中に入れるのだ、と。ある日の朝の食事中、いきなりゲージの入口を閉めた。ペロは、突然閉じ込められて吃驚し、混乱した。恐怖のためパニックになった。こちらも慌てていたのだろう、何をどうしたかよく覚えていないが、中で暴れているペロには構わず、ゲージを抱えて家の中に駆け込んだ。唐草模様の大きな風呂敷でもって、ゲージを包んだ。暗くて狭い空間を得たのがよかったのであろうか、なんとか落ち着いてくれた。
 時を移さず、すぐに動物病院へと駆け込んだ。2006年2月13日、この日をペロの誕生日とする。とりあえず、必要最低限の検査と処置をしてもらわなければならない。まず猫エイズの検査は陰性だった、ひとまず安心。これで五郎や二〜子といっしょに暮らすことができる。雌雄の別も見てもらう。ペロは女の子だった。可哀相だけれど、避妊手術をしないわけにはいかない。無事完了。詳細な診断は後日のこととし、今日のところは帰ってよい、とのこと。そうと決まれば、一刻も速く家に帰りたい。

 玄関を入ったところでゲージから出してあげる。狭い家だし、幾つも部屋があるわけでないし、どこがどうなっているか直ぐにわかってしまうのだが、急ぎ足であちこちしている。狭くて暗いところ、逃げ込んで落ち着けるところを探してのことだろうか。
 畳半畳分の押入れの入口のところががほんの少し開いているのを、ペロは見逃さなかった。頭で押し入って、丸くなった。小さいから、どこだって入ってしまう。そのとき覗きこんだ連れ合いをペロがふり返り、目が合ったという。「こんな嬉しいことはない」と言わんばかりの表情をした、ペロのその顔が忘れられない、と連れ合いは述懐する。

 うちに来たばかりの頃のペロは、昼間はまだ怖かったのか、押入れとか洋服ダンスの中に作ってもらったスペースの中でじっと丸くなったまま、ただひたすら眠りこけ、夜になり人間が寝てしまうと、行動開始のスイッチが入るのか、来る日も来る日も家の中のあちこち――と言っても同じ狭い空間なのだけれど――を探検してまわって飽きないのだった。

 いつの頃からであったか、昼間でも台所や居間に出てきて、五郎や二〜子と遊ぶようになった。猫とは懐いてくれている! とりあえずは大進歩だ! 
 ぼくら人間は、近寄るだけで逃げられる。抱っこすらできない。ぼくらのことを嫌ってのことではない。それは十分に承知している。情けないには情けないが、そうとばかり言ってはいられない、病院に行かなければ。捕まえたあのときから後は行っていないし、ペロが何かの病気にかかっていないか、身体全体をよくよく診てもらわなければ心配だ。
 診てもらった。問題は二つあった。一つは、ぺろっと出ている舌に関連していた。上下左右4本あるはずの牙(犬歯)のうち残っているのが1本のみという状態なので、どうしても舌が出てしまう、可愛い可愛いでは済まない、それが口内炎の原因になっている、辛うじて残っている1本も抜いてしまった方がよい、との看たてだった。抜いてもらった。口内炎は解決した。その代わり、ぺろっと舌を出してくれる回数も減った。少し残念。

 二つ目の問題は深刻かつ厄介だった。血液中の老廃物を濾過する腎臓の機能が徐々に破壊されていくために老廃物を排出できなくなる――「慢性腎不全」だとの診断だった。病気の進行を遅らせることはできるが治すことができない “不治の病い” として知られる。
 どこが深刻かつ厄介か、手短に説明する。猫はもともと砂漠の生まれだから、飲み水は十分でなかった。できるだけ多量の老廃物を濾過・凝縮して、限りある摂取水分のなかに含ませ効率よく排出する――できるだけ少量の飲み水・できるだけ多量の老廃物を濃縮する腎臓の働き・少量の尿の排泄――見た目で言うと、黄色い濃いおしっこをしている猫は、腎臓が理想的に働いている証拠だという。
 ところが、腎機能が低下してくると、老廃物の濃縮効率が低下し、少量の飲み水で排出できなくなる、老廃物が体内にあると気持ちが悪いから、大量の水を飲んでなんとか排出しようとする。しかし、多飮多尿にもかかわらず排出する老廃物の量は少ない。老廃物は減らないから、猫は水を飲み続ける。脱水症状である。水のようなおしっこしか出ない。
 多飮多尿はこの病気の初期症状とはいえ、これが認知される頃の猫の腎機能は相当程度破壊されている。食欲不振、嘔吐、貧血、体重減少、元気喪失、被毛劣化などが常態となる。辛そうだし、苦しそうだし、体重は目に見えて減っていく。体内に溜まっている老廃物を排出できないことが、すべての原因である。

 可愛いペロのことを思うと、居たたまれない。親としてできることはすべてしなければいけないと、日々決意を新たにする。
 動物病院は一長一短で納得のいく獣医師さんになかなかめぐり会えず、あちこち訪ねた。お世話になった獣医師さんは十指に余るのではないか。ふつうの状態だと週に2回の通院だったが、具合が悪くなると、一日おきとか毎日とかの日々もあったと思う。
 とくに血液検査でCREA(クレアチニン)とBUN(血液尿素窒素)の数値とその推移を調べて、ペロの腎臓機能の状態を正確に把握する必要があった。そのデータに基づいて医者は、血圧安定剤とか、ホルモン剤とか、各種栄養剤とかを生理食塩水の中に混入し、皮下点滴ないしは静脈点滴によって、体内に注入するわけだから。

 家でも在宅治療に挑戦した。嫌がる腎臓食をできるだけ食べてもらおうと、ペースト状の栄養食を食べさせた。慢性腎不全猫用・高齢猫用の特別食を求めてきて強制給餌した。獣医師に教えてもらって、皮下点滴にも挑戦した。病院に行かないときは在宅で点滴した。
 もうこれ以上は尽くしようがないというところまで頑張っているつもりだったし、この病気そのものが、中年から高齢の猫の多くが罹病する病気であるとか、猫の死因のなかでもっとも多い病気だとか、といった情報を教えてくれる人もありして、苦しんでいるのはペロだけではない、ぼくらだけではない、今日一日を精一杯生きる以外に道はないのだ、などと何度も何度も自分に言って聞かせる日々であった。

 このように書いてくると、いかにもきついし暗い日々を耐えてきたかのように聞こえるかもしれない。しかし、それはまるっきりのウソではなかったにしても、本当のことはまるっきり違っていた。そうであればあるほど、ペロの可愛いところ・嬉しいところ・面白いところを探し出しては、 “こんな猫はどこにもいない、ペロは凄い!” と身贔屓の自画自賛に夢中になっていたのだから。数ある魅力のうち、ほんの一例を以下に。

 上記のようにペロは、生き残っていた牙(犬歯)の最後の1本を抜いた。ほかの歯もほとんどない。だから、歯がないペロは、赤ちゃんツバメの口みたいで、可愛いったらない。その口で鳴くと、にゃ〜んと声が出ないときがある。黙って鳴くのを、ぼくらは “口パク”と呼んで、面白がっていた。もちろん声になるときもあるのだが。そのときでも、しかし、にゃ〜んとか、みゃ〜みゃ〜とかは無理。口の中の構造が普通の猫とは違うのだから、できない。どうしても、あう〜んとか、あお〜んとか、お〜んとかになる。鵜――カワウとかウミウとか――の鳴き声みたいに聞こえる。人間の赤ん坊も、時と場合によっては、こんなふうに泣くかも、と思ったときもあった。鳴くときのペロは、頭をやや持ちあげるようにして少し前につきだして鳴く。鵜のような鳴き声であっても、悲しいのか、甘えているのか、怒っているのか、すぐにわかるのだった。

 クンクンというのもある。台所でアジとかサンマを焼いていると、いつの間にか、ペロが後ろに来て座っている。鼻をクンクンと動かして、臭いを嗅いでいるのだ。大半の人は、“なぁ〜んだ、そんなこと” とお思いだろうが、ペロのクンクンは並みのクンクンではない。なにしろ、幾つになってもペロは子猫だったから、鼻も極端に小さい。鼻の穴はさらに小さい。その小さな鼻と鼻の穴をクンクンクンクンと動かすのだから、たまらない。死ぬほど可愛いい。魚に反応するのはペロだけで、五郎も二〜子も欲しがらない。二人はきっと魚を食べたことがないにちがいない。ところが、ペロは我が家の一員となるまでに、他所の家で人間の食い残しの魚なんかを食わせてもらっていたのではないか。そうした中で、クンクンの “芸” も覚えたのではないか。塩分は腎不全の敵なのだけれど……。それでも、あげなかった。あれだけ欲しがっていたのに。そのことが、多くの悔いのなかの一つとして今でも思い出すと、いたたまれない気持ちになる。

 「いらっしゃいませ」というのもあった。何度も言うことだが、幾つになってもペロは小さい。大人の大きさにならない。そのことでペロはものすごくトクをしていると思う。
 小さいから脚も短い。坐ると、どうなるか。普通の猫なら、長い前脚を中程の関節で内側に折り曲げて坐る。ところが、ペロは子猫みたいだ。前脚も短い。半分に折り曲げるまでもない。と、どうなるか。2本の前脚を揃えて前に出したままで坐ることになる。その様は、行儀よく両手をついて「いらっしゃいませ」の挨拶をしている――かに見える。
 ペロはほんとうに可愛い、失いたくない、いつまでもいっしょに暮らしていたい、と神に祈るような気持ちだった。

 もう一つ、二〜子の側を並んで歩いているペロの姿が忘れられない。本人はきっと並んで歩いているつもりだろうが、いつだって少し遅れがちになる。身体が小さい分、歩幅も狭いだろうし。すぐ横を追うようにして歩いている、ふたり並んで。そんなときペロは、いつも尻尾をピンと立てている。二〜子といっしょにいるのが嬉しい。その得意げな顔は、一度見たら忘れられない。ただ、それを何と表現したらよいのだろうか!
 ペロの尻尾は、生まれつき先の方がほんの少し曲がっている。でも、気にならない。二〜子がそれも含めて好いてくれているから。そのことをペロは誰よりもよく知っているのだった。だから、ふたりで家の中を歩きまわるのが大好きだった。

 思えば、ペロは幼いときに母親に死なれているために、お乳も愛情もろくすっぽ与えてもらっていない。だから、なおのこと、二〜子をお母ちゃんと思いたいに違いなかった。
 二〜子は二〜子で、避妊手術を受けているし、子どもというものがどういうものか知らずに来た。そこへたまたまペロがやってきて家族に加わり、一つ屋根の下で暮らすようになった。そのペロがどこまでも自分を母と慕ってくれる。彼女はどんなに嬉しかったことか。ペロを見るニ〜子の目は、母親のそれであったと思う。

ペロ(左)とに〜子

ペロ(左)とに〜子

 なにしろペロは、二〜子に甘えたい、構ってほしい、いつもいっしょに、いつまでもいっしょに居たい。だから、どのタイミングでアプローチすればよいか、間合いを計っている。チャンスを狙っている。ペロがどこかをじっと見ているとき、その目線の先には、たいてい二〜子がいる。
 身体ごとぶつかっていく。頭から突っ込んで行ってごつんこする。毛繕いをおねだりしているのだ。余りしつこくすると怒られるけれども、結局は、二〜子のほうが根負けする。とうとうペロは、抱っこしてもらって、舐めてもらうのだった。
 二〜子はペロの頭を抑えこんで舐めてあげる。ペロは首のところも舐めてほしいんだよねと言わんばかりに、思いっきり首を伸ばしている。嬉しくて嬉しくて。疲れたふたりは一つの黒い●(こんな丸い塊に)なって眠る。どちらも黒いから、どこまでが二〜子で、どこからがペロか分らない。それが面白い。

 小さい頃のペロは、数学が得意だったのではないだろうか。「風の又三郎」みたいな顔をしていた。大きくなってからも、考え事をしているときなんかは、真剣そのものの表情をしていた。また、二〜子にまつわりついておねだりしているときとか、もう眠たいネンネだよという時は、アホみたいな、ゆるんだ顔になっていた。余りにも違い過ぎて、同じ猫とは思えないほどだった。その落差がペロの魅力でもあった。

 何をしてもしなくても、ぜったいに怒られない。竹本家の “アイドル” というか “人気者“というか、それがペっちゃんだった。にっちゃんも居てくれるし。この家から出て行くなんて、とんでもない。あんな苛酷な世界は金輪際ご免をこうむりたい、というのが彼女の本心だったと思う。ところが……。