音楽のある風景「レコード小景」


石浦昌之
2017年4月10日


音楽のある風景1

 いつも落ち着く風景というものがある。私にとっては中古レコード屋の佇まい。できればCDよりレコードが多い店なら、なおよい。カビ臭さとレコードクリーナーの香りが不思議と調和した店内。ギッシリとぎゅうづめになったレコードに囲まれ、しばし我を忘れる。日がな1日居たって飽きることはないだろう。LPレコードの背表紙を並べれば、一つとして同じ景色は無く、一枚のコラージュのように見えなくも、ない。アートワークは産業デザインの範疇の中で、デザイナーが趣向を凝らしたもの。ある種の制約があったからこそ、クリエイティビティが発揮された。それらは額縁のない絵のようなもので、聴き手を音楽の世界へといざなってくれる。

 ヴィニール盤はいずれも同じサイズでありながら、作られた時は60年間の奥行きをもっている。思えばデジタル・エイジにあって、レコードはもちろん、CDにしたって、プレイヤーに円盤を載せるというだけで、ずいぶんアナログな手間を必要とするものだ。ダウンロードやストリーミングによる音楽聴取が一般的になった昨今、そこまでして音楽を聴く人は、長い目で見れば少数派になる運命だろう。とはいえ、必死の形相でレコードをめくっている音楽ファンや、紙袋を両脇にたんまりと抱えた海外からの旅行客が日々レコード店に押し寄せているのを見ていると、そんな人達が今すぐいなくなりそうには、思えない。

音楽のある風景2
 戦後のレコード文化を支えたのが、団塊=ビートルズ世代であったことは間違いない。ロックやフォーク、ソウルは団塊世代のある種の民族音楽だったのだろう。そして、そのチルドレン世代が90年代のDJカルチャーにおいて、親世代のレコード文化を換骨奪胎・有効活用し、今も彼らがレコードにフェティシズムを感じ続けている。私もそこに引っかかった一人だ。

 放課後、学校が終わるとすぐに、高田馬場のレコード屋をはしごした。高校生の頃だ。口をあんぐり開けたまま、まだ知らぬレコードの音を想像しながら、また一枚めくっては棚に戻した。おこずかいを貯め、お気に入りの店で入念に選んだ中古レコード。中古とはいえピカピカに磨かれ新品同様、黒光りしている。「何か不備があったらお持ち下さい」とヒゲ面の店主が笑いかける。大人になり、今も住んでいる町の中古レコード屋で「何か不備があったらお持ち下さい」という決め台詞を聞いたときは耳を疑った。聞けば若い頃、件のレコード屋の先代店主の下で修業されていたのだという。先代店主がそうだったように、店主はいつもレコードを拭いている。中古とはいえ、ピカピカに磨かれたレコード。「本当に音楽が好きなんですね」と話しかける。「もちろん音楽は大好きですが、レコードがとにかく大好きで」と返ってくる。なんでも、汚れたレコードをピカピカに拭いて、綺麗にするのがとても楽しいのだという。家に帰って、その黒光りするレコードを見ていたら、ついつい笑顔になってしまった。音楽の楽しみ方にも、いろいろある。
(極北リレーエッセイ第1集「音楽のある風景」おわり)