【1/26極北ラジオ・ダイジェスト】日本のRockとはなんだったのか?


 明月堂書店がお送りするミドルエイジのためのクオリティー・ラジオ「夜をぶっ飛ばせ!」。本日は2017年最終の配信日です。パーソナリティーは私、竹村洋介がつとめさせていただきます。オープニング曲は今月もまた石浦昌之さんの「ユニヴァーサル・ソルジャー」で始まりました。日本で最初、出版社が提供するインターネットラジオ「夜をぶっ飛ばせ!」が始まります。今日は大阪も雪が降りました。北陸・東北・北海道の豪雪に比べればかわいいものですが。

Jacks伝説

 前回ははっぴいえんど伝説の形成を主として見てきましたが、今回はJacksのLegendに焦点を当ててみたいと思います。Jacksの場合、生きながらにして伝説化されていたのです。村八分が世間に背を向けた孤高の存在なら、「Jacks」どこにでもいる男の子がBand名の由来です。つまりどこにでもいる男の子=Jackです。音楽的にも哲学的にも突出した存在でした。Drive to ‘80に与えた影響としてはLizardが、オートモッドがJacksの名曲「Love Generation」をカヴァーしていることを挙げておけば充分でしょう。リーダーは早川義夫でしたが、音楽面では木田高介に負うところも大きかったようです。木田のフリージャズ指向と、早川の地から蠢きだす情念がクロスオーヴァ―したところに奇跡的に成立した世界です。早川曰く「売れなかったからやめた」とのことですが、レコードのセールスはともかくも、ライヴのいりはよかったと聞きますし、TVにも出演していました。解散には早川と木田の音楽性の違いが大きいと言えるでしょう。Jacksの活動期間はごく短いものでした。1967年に結成され、1969年には解散しています。活動期にスタジオ録音されたLPは『ジャックスの世界』『ジャックスの軌跡』の2枚のみです。

jacks

Jacks「からっぽの世界」

 EP版もタクトというジャズのレコード会社から出された『からっぽの世界/いい娘だね』と『マリアンヌ/時計を止めて』2枚でした。東芝エキスプレスやコロンビアから何枚かのEP版を出したりした以外では、ほとんど音源すらなく、ファンクラブから1968年7月24日のライヴを録音した海賊版が出ていますが。これは、カセットデッキによる盗み撮りであったとも言われています。しかし、いずれもヒットにはいたらず、後の早川の「売れなかったからやめた」という発言につながったものでしょう。Jacksライヴにいたっては、プレス数が多いとは思えないにもかかわらず、1980年の駒場祭で、僕は手に入れました。出品者は出品者は明大前にあったモダーンミュージックというレコード屋であり出版社も兼ねた会社のオーナー、生悦住英夫さんでした。この方もPSPというインディーズレコード会社を持ち、また出版社としてはモダーンミュージックという雑誌を発行するオーナーとして、1970年代以降のロック界、いえそれにとどまらず、ジャズ界、フォーク界にいたるまでの発展に大きな寄与をなされた方なのですが、残念なことに昨年亡くなられました。
それではJacksをもう一曲。

堕天使ロック

Jacksからサディスティック・ミカ・バンドへ

 発売枚数が少なかったからでしょうが、1969年にはすでに「伝説のバンド」とまで称されています。2ndの『ジャックスの軌跡』の時点で時事上解散していて、古いテイクをかき集めたりして、無理無理につくったもののようです。ちなみにジャックス解散後、水橋春夫や角田ヒロ(末期のJacksに参加)それぞれのバンドで活躍しています、つのだひろ(現:つのだ☆ひろ、漫画家・角田次郎の実弟)は、意外なことかもしれませんが、サディスティック・ミカ・バンドの前身のバンドに参加しています。最初期の「サイクリング・ブギ」のドラムをたたいているのがつのだひろです。つのだはサディスティック・ミカ・バンドが本格的なデビューをする前に、スペースバンドを結成し、サディスティック・ミカ・バンドを脱退してしまうのですが。加藤ミカこと福井光子によればサディスティク・ミカ・バンドは冗談で始めたバンドだったそうです。もちろんこのバンド名は、名前はジョン・レノンとオノ・ヨーコのプラスティック:オノ・バンドにちなんだ、パクったものです。
ではここで、サイクリング・ブギをいってみましょう。

サディスティック・ミカ・バンド「サイクリング・ブギ」

 映像をお見せできないのが残念ですが、ロンドンツアーをやったころとは全く異なります。このツアー中にミカさんがプロデューサのクリス・トーマスと不倫関係に陥り、事実上の第1期ミカバンドは解散の憂き目にあります。ビートルズやピンク・フロイドのプロデューサーとして有名なクリス・トーマスです。この『黒船』をリリースする前、結成されたころのサディスティック・ミカ・バンドはほとんど学生バンドではないかという感じです。加藤にしてもトノバンなどと言われて1971年に北山修と「あの素晴しい愛もう一度」を出して間もないころでもした。もっとも、同時期に活躍していたぱっぴいえんども学生バンドの匂いがむんむんと漂っています。村八分や裸のラリーズの方が異色だったと言えるでしょう。1974年の渡英以降のサディスティック・ミカ・バンドとは異なったものと考えた方が考えた方がよいのかもしれません。このころから、加藤は北山の詞では世界に売りに出せないということで、作詞・北山修、作曲加藤和彦のコンビを解消しています。この『黒船』も日本ではそれほどのセールスを記録することなく、逆輸入の形で日本では受け入れられたようです。ロンドンではブライアン・フェリーやイーノがいたロキシーミュージックのオープニングアクトをつとめるなどいいところまで行ったのですが先に言った理由で会えなく解散していました。日本発、ワールドワイドな最初の本格的ロックバンドの讃頌を得るにはいたりませんでした。 ここでもう1曲。サディスティック・ミカ・バンドの代表曲「タイムマシンにおねがい」。

サディスティック・ミカ・バンド「タイムマシンにおねがい」

 加藤夫妻が抜けたサディスティック・ミカ・バンドは、今井裕、後藤次利、高中正義、高橋幸宏の4人でサディスティックスとして活動していましたが、後に高橋幸宏がYMOに参加するのはもう皆さんのご存知の通りです。

早川義夫は1969年にソロアルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』をURCから出した後、1994年に『この世で一番キレイなもの』を出すまで長く沈黙を守り続けました。
 皮肉なことに解散してからのベスト盤『Legend』や『Echoes In The Radio』は好調な売れ行きを見せ、タクト版もコロンビアからCDとして再発されています。これらは、複雑な版権の壁を乗り越えて、『ジャックスライヴ1968/7/24』以外は(これは元からして音質が極めて悪いため収録されなかったということになっていますが、もともとが盗み撮り、自主制作のブートレグだったことも関係したのかもしれません)1989年に『Jacks CD Box』にまとめられています。ただし、枚数限定であり、めったに手に入りませんが。もうひとつの壁は「からっぽの世界」の出だし、「ぼく、唖になっちゃった」という「唖」というタームがひっかかり、「からっぽの世界」抜きのベスト盤なども出ています。
 Jacksは遠藤ミチロウにも‘マリアンヌ’など絶対的な影響を与えています。

遠藤ミチロウ「マリアンヌ」

 画面でお見せできないのが残念ですが、このYouTubeに映っている遠藤ミチロウさん、珍しくノーメイクなんですよね。

クラインの壺を演じる早川の多義性

 ここで少しJacksとLizardの関係に立ち入ってみよう。まず「Love Generation」です。この中で早川は「すべてあらゆる大きなものを疑うのだ」とわざわざ字余りにしてまで「大きな」という形容詞で限定を加えています。Lizardのモモヨはストレートでした。「すべてあらゆるものを疑うのだ」とあらゆるものをZeroに帰している。すべてはZero、Punk Rockerらしい解釈の仕方です。ではモモヨが正しかったのか? 早川とて当然「大きな」という語句が字余りであることを自覚していないわけはありません。しかしこれは伏線だったのです。そのあとにつづく「大人っていうのはもっと素敵なんだ。子どもの中に大人は生きてんだ」で、1か0かという哲学的思考・感性は大どんでん返しを受けます。早川はクラインの壺を演じてしまう。この多義性こそが、後に続く多くのミュージシャンを魅了したものに他ならなりません。もっとも早川に1の思想がなかったわけではありません。「転がっていけ、崩れて行け、落ちるとこまで落ちて行け。咲いた花が一つになればよい」とも歌っています。山口冨士夫が『ひまつぶし』のなかの一曲「おさらば」で「いらないものは、いらないものは、捨てていくのさ。ただ連れていくのはオマエ」と歌ったのが想起させられます。

Live68724

Jacks「Love Generation」

 ソロになってからのものですが、「サルビアの花」では、もちろん天才早川とてあやういものもあります。「サルビアの花」の初期Ver.では、「ぼくの愛の方が‘正しい’のにと歌っています。にしても、早川は「素敵なのに」という言葉は、この「素敵」は先に挙げたラヴ・ジェネレーションの「大人っていうのはもっと素敵なんだ」に通じています。その紅い花は、もとまろやあみんを後代まで魅せていきました。

あみん「サルビアの花」

 オーバーシーンだけ見ていたのではわからない、日本のRock史、ご堪能いただけたでしょうか?

水谷さんからの手紙

 最後、まだ本物の水谷孝さんからのお便りは来ていません。2015年に非常階段のJOJO広重さんが水谷孝さんから電話をもらったという話が出ていますが、ほんとうだったのでしょうか? もしもし、おれ、水谷だけどわかりますか? などと言ったのでしょうか? JOJOさんはどうやって水谷さんだと分かったのでしょうか? ともかくボツです。本物の水谷さんからのお便りをお待ちしています。さらに本当に水谷さんと話した、いえ見かけたというお便りでもけっこうです。お待ちしております。

 今月も裸のラリーズでお別れしようかと思います。今回は「夜、暗殺者の夜」です。