17日、靖国神社に行ってきました。もっと正確に言うとその一角にある遊就館に行ってきました。会社のある河田町から神保町に自転車で行く道すがら、いつもその脇を通っているし、愚犬ラッキーと一緒に神保町まで歩く時の散歩コースにも入っているので、以外とワタクシにとって靖国神社は身近な存在なのであります。
 2年程前、秋晴れの靖国神社をラッキーと散歩に訪れ、ぶらぶらと境内で銀杏の実を拾っていたのをきっかけに、清掃員の方々とも親しく挨拶するようになり、バケツ二杯分もの銀杏の実をお土産に頂き、ゴミ袋に担いで会社に戻って顰蹙をかった事もございました。
 因に、この銀杏の実、その多くは会社を訪れたお客様にお裾分けさせて頂きましたが、残りを、事務所の花壇の脇にあった植木鉢に蒔くともなく放置しておいたら、翌年の春、芽が出てるではありませんか(写真1)。育てようと意図して蒔いたわけでもないし、ほとんど忘れているような状態でしたから、その生命力(ちょっと大袈裟)にはビックリしたものです。自然の摂理を感じたというべきか(と言うと、ますます大袈裟すぎますが)。

(写真1)

(写真1)

 戻ってきた迷子の子羊は他の九十九匹より愛おしいと言うし、一度打ち捨てた種子が、それでもなおかつ自力で生き延びて、生を全うしようとしている健気な姿を目の当たりにしたら、何らかの手だてをしてあげたいと思うのが人情でありましょう。
 そうだ、この銀杏達は東北大震災の秋に実をつけて、翌年の春に芽を出した新生児なんだ、靖国神社の境内を飾った親木がそこを訪れた人たちに暫しの憩いの場を提供してくれているように、この新生児達にも、いつか大きくなって未来の人に憩いの場を提供して欲しい、ここに新しい日本の未来がある――、などと思ったわけではありませんが、それでも何かを継続する為にはそれなりに物語が必要ですので、自分の中にそうした物語を作って、芽吹いた一本一本を大切に育てる事とし(鉢に1本づつ植え替えたら全部で50本以上ありました、写真2参照)、以後、事務所の花壇と言わず、ビルの裏の空き地、あるいは事務所の中にまで持ち込んで今日に及んでいるのですが、いかんせん、(いつもの事とは言え)ワタクシの常識とまわりの人たちの常識が一致しないものですから、なかなか理解が得られず、迫害と弾圧に呻吟歯ぎしりの日々を過ごしていると――、棄てる神あれば拾う神ありで、この無理解非協力の大包囲網の逆風中にあって、昨年秋、宮台真司さんと佐藤優さんがそれぞれ一鉢づつ引き受けて下さるという、嬉しい出来事もございました。

(写真2)

(写真2)

 震災の翌春この世に生を享けて、そろそろ満2歳。宮台さんはこの苗木に昨年7月生まれた長男の名前をつけて成長を一緒に見守って下さっています。宮台さんが引き受けて下さった1本を参考に、その成長過程を紹介しておきましょう(写真3~6参照)。

(写真3)

(写真3)

(写真4)

(写真4)

(写真5)

(写真5)

(写真6)

(写真6)

 今回の靖国神社、遊就館訪問は、勿論、銀杏の事ではありません。先月刊行した『憲法第九条――大東亜戦争の遺産』の著者、上山春平氏が乗組員として二度も出撃し、奇跡的に生還した海軍の特攻兵器、人間魚雷「回天」が展示してあると言うので、竹本さん、それにラッキーと一緒に見に行って来たのでした。遊就館が巷間一部で言われているような戦争を美化するプロパガンダ施設なのか否か、自分たちの目で確かめてみたいという気持ちもありました。
 回天については、恐れ入りましたの一言ですね。回天に関わった指導者は自分が生きていてはいけない、生き残る事そのものが許し難い没義道であると感じました(実際はどうだったのでしょうか)。(兵器として)有り得ない、棺桶よりヒドいというのが感想です。
 遊就館全体の感想としては、訪問者をして粛然とさせる事はあっても、決して戦争を美化したり、交戦相手国に憎悪を煽るようなものは何を感じませんでした。
 「何で中韓はこんなんに文句言うんかなあ、(この程度の施設や展示は)当然やないか」
という竹本さんの感想がワタクシのそれでもあります。
 建物の外に出ると待ちくたびれたラッキーが観光客及び警備員数名に囲まれているのでした。何事かと思ったら、警備員曰く、「どこからはいったのですか」と血相かえて詰め寄るではありませんか。
 どうやら、遊就館の敷地は(戦没者の神聖な霊が宿る場所として)建物の内外を問わず動物の侵入を認めていないらしいのです。にも関わらず、警備員の目を盗んで敷地内に侵入し、建物の入り口の一番目立つところに犬を繋いでシッカリ一時間半にも渡って放置している・罰当たり野郎・はとっちめてやらないといけない、そんな感んじで手ぐすね引いて、戻って来るラッキーの飼い主を待ちわびていた――、そういうシチュエーションだったようです。
 それにはワタクシや竹本さんの方が驚きました。何故なら、入場する時には誰にもとがめられる事なく、普通に、当然のように、しかも神門、そして能楽堂の前を通り、正面から堂々と入場したからです。疾しい事があって、脇からこっそり入ったわけではないのですから、その旨を伝えると、警備員氏、益々いきり立ち、
「動物はダメなんです! 神聖なんだ、ここは!」この不届き者め、どうしてくれようと言った感じ。
 ワタクシが、入り口には警備員が付いているわけだから入場する時になぜ注意してくれなかったのかと反論しても、忌々しげに、看板が出ている云々。
 脇に立ててある看板なんか見ませんよ、正面を見て入っているんだから云々とは、ワタクシの弁。たまたま警備員に気付かれずスルーしちゃったんですね。どうやら。
 敷地内でこんな口論に時間を費やしていては、その間、ラッキーもそこにとどまっている事になり、警備員氏、そんなところを責任者に見つかったらかえってまずいと思ったのか、「とにかく、早く敷地から出て行ってくれ、ここは神聖なんだ」と声をふるわせるし、妙に神聖を強調するのが気になったので、ワタクシ、売り言葉に買い言葉で「犬だって神聖だぞ。(遊就館の建物の中にある売店で)柴犬(と思われる)の人形を売っているじゃないか、あれは不浄か」と言おうと思いましたが、ここは警備員氏のメンツを立てて、黙って退散したのでした。もっとも、入場した時同様、また正面から出ようとしたら、ダメ、ダメ! そこは神聖なんだ(また神聖)、こっち、こっちから! と脇道から退場させられたのでした。
 先週は遊就館訪問を含め、上京した竹本さんと何やかや3日間おつきあいしていました。16日夕方ラッキー主治医の院長先生、竹本さんの三人で呑んだ後、酔いが回っていた竹本さんをホテルに送り届け、院長先生も翌日があるとのことなので、ひとりゴールデン街を歩いていると、何と先ほどホテルに送り届けた筈の竹本さんも歩いているではありませんか! 実は前日の夜も竹本さん、かなり泥酔し、16日は昼間の予定をほとんどキャンセルし、夕方まで寝ていたような状態だったし、明日の靖国神社のこともあるので、程々で引き上げ、今夜はもう休んで下さいとお願いし、ホテルに送り届けたのでした。
 竹本さん、ワタクシに見つかり、しまった、と言った顔はしたものの、あと一軒、目をつむってくれ、と言うことで、結局ふたりで「とんぼ」というお店に入って、又ビックリ! バジリコ出版社長の長迫さん、作家の林静一さん、それに河田町の風紀女史が一緒に呑んでいたのだ。いやはや参りました。「とんぼ」での報告は風紀女史が青林工藝舎の編集だよりで書いているのでご覧になってみて下さい。(http://www.seirinkogeisha.com/
(写真7)写真右から風紀女史、竹本さん、長迫さん、左の人は他のお客さん。林さんは青林工藝舎の編集だよりに竹本さんとツーショットで出ています。

(写真7)

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 今日はオシマイ。この雑文に何の教訓もない。