音楽のある風景「Imagine」


極北リレーエッセイ2人め:竹村洋介
(たけむら・ようすけ/近畿大講師)

2017年1月4日


★初回のお題「音楽のある風景」1人め:極内寛人

Photo by Julie Laiymani on Unsplash

Photo by Julie Laiymani on Unsplash

 2001年9月11日、アメリカ合衆国同時多発テロが起きた。日本でもよくあることかもしれないが、アメリカ合衆国のラジオ放送局もいくつもの楽曲を放送禁止にした。その中には、クィーンの「キラー・クィーン」やレッド・ツェッペリンの「天国への階段」、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」、ドアーズ「ジ・エンド」なども含まれていたので、さしてとやかくいうこともなかったのかもしれないが、またもやジョン・レノンの「イマジン」が入っていた。生前。FBIからも眼をつけられていたジョンの代表曲なのだからさもありなんなのだが。
 放送禁止と聞いたので、物好きにも、古いLPを棚の奥から取り出し、「イマジン」をかけてみた。もう擦り切れかけていたLPからは‘Imagine there’s no Heaven~Imagine there’s no countries~Imagine no possessions’という懐かしいフレーズが流れてきた。
 それを聴いて、当時、交際を始めたばかりの彼女が「この英語おかしいんじゃない?」と言い出した。彼女は帰国子女だった。僕は何がおかしいのかさっぱりわからず、「何が変なの?」と問い返すと、Imagine「想像せよ」と命令形で歌いだすのがおかしいという。命令形は強い言葉なのだ。そう言われると確かにそうだ。Let’sでもなく、you’d betterですらない。彼女が言うには、これは英語がネイティブではないオノ・ヨーコの作詞ではないかということだった。しかし、当時のLPにはジョンのクレジットしかなかった(本当はジョンはヨーコと出会う前、ビートルズ時代に、Lennon-McCartney名義の‘Imagine’で始まる‘I’ll get you’という曲があったがその時は知る由もなかった)。
 はたして、オノ・ヨーコの『グレープフルーツ』という詩集の中に‘Imagine’で始まる詩があったのだ。この詩集が出たのは『イマジン』が発表と同じ1971年。同時多発テロが始まる30年も前のことだ。ちなみに公式にヨーコとの共作と認められたのは2017年になってからだ。
 1971年の「イマジン」は、もともとヴェトナム戦争への反戦歌だった。続けてジョンとヨーコは「ハッピークリスマス(戦争は終わった)」を出すがヴェトナム戦争は終わらなかった。歌は世につれても、世は歌にはつれない。
 その後、ジョンとヨーコは“Sometime in New York City”と反戦主義をテーマとしたアルバムを発表するも、1970年代半ばには活動を停止。1980年に“Double Fantasy”でカムバックするも、自宅ニューヨークのダコタハウス前で撃たれて死ぬ。ノーベル平和賞も文学賞も受けることなしに。『イマジン』発表から10年。ジョン40歳のことだった。(おわり)


次回3人めは石浦昌之さんです。