「天皇を読む」第22回


たけもとのぶひろ[第139回]
2017年12月4日

神谷美恵子(1914~1979)_

神谷美恵子(1914~1979)

再思三考する「天皇のこと」⑥
「傍らに立つ者」をめぐって

 明仁天皇は事ある毎に、「国民の苦しみに心を寄せ」「国民と苦楽をともにする」と語り、そのお言葉通りに生きておられます。美智子皇后も「弱く、悲しむ人びとのかたわらに寄り添そう」生き方に徹しておられます。そのようにあることこそが「象徴天皇のあるべきあり方」でなければならない——と、おふたりは固く信じておられるに違いありません。

 一方両陛下は、思うところがあってのことでしょう、これらの表現とは似て非なるというか、微妙に重なるニュアンスを帯びながらも、意味の違う——とぼくには思われる——言葉を用いられたことがありました。「傍らに立つ者」という言葉がそれです。この概念は周知のように、キリスト教における「主イエス」のことを指しています。
 「苦しみ悲しみに寄り添い・ともにすること」は一つのことであり、「苦しみ・悲しみの傍らに立つこと」はまた別の一つのことだと思うのです。にもかかわらず、両者の間には、重なり合うもの・通いあうもの・響きあうものがあるのかもしれません。というより、両者は、根元までたどれば、同じ価値観に行き着くのではないでしょうか。
 「象徴天皇」というあり方にしても、「傍らに立つ者」の立場にしても、思いは一つなのではないでしょうか。大まかな話で恐縮ですが、いずれも、苦しむ人・悲しむ人に優しい社会でなければいけない、と信じていると思うのです。なぜか。苦しみ・悲しみこそが “優しさの母” なのだと、どこかで気がついているからではないでしょうか。

 両者は違うところもあり重なるところもあります。ということは、「傍らに立つ者」について知ることは、これまでとは違った方向から、わが「象徴天皇」について考えることにもなるのではないか、少なくともつながるのではないか、と思うのです。
 ……と書いてきて思い出すのはヴァイニング夫人のことです。陛下もビデオメッセージ「お言葉」の原稿を書いておられるとき、何十年も昔の、少年時代の家庭教師 ヴァイニング夫人の教えに思いを馳せておられたかもしれません。

 ヴァイニング夫人は、明仁少年の家庭教師をつとめた日々の体験記を上梓しています。書名は『皇太子の窓』でした。どうして「窓」なのでしょうか。彼女はその思いをこう語っています。「皇太子殿下のために、今までよりももっと広い世界の見える窓を開いていただきたい」との願いにあった、と。
 将来天皇となる明仁皇太子にかけるヴァイニング夫人の思いには、熱いものがあったと察せられます。たとえば、こんな具合だったのではないでしょうか。——世界は果てしなく大きく広い、その広い世界が見える、皇太子ご自身のための窓というものが必要なのだ、皇太子にはその窓から見える世界を、自分の目で見て・自分の心で感じて・自分の頭で考えてほしい、広く普く世界に通用する価値というものがあるということを知ってほしい、人類が共有するべき未来というものがあり、その未来は平和と和解へ向かう道でなければならないことを学んでほしい、究竟するところ、日本は世界のなかの日本であるし、世界のなかの日本であらねばならない、そのことを身に沁みてわかってほしい、等々。
 そういう皇太子のための「窓」を作る、そのためのお手伝いをする——それが自分の「使命」だと、彼女は固く信じていました。キリスト教か日本神道か、というふうな次元の低い話ではないということです。

 平成28年の夏、「日々新たになる日本と世界の中にあって」「お言葉」の原稿を書いておられた陛下の心のどこかに、密やかな思いがあったのではないでしょうか。——世界人類の共有財産の一つと言って言い過ぎでないほど世界中の人びとに遍く知られている『聖書』の主要概念を使って思いを表現すれば、そのことがいかにささやかなことであっても、それがきっかけとなって、世界の人びとが自分たちの共有財産について語り合うことにつながりはしまいか、と。

 今回は、「傍らに立つ者」の思想について学ぶなかで、あらためて両陛下のお考えに立ち返って考えたいと思います。まず、両陛下はこの言葉をどのように使っておられるか、二つの例を示します。
①明仁天皇は、平成28年(2016年)8月8日のビデオメッセージ「お言葉」の、とくに核心とでもいうべき、ご自身の象徴天皇論を論じた部分において、次のように述べておられます。
 「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として【人々の傍らに立ち】、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。」(【】は引用者)
 陛下はここで、人々の傍らに立ち、その思いに寄り添うことが大切だと述べておられます。この叙述についてはすでに考察してきたところであり、再述しません。

②美智子皇后は、同じ平成28年の4月14日に起こった熊本地震について、被災地のことを思って御歌を詠んでおられます。
 「ためらひつつさあれども行く【傍(かたは)らに立たむ】と君のひたに思(おぼ)せば」
(【】は引用者)。御歌の解釈が宮内庁ホームページにあります。
 「天皇皇后両陛下は、熊本地震の発生した翌5月に熊本県を御見舞いになりました。被災地に向かわれるその都度、このような状況下にある人々を、果たして自分などが見舞うことが出来るだろうか、という恐れに近いためらいを持たれつつ、それでも「人々の傍らに」とお思いになる陛下のひたむきなお気持ちに添い、被災地をお訪ねになるお心のうちをお詠みになっています。」

 ここまで来ると、「傍らに立つ者」とは何者か、との問いに答えなければ前に進むことができません。ところが、ぼくはこの方面のことにまったく心得がありません。そこでまず、牧師さんたちの教えに学びつつ、ぼくなりに理解したところを整理して示す、そういうところから始めたいと思います。

 日本キリスト教団・大泉教会牧師の横田勲牧師は、その説教集『傍らに立つ者』(説教集刊行委員会 1975年4月)のなかで説いています(【】は引用者)。
①主イエスは「一方的に向こう側から」「接近してきてくださった」、そして「わたしの【傍らに立ち】、わたしの汚辱をひっかぶって下さる」と。
②「(あなたが)人々のあざ笑いの対象となって自失するとき、あなたの【傍らに立ち】、その嘲笑を自らへのものとして、あなたと共に受け、(中略)あなたの生そのものを喜び、あなたの【傍らに立ち】つくし給う方がおられる」、それが主イエスです、と。
③そのイエスさまに促されてわたしは「超越者・高きにいます方」に祈る、「主イエス」を離れて「高きにいます方」も「父なる神」も「創造者」もありません、と。

 「傍らに立つ者」とは、ギリシャ語で「パラクレートス」というのだそうです。「パラ」は前置詞で「傍らに」を意味し、「クレートス」は「呼ばれた者」を意味する。したがって「パラクレートス」とは「傍らに呼ばれた者」です。暗い世にあって光を求めている人——不幸な目にあって苦しみの極みにいる人・堪えきれない悲しみに喘いでいる人——の側(がわ)に立ち、その人の味方になって、その人を庇い・守り・助け・慰めるために、その人の「傍らに呼ばれて立つ者」のことを言います。主イエス(イエスの聖霊)は「傍らに立つ者」にほかなりません。

 しかし、どうして主イエスは「傍らに立つ」ことができるのでしょうか。バプテスト東福岡教会の笠井元牧師の説教に、わかりやすい説明があります。その要旨を示します。
 「主イエスは、十字架の上で死なれました。それはただの死ではなく、多くの人に罵られ、嘲られ、辱められて死んでいかれたのでした。それよりもなによりも、主は神様に見捨てられて死んでいかれたのです。主イエスは十字架の上で叫びました。
  「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言ひ給うふ。
   わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひしとの意(こころ)なり。」
  (マタイ伝27章46節、日本聖書協会『新約聖書』)
 主イエスは神様に見捨てられた。神様によって、その関係が断ち切られた。悲しみのどん底、ありえないほどの痛み、完全な絶望に突き落とされた。主イエスの知らない悲しみはこの世にありません。」
 このように、真っ暗闇のどん底を身をもって体験されたイエスであるからこそ、暗黒の世界で光を求めているどんな人に対しても光となることができる、その苦しみを理解し、その人の傍らに立って慰め・助けることができる——そういうことではないでしょうか。

 であるからこそ、イエスを見棄てた「父なる神」の仕業はその大いなる愛のゆえであった、との論理が成立するのではないか、と推し測る次第です。
 先に引用した横田勲牧師は、こんなふうに書いています。曰く、「主はわたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った」と。ここに「愛」とあるのは、「父なる神の愛」のことだと思います。

 わが両陛下は「弱く、悲しむ人びとのかたわらに寄り添そって」「(苦しむ)人々と少しでも心をともにしたい」、そうありたいと祈っておられます。「傍らに立つ」のは、「寄り添って心を共にするため」です。
 他方、イエスが「暗い世にあって光を求めている人」の「傍らに立つ」のは、「その人を庇い・守り・助け・慰めるため」です。
 イエスは非常にアクティブです。なにしろキリストとは救世主を意味するくらいですから、
 世を救う行動主体として何を為すべきかという、そのことがテーマであるはずです。
 しかし、わが天皇は実にパッシブです。「皇室は常に伝統的に受動的なものである」というのが、陛下の信念です。日本国憲法は天皇に「何を為すべきか」を問うていません。むしろ禁じています。問うているのは、天皇はどうあるべきかということ、その「存在のありよう」です。行動主体は天皇ではなくて国民なのです。

 もう少し話を具体的にするために、「ヨハネ伝・第8章」の冒頭に出てくる、「姦淫の女」のエピソードを読んでみたいと思います。これはキリスト教徒でなくても、世界中の人びとによく知られている物語です。日本聖書教会発行『新約聖書』の邦訳を以下に引用します(少し長くなりますが)。
 ——ここに学者・パリサイ人ら、姦淫のとき捕へられたる女を連れきたり、真中に立ててイエスに言ふ、「師よ、この女は姦淫のをり、そのまま捕へられたるなり。モーゼは律法に、斯(か)かる者を石にて撃つべき事を我らに命じたるが、汝(なんぢ)は如何に言ふか」。かく云へるは、イエスを試みて訴ふる種を得んとてなり。イエス身を屈(かが)め、
 指にて地に物書き給ふ。かれら問ひて止まざれば、イエス身を起して、「なんぢらの中(うち)、罪なき者まづ石を擲(なげう)て」と言ひ、(中略)彼等これを聞きて良心に責められ、老人(としより)をはじめ若き者まで一人一人いでゆき、唯イエスと中(なか)に立てる女とのみ遺(のこ)れり。イエス身を起して、女のほかに誰(たれ)も居(を)らぬを見て言ひ給ふ「をんなよ、汝(なんぢ)を訴へたる者どもは何処(いづこ)にをるぞ、汝を罪する者なきか」。女いふ「主よ、誰(たれ)もなし」。イエス言ひ給ふ「われも汝を罪せじ、往(ゆ)け、この後ふたたび罪を犯すな」
 かくてイエスまた人々に語りて言ひ給うふ「われは世の光なり、我に従ふ者は暗き中(うち)を歩まず、生命(いのち)の光を得べし」。

 イエスは行動に出ます。姦淫の女の傍らに立ち、姦淫の女を庇います。戦って助けます。このエピソードを語り終えた聖書(ヨハネ)は、そのすぐ後で、主イエスの言葉を伝えています。主、曰く “世は暗闇である しかし暗き中にこそ光はある 我こそはその光である 我に「従う」者は暗きうちにありながら 光のなかを歩むことができる 「我が光」に従う者は「生命の光」を得るからだ ”と(「」は引用者)。

 主イエスのこの「傍らに立つ」教え(キリスト教)からすると、人びとは「我に従う者」です。天皇皇后にとって国民は、「おふたりが傍らに立ち・寄り添って・心を共にする」存在です。人としてのあり方は、まるで違います。前者において人びとは「従う者」、従者であり、後者において人びとは「心を共にする」存在なのですから。
 しかし、それでもなお、両者の間には通いあう思い——価値観と言ってよいも——があるのではないでしょうか。どちらも同じ真実を見ているのではないでしょうか。
 ——世は暗い、だからこそ人は光を求める。人は悲しみ苦しみの中にあるからこそ、その中にありながらなお、救いを求める。悲しみや苦しみとは別のところに、救いがあるわけではない。絶望があるから希望が生まれるのだ、絶望のないところに希望はない。否定の苦しみがないところに、肯定はない。否定を耐えることのなかから、肯定が生まれる。だとすれば、悲しみのあるところ・苦しみのあるところにおいてこそ、したがって否定と絶望のなかをくぐってこそ、あるべき自分と出会うことができるのではないか……等々というふうな、人の世の感じ方のことを言っているのです。

 両陛下の人生は、「弱く、悲しむ人びとのかたわらに終生寄り添い、心をともにしようと努めてきました」と語られる通りのものです。ここには、キリスト教の「傍らに立つ者」の教えに重なる思いがあります。既述のように相違点はあるのですが、それはそのままにしておいて、 “同じ思いなんだなぁ” とわかりあえるところもあるのではないでしょうか。
 そうだとすれば、それだけ相互理解は進むわけで喜ばしいことではないでしょうか。

『生きがいについて』

『生きがいについて』

 先程も述べたばかりですが、両者に共通しているのは、苦しむことそれ自体のなかに、きわめて「肯定的な・積極的な意義」がある、ということの認識です。この「意義」について、ほんとうに心の底から納得させてくれる書物があります。神谷美恵子さんの著作集1『生きがいについて』(みすず書房)です。まず、次の文章を読んでください。

 「苦悩がひとの心の上に及ぼす作用として一般に認められるのは、それが反省的思考をうながすという事実である。苦しんでいるとき、精神的エネルギーの多くは行動によって外部に発散されずに、精神の内部に逆流する傾向がある。(中略)ひとはそれに眼をむけさせられ、そこで自己に対面する。人間が真にものを考えるようになるのも、自己に目覚めるのも、苦悩を通してはじめて真剣に行なわれる。実存哲学のことばを借りれば、ただ「即自」に生きるのでなく、自己にむかいあって「対自」に生きる、人間特有の生存様式がここにはじめて確立される。これこそ苦悩の最大の意味といえよう。この意味で「人間の意識をつくるものは苦悩である」というゲーテのことばは正しい。苦しむことによってひとは初めて人間らしくなるのである。」

 少し前に先取りして述べておいたように、神谷さんはここで、苦しむことなくして人は人間になることができないと、苦しみ・悲しみ・苦悩の意義を思いっきり肯定しています。悲しみや苦しみのなかをなんとか切り抜けて生きてきた——そういう思いをするなかで人は、はじめて自分自身と出会うことができ、そうやって人間になる、いかにも自分らしい人間になるのだ、ということです。逆に言えば、自分が死ぬほどの思いをすることなしには “ああ生きててよかった、ありがたい” というふうな感謝の気持ちで一杯になることはないでしょう。こうも言えるのではないでしょうか。そういう自他に対する感謝の気持ちになるからこそ、人に対しても優しい気持ちになれるのだ、と。

 神谷さんはこうも述べています。「ひとたび深い悲しみを経て来た人のよろこびは、いわば悲しみのうらがえしされたものである。その肯定は深刻な否定の上に立っている」と。
 この言葉などは、神谷さんが長年にわたって関わり続けてきた長島愛生園(ハンセン氏病患者のための国立療養所)における体験と思索の日々があったればこその、神様からの “賜物” と表現したくなるほど、奥の深い洞察を感じさせます。

 神谷さんの上記の言葉がどれだけの真実を物語ったものであるか——如実に物語っている、愛生園における調査があります。調査は簡単なものです。彼女が愛生園の患者に対して語りかけます、愛生園でのいまの気持ちを、「病気になる前とくらべて私の気持は……」という形で応えて下さい、と。彼女の働きかけに対して患者は、「私は……」と返してきます。患者の応えのなかから彼女が選んで紹介してくれたものを、以下に示します。
 「よりよく人生を肯定しうるようになった。」
 「心ゆたかになった。安らかになった。」
 「心が高められ、人の愛、生命の尊さを悟った。」
 「事業欲、出世欲が消失し、潔白になった。」
 「人生の目的を知り、人生を咀嚼する歯が丈夫になり、生きる意味を感じる。」
 「考え深くなり、あらゆる角度からものを考えるようになった。」

 なんという言葉でしょうか、なんという表現でしょうか。
 「……欲が消失し、潔白になった」
 「……人生を咀嚼する歯が丈夫になり……」
 「考え深くなり、あらゆる角度からものを考えるようになった」とあります。
 含蓄のある、味わい深い言葉です。これらについて何かを言おうとしても言葉が見当たりません。あるとしたら感嘆の言葉でしょうか。参ったなぁ! とか、憎いなぁ! とか。
 今回はここで終わります。