【7/28極北ラジオ・ダイジェスト】竹村洋介深夜講義シリーズ・ラジオ体操特集【前編】


竹村洋介
2017年8月24日

ラジオ体操をする小池百合子東京都知事ら

ラジオ体操をする小池百合子東京都知事ら

7月28日の夜の特集はラジオ体操でした。
小池百合子東京都知事の7月17日の定例記者会見で発表された「みんなでラジオ体操プロジェクト」を受けて、ラジオ体操の第1回がこの日の特集でした。小池都知事は7月24日午前8時45分からに都庁舎7階のホールで東京都の「ゆりいと」君をしたがえ、ラジオ体操をしました。そのニュースを各新聞各社がどのように報じたか、当日全国紙の夕刊を5社そろえて比較してみました。対照的だったのが朝日と毎日。朝日は「オリンピックまであと3年」というだけでしたが、毎日はさすがに1面トップは加計学園問題でしたが、1面に小池都知事がラジオ体操をする写真を掲載。各社の扱いの違いに衝撃を受けました(というほどのことでもありませんが)
ことの起こりは、7月9日未明の高円寺の立ち飲み屋「半兵衛」でした。僕とディレクターの杉本さんが目を疑ったのは、突然流れてくる「ラジオ体操第1」のメロディーに合わせて、店員や客がラジオ体操を始めるのです。「隠れラジオ体操人!」と杉本ディレクターは叫びました。夜中の午前2時に高円寺の地下の飲み屋に集まってラジオ体操をする人たちがいるのです。
ラジオ体操とは本当の名を「國民健康保険體操」といいます。もともとは郵便局の簡易生命保険のキャンペーン事業でした。それをできたばかりのNHKが番組として取り挙げたのが、俗称「ラジオ體操」なのです。多くの人が顔を寄せ合いました。逓信省簡保局からは進藤栄一、猪熊貞治、文部省からは北豊吉、陸軍からは江木理一他に大谷武一、松元稲穂らが会談し作り上げたのがラジオ体操でした。それは1928年昭和天皇の御大典にあわせてのメディアイヴェントでした。
それがやがて定時放送されるようになり、朝のラジオ体操は、早起きの習慣がつき、特に子どもの生活のリズムを正すのによいということで、広がりを見せるようになります。
1930年のことです。東京は神田・萬世橋の児童保険保護係巡査である面高叶が、近隣の子どもたちを集めて、現在行われているラジオ体操の会の始まりでした。当初、号令をかけていた江木理一アナウンサーは、ラジオだから見えないと思ったのかどうか、ブリーフ1枚で号令をかけていたそうですが、照宮成子内親王(昭和天皇の姉)もラジオ体操に御執心と聞き及ぶと、あわてて蝶ネクタイと燕尾服という正装でラジオ体操をしたとのことです。
もともとラジオ体操は、軍楽隊からこの江木理一を引き抜いてきて、西洋音楽の伴奏で、(当初はともかく)洋式の改まった服装でするというように「ハイカラ」な要素をふんだんに含んだモダーンなものだったのです。
以降、戦争の色が濃くなる時代ですが、1945年敗戦の直後1週間はラジオ体操の放送は中止されます。これはGHQに直接に命じられたものではなく、NHK側が「軍国色」濃いものと勝手に、今風の言葉?でいうと、「忖度」して中止してしまったもののようです。もっとも、敗戦直前となると、本土空襲も激しさを増したでしょうから、どれほどの人がラジオ体操を聞けたかどうかは不明ですが(その傍証としては、1945年にはNHKのラジオ受信契約者数は減少しています)。
しかし、ラジオ体操は怯みません。ここで登場してくるのが「隠れラジオ体操人」です。神社の木陰、倉庫の片隅、ビルディングの屋上、体育館の裏などで、民謡を踊るふりでカモフラージュしながら、ラジオ体操が演じられたのでした。
そのかいあってか、1946年には第二期のラジオ体操ができるのですが、これがきわめて不評でした。アナウンサーに女性を登場させるなど、新しい試みもあったのですが、ワルツを基調としたりしたこの第二期ラジオ体操は、覚えるのが難しく、旧来のラジオ体操人にも愛想をつかされたようで、1946年には第二放送に移り、そのまま中止となってしまいます。
現在、行われているのが第三期のラジオ体操です。1950年に「国民保険体操制定委員会」が設置され、委員の中でベルリン・オリンピックに体操選手として出場した経験を持つ遠山喜一郎が中心となって制定されたものである。いろいろな人が委員会に顔を出しているが、遠山曰く、私がすべて作った、体操には流れというものが大事で、みんなの意見を聞いて継ぎはぎしたようなものでは、広く行われるようにはならない、と。
最後に『素晴らしきラジオ体操』の著者である高橋秀実がこの遠山に、ところで、あなたはラジオ体操をなさるのですか?と尋ねたところ、わしはやらん、あれは指導者がいないものがやる体操で、わしは体操の指導者だ、との返答が帰って来たという。
ほんとうにラジオ体操に指導者はいないのか? 国民体操の星取表を作った國民體育體操研究所長・松元稲穂とは何者なのか? そのヨイサ、ヨイサの掛け声とは何だったのか? 戦争にも負けず、いや戦争に負けても、つづくラジオ体操とは何なのか? ラジオ体操をめぐる物語は8月にも続きます。
みなさん、この夏はラジオ体操をいたしましたか?


【パーソナリティープロフィール】
竹村洋介(たけむら・ようすけ)
社会学者、ROCK Writer、医療系ジャーナリスト、サブカルチャー&カウンターカルチャー・クリティーク。1958年、大阪市出身。東京大学社会学科卒業。中高校生時代より、ジャックス、村八分と裸のラリーズをこよなく愛する。N.Y.Punkの熱烈な支持者。1990年、不登校を精神病として”治療”することが誤りであると、本邦初(おそらく世界で初)めて、社会統計学的に実証する。その後、Neet、引きこもり等々の(社会)「病理」化の誤りを指摘する著書等を発表。フリースクールの理事長などをつとめる。単著 『近代化のねじれと日本社会』(批評社)。共著『福祉と人間の考え方』(ナカニシヤ出版)、『引きこもり』(批評社)、『学校の崩壊』 (批評社)、『発達障害という記号』(批評社)、『水俣50年』(作品社)など。


ラジオ体操特集【後編】は9月1日(金)深夜24:00開講!!!


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