「天皇を読む」第13回


たけもとのぶひろ[第130回]
2017年5月24日

天皇陛下「お気持ち」表明ビデオより

天皇陛下「お気持ち」表明ビデオより

第九節 生前譲位―象徴天皇の皇位継承

第九節の書き出しの部分に、「始めにも述べましたように」とあります。「始め」とは第三節のことを指しています。そこで、第三節の趣旨を踏まえて、この節のテーマ設定を明らかにするところから始めたいと思います。陛下のお気持ちに即して書くと、こういうことではないでしょうか。
――天皇は「国政に関する権能を有しない」(憲法第四条)とされていますから、法改正や政権批判などに関わって自由に発言するという、そういう政治的権利を有しません。つまり、今のこの場合について言えば、「現行の皇室制度」にじかに触れて具体的な議論をすることはできません。そのことは十分承知しています。しかし、制度としての天皇の在り方に関わるからといって、天皇本人はいっさい発言してはならない、というようなことが罷り通ってよいとは思えません。

――天皇は神ではなくて人間です。人間ではありますが、この国の国民個々人に属するところの基本的人権がそのまま与えられているわけではありません。大きく制限されています。それでも天皇は、やはり一個の人間です。基本的人権のほとんどが許されていないにしても、それ以前に、天皇は一個の人間なのです。なによりもまず人間である天皇から、人間であることの権利、人間であることの自由まで奪うことができるでしょうか。
人間・明仁天皇には、他のいかなる存在によっても侵すことのできない、陛下ご自身に固有の領域というものがあります。「自分」という領域です。その「尊厳」ということです。

思わず「自分という領域の尊厳」という趣旨のことを書いてしまいました。今回の「お言葉」の最初と最後において2度も、憲法四条に言及することによって陛下は、自分としては「国政に関する権能を有しない」こと十分に承知しているけれども、それを前提したうえで、80歳を越えた今日この頃、どうしてもこれだけは言っておかなければならない――そんなふうに自分で考え・自分で決定し・自分で行動し、そうして結実したのが、このビデオメッセージなのだ、と示唆しておられます。

このように陛下における「自分」を強調したのは、明仁皇太子がいまだ少年であった頃に薫陶を受けたと伝えられる家庭教師・ヴァイニング夫人の晩年、齢80のときの言葉が忘れられないからです。彼女は次のように明言したそうです(牛島秀彦氏の取材による)。
――私は皇太子殿下にいつも「自ら考えなさい」と言い、物事を一方的に見ないで、あらゆる面を注意ぶかく見るようにして、ご自分で決定して行動なさるように言いました。殿下はそのことを実践していらっしゃいますので、大変うれしく思います、と。

以上は、第九節最初の一文についての考察です。憲法第四条の下で「お言葉」を発信される陛下の「お気持ち」に思いをめぐらしつつ書きました。
さて、そこで第九節の本論です。この本論は、ビデオメッセージ「お言葉」の全体をまとめて締め括る位置にあるのですが、一文構成です。最後に句点「。」を打つまで、読点「、」でつないであります。国民に伝えたいと「ひとえに念じ」ておられる陛下の「お気持ち」が、ここに一気に吐露されてあるかのような、聞く者・読む者の心に迫ってくる力を感じないわけにいきません。その内容を以下にあらかじめ示したうえで、個々に見てゆきます。

曰く、「そうした中で、
 •このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、
 •これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、
 •そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。」
 •このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、

陛下は過去の天皇の歴史のなかで、とくに「生前譲位」天皇について調べられたのではないでしょうか。
ぼくはこの方面の知識がまったくなくて、申し訳ないのですが、高の利彦氏(歴史学者・学習院大学教授)の言説をここに紹介させていただきます(朝日新聞 2016.8.9 耕論「象徴天皇のあり方」)。
「陛下は実に勉強家で、江戸期の天子のあり方についても非常によくご存じです。(中略)
江戸期の天皇の役割は、歴代将軍と家康をまつる東照宮の権威づけのほか、(中略)古代以来担った元号や官位を決めることなどでした。(中略)江戸期はしばしば、天皇は皇子らに譲位して、自らは上皇になることがありました。引き継ぐ天皇が幼少であったり、女帝だったりした時は、上皇が手助けのために、院政を敷くケースも江戸期だけで8度ありました。(改行)陛下が退位のご意向をもたれたとしても、過去の歴史から見れば異例のことではないのです。」

明治の大日本帝国以来、終身在位の天皇でやってきたわけですから、生前譲位についてある種の違和感を感じる向きがあるのは無理からんことかもしれません。ただ、天皇の歴史を知悉する陛下としては、 “生前譲与は、長い天皇の歴史では普通に行なわれてきたことであって、なにも珍しいことではないし、ましてや忌避すべき合理的な理由は何もない”というのが正直な感想ではないでしょうか。
事実を調べてみると、(神話の時代をも含めて)天皇の時代はなんと2600年以上、その皇位は125代にも及びます。そのなかで「生前退位」天皇の事例は実に58例、全体の46.4%を占めると言います。

明治の神聖天皇の場合でさえ、「終身在位制」とのあいだに合理的な整合性があるかどうか疑わしいことについては、すでに触れました。いわんや日本国憲法下の象徴天皇の場合、「終身在位制」でやっていけるという合理的な根拠・見通しがまったく見当たりません。
この点についても、検討しました。
今上天皇は、史上最後の「生前譲位」天皇である光格天皇(在位1780〜1817)の事績に立ち戻り、再思三考してこられたと伝えられています。ぼくらも「生前譲与」天皇の事績について調べてみる必要があるのではないか、と感じました。(なお、光格天皇は、すでに紹介したように、「天明の大飢饉」の際に後桜町上皇とともに民衆救済のために動き、幕府と交渉に当たった天皇です)。

 •これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、

天皇皇后両陛下の人生のテーマというのは、究竟するところ、「どのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう」にと祈る、この「祈り」に尽きるのではないでしょうか。国民皆は、両陛下のこの祈りに導かれ、その祈りに自らの思いを重ねる、そのようにして重ねると重なるがゆえに、天皇は国民と割符の関係となることができ、だから国民の象徴たりうるのではないでしょうか。
陛下ご自身による象徴天皇論について、これ以上の再論はしません。ただ、復習のつもりで、天皇皇后両陛下の「お言葉」の中から幾つかを以下に示します。

 •皇太子時代・ご結婚25周年会見。「政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は、象徴という言葉で表わすのに最もふさわしいあり方ではないかと思っています。私も日本の皇室のあり方としては、そのようなものでありたいと思っています。」(昭和59年4月6日)

 •天皇陛下72歳のお誕生日会見。「私の皇室に対する考え方は、天皇および皇族は国民と苦楽をともにすることに努め、国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが皇室のあり方として望ましいということであり、また、このあり方が皇室の伝統ではないかと考えているということです。」(平成17年12月19日)

 •皇后さま、欧州ご訪問を前にしての記者会見。「象徴でいらっしゃる陛下のおそばで、私も常に国民の上に心を寄せ、国民の喜び事をともに喜び、国民の悲しい折にはともに悲しみ、またともにそれに耐え続けていけるようでありたいと願っており........」(平成12年5月8日)

 •そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

ここで陛下が「常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」ておられるのは、「象徴天皇の務め」について、です。陛下が重く見ておられるのは、「天皇としての地位(立場)」ではなくて、「象徴天皇としての務め(活動)」です。
象徴天皇のほかに担う人のいない・象徴天皇ただお一人に委ねられているとことろの、「国民統合を象徴する」という「務め(活動)」が、途切れることなく引き継がれていかなければならない、ということです。

では、この「国民統合を象徴する」「務め」というのは、どのようにして為し遂げられるものなのでしょうか。「第二.」における両陛下のお言葉を引き継いで言うと、こういうことではないでしょうか。
――国民に我が身を寄せて・国民と苦楽を共にし・国民のことを思って祈り続ける。この営みに込められた思いは、自ずと天皇の身に体現され、かつ言葉となって表出される。その、体現され表出される ”無形のパワーみたいなものもの” が、個々の国民の中に、国民皆の中に、いわば “居場所” を見出して棲みついていく。その “無形のパワーみたいなものの居場所” を国民が共有することで、人びとのあいだに安寧と平和がもたらされるのではないか。割符を合わせるような、忍耐を要する、この、気の遠くなるようなプロセスを、倦まず弛まず歩み続ける。それが、象徴たらんとする天皇の務めなのではないか。
であるからこそ陛下は、「天皇のこの務め」が途切れることなく、どこまでも引き継がれていくようにと、「お言葉」の最後に念願しないではいられなかったのではないでしょうか。

象徴天皇において、「地位」と「務め」が一体不可分であることは言うまでもありません。ただ、あえて言うならば、「地位」ではなくて「務め」であらねばならない、というのが陛下の考えです。「全身全霊をもって」する「象徴の務め」という、「お言葉」第五節のなかの表現も、レトリックなどではなく、陛下ご自身の「象徴天皇論」の核心から自ずと発せられているのだと、改めて得心した次第です。

この論でいけば、象徴天皇としての務めができないのであれば、にもかかわらず天皇の地位に在ることは許されません。
ところが、終身在位制のもとでは、天皇が生きているということ、そのこと自体が、天皇という地位に在ることを意味しています。命のある限り天皇なのであって、天皇は自分の意志で天皇を辞める(止める)ことはできません。存命中の天皇がその地位を次代に譲る「生前譲位制」は、なんらかの思惑や恣意が介入しかねないことを理由に、制度化の道が封じられています。どこまでも「終身在位制」で行く、それが政府の決断です。

しかし上述のように、そもそも論として象徴天皇制は、「(象徴の務めができるかどうかで進退を決断する)生前譲位制」が本来の在り方ですから、「(命のある限り死ぬまで天皇でなければならない)終身在位制」とは折り合うことができません。
それよりもなによりも、終身在位天皇制のもとでの天皇の身になって考えてみてください。天皇に対する仕打ちは残酷に過ぎます。法律とか制度とかを持ち出してあれこれ言うより以前の問題として、それは、「人間の自然」とされているものを侵し、「人間という存在」そのものを蔑する仕業ではないでしょうか。現行「皇室典範」が「終身在位制」の下にあることは恥ずべきことです。これを廃棄して「生前譲与制」を採用しなければなりません。

他方、生前譲位制へと改革することができれば、天皇および皇室に対して国民は、人間として真っ当な、まだしも道理にかなった態度で臨むことができるのではないでしょうか。

 •これまでの終身在位制下の天皇だと、天皇の地位にある状態で・高齢となり・病臥し・最期を迎え・逝去したあとは、後続の者に任すしかありませんでした。後続の、昨日までは皇太子を務めていて略儀ながらその日その位に就いたばかりの新天皇が、そのあと丸1年、心身ともに疲れ果て、どんな思いをされたか、すでに見たとおりです。

ところが生前譲位制だと、天皇は、その務めが十分に果たせなくなったと判断した段階で、践祚の儀式を開き、自らの手で皇太子に三種の神器を引き渡す行為を行なうことができます。つまり、天皇の地位を譲与することができます。自身は上皇になるだけのことす。
さらに言えば、この場合、前天皇は逝去せず、上皇の地位にあるわけですから、終身在位制のときと違って、前天皇の喪に服する必要がありません。したがって、すぐに即位式の準備にとりかかり準備ができ次第、内外の貴顕を招いて皇位継承の祝宴を開催することができますし、上皇上皇后は新天皇の晴れ姿を祝うことができるのです。

 •もう一つ、理にかなった事柄があります。ぼくの気持ちとしては考えたくもないのです
が、今上天皇に万が一のことがあったときのことです。生前譲与により、今の皇太子さまが天皇になっておられたとしたら、陛下は天皇ではなくて上皇として逝去なさることになります。この制度だと、「上皇の逝去」はあっても「天皇の逝去」はない、ということです。
存命中の天皇が後継者に皇位を引き継いでいくのが世の習いとなるのですから、ものは言いようですが、天皇は決して死なない――死ぬのは上皇になってから――ということになります。天皇制は揺るがない、ということです。

 •象徴天皇が常に健在でその地位にあり、国民との割符の関係が途絶えない――ということは、天皇にいざとという時がないことを意味するのですから、例の “自粛” という名の大騒ぎも自ずと静まるのではないでしょうか。
さらに言えば、天皇逝去ということになると、大がかりな「大喪の儀・大喪の礼」を避けることは難しそうですが、上皇の場合なら簡素化が可能となり、些少なりとも今上天皇の思いをかなえることができるのではないでしょうか。

 •最後に、終身在位制と生前譲位制を理解するために、身近な例をあげます。
一家の戸主(戸籍筆頭者)が、代々の戸主に受け継がれてきた家督(権利・義務)を次代の戸主となるべき長男に譲らず、したがって戸主の身分のままで死亡したとします。この場合、新たに戸主となる長男が、前の家長である父親の葬式を出すことによって、家督を継ぐことになります。これが、終身在位制です。
他方、生きているうちに長男に家督を譲って、自分は隠居してしまう戸主もあります。ご隠居さんが亡くなったとき葬式を出すのは一家の主、すでに跡目を継いでいる戸主です。この方が、どちらかと言うと、一家の大事に多少は余裕をもって対処することができるのではないでしょうか。これが、生前譲位制です。
制度としての安定性ということで言えば、後者が勝ると思うのですが。

陛下は、「主権を有する日本国民の総意に基」づいて、天皇という「地位」に在ります。
この地位に在る者には、その地位に在るという、まさにそのことによって引き受けなければいけない「務め」というものがあります。
その「務め」とは何か。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であ」るべし、ということです。日本国の・日本国民統合の象徴であるべし、というのが、その「務め」である以上、「天皇」という地位(立場)と「象徴」という務め(活動)とは、一体不可分でなければなりません。象徴の務めが果たせなくなった時点で、天皇はもはや天皇たりえないわけですから、天皇の地位を次代に譲与しなければなりません。

つまるところは、皇室典範の制度設計を変更しなければならない、ということです。
陛下が「お言葉」で訴えられたのは、要するに、この一点に尽きます。
“ 加齢のため身体的に耐えられなくなったから、代ってくれ” なんて! この種の泣き言を言うほど、陛下はやわではありません。まったく逆です、強靭そのものです。
いやしい邪推を働かせて、問題をすり替え、その場をしのごうなんて、恥ずかしいことは止めてもらいたいものです。