「天皇を読む」第11回


たけもとのぶひろ[第128回]
2017年5月4日

象徴天皇制の許での「天皇と国民」は割符の関係であり天皇が象徴としての務めを果たした

象徴天皇制の許での「天皇と国民」は割符の関係であり天皇が象徴としての務めを果たした

第七節 象徴天皇制—終身在位か生前譲位か

  
 陛下ご自身の「象徴天皇」論―と書いてよいのかどうか、ためらいを覚えるのですが、その基本的な考え方というものは、これまで語られてきた「おことば」のなかにすでに示唆されていると思います。そのあらましを示すところから始めます。
 • 「天皇の地位」にある者は、「全身全霊をもって象徴の務めを果たす」のが当然の責務であると考えなければならない。
 • ここに「象徴の務め」というのは、「国民のために尽くす」「国民を思い国民のために祈る」「国民のために生きる」ことを意味する。
 • 象徴天皇であるためには、「天皇の地位」に在るだけでは足らない。「国民のために尽くし・祈り・生きる」という、その「務め」を果たしてはじめて、「象徴天皇である」ことの必要かつ十分な条件を満たすことができる。
 • 天皇は、国旗や国歌のような象徴と違い、生身の生きた象徴であり、高齢化による生命力の衰えは避けられず、結果、「象徴の務め」に困難をきたす事態ともなりかねない。
 • 「象徴の務め」を果たすことができなくなると、象徴天皇の必要かつ十分条件を満たすことができず、「天皇の地位」に止まることはできない。譲位しなければならない。

 これは、いったい、どういうことでしょうか。そもそも論から言って、「象徴天皇」という制度は、「生前譲位の制度」と合わせて一つのものとして設計しないと、うまく機能しない、運営に支障を来す、ということです。同じことを逆から言うと、象徴天皇制は「終身在位制」と並び立たない、整合しない、ということになります。
 ところが、現在の皇室典範は旧皇室典範の「天皇終身在位(摂政設置)」制度をそのまま踏襲しています。天皇そのものについての考え方は、神聖天皇(帝国憲法)から象徴天皇(日本国憲法)へと一変させておきながら、天皇の地位についての考え方はまったく変えていません。本当は、憲法を変えたときに、同時に皇室典範も変えなければならなかったのだと思います。しかし、諸般の事情もあって、それができなかった、ということです。

 帝国憲法下の神聖天皇の場合だったら、「終身在位(摂政設置)」制度と整合する、矛盾なくやっていける、ということを言っているわけでは決してありません。象徴天皇にとってと同様、神聖天皇にとっても、後述するように、「終身在位(摂政設置)」制度が不都合であることに変わりはありません。
 しかし、伊藤博文など「皇室典範」の制作者たちは、「神聖天皇による赤子臣民統治」を安定的に運営するうえで最善でないにしても次善の策として、「終身在位(摂政設置)制度」——天皇が高齢化や重病のために十全に機能できなくなっても、天皇には命のあるかぎりその名(地位)を保っていただいて、その務め(機能)については摂政を設けて代行させる制度――を選択したということでしょう。

 神聖天皇は、帝国憲法の建前からすると、たしかに国家元首(主権者)として臣民を統治していましたが、それはあくまでも形式であって、実際に政治を動かし臣民赤子を統治していたのは、元勲や元老、藩閥政治家や軍閥政治家であったわけです(ときに政党政治家や貴族政治家もありましたが)。ですから、仮に天皇が再起不能の病の床に伏する事態になっても、生きてさえいてもらえば、その代役として摂政を立てて体面を保ち、天皇の名による政治の延命を図ることができた、ということです。

 しかし、たとえ神聖天皇制のもとであっても、天皇が長期にわたる重病に倒れたとき、「天皇の終身在位」を維持しつつ「天皇代行として摂政」を設置する、という制度設計は、そもそもの初めから無理があったのではないでしょうか。

 天皇は生存しているが、現実には姿を見せない。存在しているけれども、存在していない。あるいは、天皇が二重に存在する。天皇は一人でなければならないのに、二人いるのか、どちらが本当の天皇なのか、等々。天皇をとりまく環境にアイデンティティの分裂が起こり、ひいては国民感情が二分されます。天皇は何処の誰だか分からなくなります。
 この混乱は、当然、天皇本人にはね返ります。天皇は、内面の平穏を保つことができなくなりますし、焦りますし、自信喪失に陥ります。天皇のこのような内面の葛藤は、摂政宮(皇太子)との関係にも影響し、両者の感情的対立、不和軋轢の原因になりかねません。大正天皇も昭和天皇も、亡くなるまで長期にわたって病床にありました。お二人はともに、このような苦悩のなかで哀切極まりない死を遂げられた、と伝えられています。

 終身在位(摂政設置)制は、以上に見た通り、無慈悲残酷の極みです。百害あって一利なし、です。この制度のこれらの欠陥は、神聖天皇制のもとでも免れません。ましていわんや象徴天皇制においてをや、です。上述のように象徴天皇制は、制度設計の原点において、本質的に、終身在位(摂政設置)制と相容れないのですから。

 先に触れたところですが、象徴天皇は、長期にわたる病床に伏することがなくとも、「象徴という務め」を十全に果たすことができなくなった段階で、もはや「天皇の地位」に止まるべきではなく、その地位を皇太子に譲らなければならない――というのが、今上天皇の「生前譲位」論の主張です。

 ここで注目すべきは、譲位の判断基準です。神聖天皇制は、自然の生命現象の消滅をもって譲位を決定します。ところが、象徴天皇制における譲位の判断基準は、「象徴という務め」の履行能力の如何にあります。その務めを果たすことができるのか、もはやできないのか、にあるというのです。どうして、それが判断基準になるのでしょうか。
 根拠は日本国憲法第一条にあります。「天皇」は「日本国民統合の象徴」です。その「天皇という地位」を決するのは「国民の総意」です。象徴天皇制のもとでの「天皇と国民」は「割符の関係」にある、ということです。

 もし仮に、天皇が「国民の割符」としての「務め」を果たすことができなくなるとせんか、国民は自分たちを象徴する天皇を失うところとなり、国民はアイデンティティの危機に逢着します。「日本国民統合」そのものが困難に落ち入ります。「主権の存する日本国民の総意」の形成が危殆に瀕します。すなわち、象徴天皇の地位にあるためには、象徴天皇の務め(象徴という務め)を果たすことが決定的条件だということです。

 陛下の訴えは、こうです。加齢による身体的衰えのため象徴天皇の務めを十全に果たすことができない以上、その地位にあることは原則的によろしくない、と。それに対する対策として、安倍内閣・政界・官界・学界おおよび情報関係筋(有識者・専門家)などのエスタブリッシュメントが掲げたのは、二つ、「公務の削減」と「摂政の設置」です。いずれも、「神聖天皇=旧皇室典範」時代の終身在位制を前提していることは、上述の通りです。
 陛下はご自身の問題提起に対して、内閣がその場しのぎの弥縫策としてこれらを提案してくるであろうことをすでに見通しておられたからでありましょう、その二つの逃げ道をあらかじめ塞いでおられます。

 まず「公務の削減」について。陛下が予め用意された答えは、以下の通りです。
「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」と。
 ここにある「国事行為や、その象徴としての行為」について陛下がどのように考えておられるか、ということは、すでに議論したので再述しません。
 ただ、指摘しておきたいことがあります。今上天皇は、これらの行為(公務)について、重い軽いの別があってはならない以上、力の及ぶ限りどこまでも「公平性」を追求すべきであって、どの公務についても全身全霊をもってその務めを果たさなければならない、そういうふうに思い定めておられる――まさにこの点にこそ、今上天皇の「象徴天皇としての姿勢」がうかがわれるのではないでしょうか。

 そうすると、どうなるか。公務の量の増加です。これについて、陛下ご自身の発言、皇太子徳仁さまの証言があります。以下の通りです。
 • 今上天皇 60歳のお誕生日会見(平成5年 1993.12.20)
 「私は公務の量が多いとは考えていません。公務は国や国民のために行うものであり、それが望ましいものである以上、一つ一つを大切に務めていきたいと思っています。ただ、昔に比べ、公務の量が非常に増加していることは事実です。」
 • 皇太子徳仁さま 48歳のお誕生日会見(平成20年 2008.2.21)
 「天皇陛下のご公務を拝見していると、もちろん国事行為としてのご公務がおありになるわけですけれども、それに加えて天皇というお立場であるがゆえに公平性などが重んじられて、式典や、皇居の中での外からは見えないところでのご公務なども随分おありになると思います。」

 NHKスペシャル『私たちと「象徴天皇」』(2017.4.29)は、天皇の公務を「年間1700件」と報じています。圧倒的な件数です。それでも陛下は、「縮小していくことには、無理があろう」と語っておられます。

 公務のなかでもとくに「象徴的な公的行為」は、直に国民に接し・国民と苦楽を共にし・国民の幸せを祈る、というのが務めですから、そもそも “もうこれでよい” というような区切りはありません。国民のために祈りを捧げる天皇の務めに終りはない、というのが、今上天皇の基本的な考えだと思うのです。
 他方、国事行為についても、もしこれが停滞の余儀なきに至ったときは、国家はその正常な運営を断念せざるをえません。その縮小など論外だということです。したがって、陛下の「お言葉」の通りになります。「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」と。

 天皇の務め(公務)は国事行為と公的(象徴的)行為からなりますが、いずれも増加することはあっても縮小することは不可能です。( 加えて、宮中祭祀があります。これは無理矢理、天皇家の私的行為として区分けされていますが、天皇及び皇室にとって、重要にして欠くべからざる務めです。)つまり、天皇の務めは質量ともに大変なことになっている、ということです。にもかかわらず、陛下は年々、歳を重ねていかれます。ご高齢の陛下が、ご自身の納得いくように、その務めを果たすことは、もはや困難な事態です。だからといって、上に見たように、務めの量を減らすことはできません。

 進むことも退くこともできません。いったい、どうなるのか。これまでの歴史で言うと、生身の人間である天皇の方が参ってしまいます。つまり、病床に臥する身となり、務めを果たすことができなくなります。そこで摂政を設けて、天皇の代行を務めさせます。天皇の地位はそのままです。と、本来一人であるはずの天皇が「地位としての天皇」と「務めとしての天皇」と、二人の天皇に引き裂かれます。あるいは二重化されます。どちらも天皇なのか、どちらかがホントの天皇なのか、天皇はいなくなったのか、何が何だか、わからなくなります。これは既に書いたことの再述です。

 それがどういう悲劇であるのか、そのことについて陛下は次のように書いておられます。
 「天皇が重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。」

 今上天皇はいまだ明仁皇太子の頃、最晩年の昭和天皇が病に倒れられ、執務不可能状態になられたとき、摂政として天皇代行の務めを果たされました。上記の「おことば」は、そのときのご自身の体験から出てきていると思います。陛下は、天皇がいかに辛い思いをしたか、とその身になって語っておられます。ご自身は天皇ではなくて、摂政として天皇の代行を務めておられたのですが。摂政も辛かったに違いありません。しかし、そのことは胸に納めて触れず、父親の昭和天皇がいかに辛かったであろうか、とだけ表現することで、明仁皇太子であったときの今上天皇の、身を裂かれるような、辛い思いが、かえって強く伝わってくるように思えるのでした。

 天皇と皇太子は赤の他人でなくて、実の親子です。それぞれに妻があり子があり、兄弟なり姉妹なりがあって、皇室というものを形づくっているのでしょう。天皇・皇太子の悲しみ苦しみは、皇室メンバー全体の悲しみであり苦しみです。しかも、彼らのばあい、それぞれの一人の人間であるわけで、自分の悲しみや苦しみの感情を他人に見られたくはないでしょう。しかし、彼らは衆人環視の目を逃れることはできません。
 天皇家は、一億を超える人間たちの目に曝されているなかで、親子が、家族が、引き裂かれる、その状況を甘受するしかない、そういう状況のなかで人は自分を人間として保つことができるものでしょうか。そう思うと、心が沈みます。

 この節の陛下の主張は、「終身在位・摂政設置」制度がいかに非人間的か、との批判です。
 “ 生きていてさえいて下されば、それだけで有り難い“
 などと、いかにも慈悲深そうな甘い言葉を口にする連中が、口とは裏腹に、天皇に対して、天皇家に対して、どれだけ冷酷無残な仕打ちをしているか、ということです。

 天皇からその務め(仕事)を引き剥がしておいて、それどころか、天皇の天皇たる所以を示す「御名御爾」まで没収しておいて、まだ命があるうちは死ぬまでは天皇のままでいてくれればよいから、と言わんばかりの処遇ではないですか。
 終身在位制における皇位継承の判断基準は、天皇の生命現象(肉体)の存続か終焉かにあります。しかし天皇は、肉体(命)だけでなく精神(心)もあります。そういうことは考えないことにする、というのは、ある種の思考停止だと思うのです。

 どうすればよいのでしょうか。今上天皇は「おことば」において答えています。繰り返しになりますが、最後にもう一度書きます。
 “ 天皇たる者は、もし仮に全身全霊の務めをなしえないとなれば、天皇の地位に在ってはならず、その地位を去って、次の天皇へと譲位しなければならない ” と。

 天皇が目指しておられるのは、要するに、皇室典範を改正し、生前譲位を制度化する、これによって皇位の安定的継承を担保する、天皇および皇室の存在根拠を日本国憲法第一条に求める、こういうことではないでしょうか。