「天皇を読む」第7回


たけもとのぶひろ[第124回]
2017年3月26日

新嘗祭に臨まれる今上天皇

新嘗祭に臨まれる今上天皇

第四節 皇室の伝統―皇室祭祀に対する無理解について

 前回の最後に、「57歳のお誕生日の記者会見(平成2年・1990年12月20日)」における陛下の「信教の自由」発言について触れました。その際、先を急ぐあまり、記者の問いを示さず、陛下の答えの部分のみを引用しました。記者の問いは、それを示すと、皇室祭祀について具体的に踏み込んだ議論を余儀なくされる内容であったため、端折るほかありませんでした。
 宮内庁ホームページは、上記のタイトル「〜記者会見」のあとに「即位の礼・大嘗祭を終えられ」とサブタイトルを続けることで、この日の会見のテーマを明示しています。記者の問いと陛下の答えの、問題の部分を以下に抜き出して示します。

問4 陛下にお伺いします。即位の礼と大嘗祭の実施にあたって、憲法の国民主権や政教分離の原則に触れるのではないかという意見もありましたが、この点については如何お考えでしょうか。
天皇陛下 この問題については、政府で十分検討が行われたと聞いております。

 記者の質問は、はなはだ要領を得ません。二つの問いを一つにして問うているからではないでしょうか。ごっちゃになっているのを分けて問うと、こうなります。一つ、即位の礼は憲法の国民主権(主権在民)の原則に触れるのではないか、との問い。いま一つは、大嘗祭の実施は政教分離の原則に触れるのではないか、との問いです。

 前者について。「即位の礼」の何がいったい国民主権の原則に触れるのか、記者が何のことを言っているのか、ぼくには見当がつきません。陛下の記者会見は、予め用意された質問以外に、その場で疑問に思ったことを質すことのできる関連質問のコーナーみたいなのがあるらしく、上記の問いの前者について、次のように問う記者がいて、ようやく先の記者の問いの趣旨が分りました。それをみておきます。

関連質問4 「即位礼正殿の儀で高御座(たかみくら)にのぼられましたけれども、高御座については国民を見下ろすような形になるということで、憲法の国民主権の原則に違反するのではないかという意見もあったのですが、実際に昇られてみて陛下はどんなお感じになられましたか。」
天皇陛下 「高御座というものは、歴史的に古くから伝わっているものですけれども、そういうような儀式のひとつのものとして、そこへ昇りましたけれども、今のお話のような感情を持って昇ったわけではありません。」

 「即位礼正殿の儀」は、皇位を継承した新天皇が即位を内外に宣明する儀式です。天皇が高御座に昇り、皇后が御帳台(みちょうだい)に昇り、両者して玉座に着くところから、儀式は始まります。どちらも大袈裟なほど高く大きく立派な構造物らしく、その玉座に座ると高いところから国民を見下ろす恰好になるらしいのですが、だからといって、天皇が高みに立ち、国民主権=主権在民の原則を侵すことにはなりません。
 憲法第一条が、天皇という「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とうたっており、今上天皇は誰にもまして、この大原則を身に体すべく、皇太子時代から心の用意をされてきたからです。まぁ、しかし、こういうことを陛下に質問するとは、呆れます。

 いま一つは、後者の、大嘗祭は憲法の政教分離の原則に触れるのではないか、との質問についてです。質問4に対する陛下の答えは、「この問題については、政府で十分検討が行われたと聞いております」というもので、門前払い同然です。しかし、この質問との関連で再度質問されたときは、少し踏み込んだかたちで答えておられます。以下の通りです。

関連質問3 「憲法にかかわる質問ですが、宗教の自由について、今回の大嘗祭について政教分離の原則に触れるのではないかと反対論を述べた方の根底には、信教の自由が侵されるのではないかと心配や懸念があり、宗教の自由について、どのようにお考えですか。」
 この質問に対して陛下は、前回に紹介した通り、「この信教の自由はやはり憲法に定められたものですから、非常に大切にされなければならないと思います」と答えています。

 天皇と内閣(政府)との関係は、どうなっているのか――ここで見ておきます。
 • まず、憲法第七条は、その冒頭に「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と置いたうえで、第十号「儀式を行ふこと」としています。ここに「儀式」というのは、「即位の礼」「大喪の礼」「新年祝賀の儀」「皇太子の結婚の儀」の四つを指します。これらは、天皇の主宰による儀式ではありますが、天皇家レベルというよりも、すぐれて国家的性格を有するところから、「国事行為」と呼び、費用も公金(宮廷費)によって賄います。
 • 次に、宮中祭祀――元始祭、皇霊祭、新嘗祭、神嘗祭など――は、皇室が私的に執り行なう儀式とみなします。つまり、宮中祭祀は皇室の「私的行為」であり、費用も皇室の御手許金(内廷費)から支出されます。
 • そして大嘗祭です。天皇即位後、最初の新嘗祭を大嘗祭と呼び、例年の新嘗祭よりも大がかりなお祭りを祝います。新嘗祭だと②で指摘したように、皇室の「私的行為」に当たるわけですが、大嘗祭だと、そこに天皇即位という国家的性格が加わります。だからといって、しかし、この祭祀の本質が新嘗祭にある以上、大嘗祭はあくまでも皇室主宰の伝統祭祀でなければなりません。これらの事情を考え合わせてのことでありましょう、政府見解は、大嘗祭を「天皇の公的行為」と位置づけています。早い話、新嘗祭の例外扱いですから、費用も通常の「内定費(御手許金)」ではなくて、臨時の予算が組まれています。

 「天皇の公的行為」について陛下は、憲法第一条の「象徴天皇」規定がその理論的根拠だと考えています。79歳のお誕生日会見(平成24年12月19日)のなかで次のように述べているのが、それです。
 「天皇の務めには、日本国憲法によって定められた国事行為のほかに、天皇の「象徴」という立場から見て公的に関わることがふさわしいと考えられる「象徴的な行為」という務めがあると考えられます。」
 上述③の論理をくりかえすことになり、恐縮です。大嘗祭は皇室祭祀ではあるけれども、天皇(皇室)の私的行為とするには国家的に過ぎて無理がある、かと言って、内閣(政府)を主体とする国事行為には当たらない、象徴天皇という地位の「象徴性の立場」で行う公的行為(務め)である、というほかはない――そういうことではないでしょうか。

 以上によって明らかになったのは、上記記者の心配は杞憂に過ぎないということです。政府(内閣)は天皇(皇室)の信教の自由・宗教の自由を侵していない、もちろん戦前のような皇室神道による政治への介入はありえません。政教分離の原則は守られている、ということです。同じことを逆の方から言うと、天皇と皇室祭祀は、政治への宗教の介入を阻止したGHQの「神道指令」を楯にして、宗教(皇室神道)に介入しようとする政治の圧力をなんとか凌いできているという、そういうことではないでしょうか。

 こうは書いても言葉だけのような気がして、なにか割り切れない複雑な感情を抱かざるをえないのですが。曰く言いがたい、この気持ちは、天皇祭祀(皇室神道)の実際がどういうものか、その一端に触れるだけで、得心してもらえると思います。ここでは、数ある皇室祭祀のなかで最も重要とされる「新嘗祭」について調べたことを書きます。今日現在の新嘗祭の実際を紹介する前に、稲作農耕民族を代表する天皇家が五穀豊穣・領土安泰・安寧社会を祈願する祭祀として新嘗祭を始めた歴史を、予備知識として見ておきたいと思います。

 新嘗祭の起源は、民間の稲の収穫祭にあり、五穀豊饒(稲・麦・粟・大豆・小豆)を祈願するものとされています。ぼくらの先祖が稲作農耕を始めた大昔に、地方地方の村落共同体のなかで自然発生的に生まれ、豪族を中心に代々継承されてきたのが、この祭の発端のようです。地方の首長として豪族は、共同体の農耕儀礼を主宰し、穀霊(自然)・祖霊(先祖)に対する祭を仕切っていたのではないか、そしてそのように祭事を仕切ることによって同時に、その年その年の最初の収穫(初穂)を租税として徴集していたのではないか、あるいは春に貸し付けた種籾(たねもみ)に利稲を付けて回収するというようなこともやっていたのではないか――つまり、「新嘗祭=収穫祭」は税の徴収を伴っており、その意味で祭政一致の統治が行われていたのではないでしょうか。自然発生的に、です。

 もともと村落共同体の豪族は、祖霊穀霊信仰と政治経済を一体のものとして営んでいたのであり、であるからこそ、持続的に発展して、古代天皇親政の統治システムの基盤たりえたものと思われます。律令制古代国家は、「公地公民・班田収授」の制度により、土地の国有化・配分・徴税のシステムを確立しました。国司(くにのつかさ・国家公務員みたいな役人)を地方に派遣して税の徴収に当たらせる一方、地方の豪族のなかから国造(くにのみやつこ・「国の御奴」・地方の役人)を選んで祭祀のみに関与する世襲職とし、その国造のもとで「新嘗祭=豊穣祈願の収穫祭」は絶えることなく執り行なわれてきたのでした。

 新嘗祭の日、人々は神々に神饌(しんせん、酒・水・塩・穀物・果実・蔬菜・鳥獣魚介類など)を供え、幣帛(へいはく、神への進物)を捧げて祭を祝ったあと、直会(なおらい、神人共食)と称して、酒宴を共にするのが楽しみだったのです。
 新嘗祭のこのやり方は全国の村々に広がり受け継がれ、宮中にも取り入れられて最も大切な祭祀の一つになって今日に至っています。天皇家の皇室祭祀だけでなく、出雲大社でも「献穀祭・古伝新嘗祭」が執り行なわれていますが、ここでは、皇室祭祀としての新嘗祭がどのようなものか、山本雅人著『天皇陛下の全仕事』(講談社)に拠って紹介します。

 ①祭祀は11月23日。舞台は宮中三殿――神殿・賢所・皇霊殿――の構内左奥にある神嘉殿(新嘗祭専用の建物)です。
 天皇は、住まいの御所で潔斉(けっさい、入浴して全身を清める)を済ませたうえで、構内の綾綺殿にて身形(みなり)を整えます。「祭服(さいふく)」と呼ばれるそれは、皇室祭祀のなかでも新嘗祭など特別に重要な祭祀に着用される古式装束で、「冠に純白の絹の袍(ほう、身体を包む丸襟、大袖の上着)、純白の袴(はかま)、底が桐でできた純白の靴、右手には笏(しゃく、木製の細長い板)」という身支度です。

 ②午後6時、天皇は前と後ろに侍従をつきそわせて神嘉殿に現われます。神嘉殿の前庭では、雅楽の楽師たちが古代歌謡の神楽歌を歌っており、祭事が終了するまで、そこでそのようにして音楽を奉納しています。
 天皇は殿内に入って直ぐに手を水で清め、神座に向かいます。神座は、皇室の祖神・天照大神を祭る伊勢神宮の方角に設けられています。神座(しんざ)とは、広辞苑によると、「神霊の御座。内陣の中央に浜床を置き、上に厚畳を敷き、さらにその上に帳台を安置し、中央に茵(しとね、布団)を設け、その上に霊代(たましろ、神霊の代わりとして祭るもの)を奉安し、ふすまで覆う」というものです。

 ③神座に着いて、神饌を供えます。これについては、すでに記述したところですが、山本雅人氏の書物にはお供えした食べ物が詳しく述べられていますので、そのままここに引用します。「ふかした新米のご飯、栗のご飯、酒、刺身のように調理された鮮魚(タイ、アワビ、サケなど)、干した魚(タイ、アワビ、カツオなど)、野菜、クリやナツメなどの果実、塩、水などを自ら一品ずつ(中略)天皇自ら、丈性の箸を使って器に盛りつけていく」とあります。これだけのものを盛りつけるのに、およそ1時間半かかるそうです。
 建物は、冷暖房装置がないためにこの時期になると寒いですし、明かりは灯火だけですから薄暗いなかでの所作となります。容易ではないことが察せられます。

 ④神饌御供のあと続いて、天皇は拝礼し、「お告文」を読み上げ、然る後にご自身もご飯とお酒を召し上がります。
 なお、「お告文」とは、「〜かしこみかしこみ、、、、」といった、独特の宣命体(せんみょうたい、古代日本語を漢字だけで書き記すときの表記法)という文体でできた、いわゆる祝詞(のりと)と言われるもので、その内容は今年の収穫感謝・来年の豊作祈願だそうです。
 神前にて祝詞を読みあげるということは、天皇が神社の宮司(神官)の役を引き受けて、自ら祭りを主宰していることを意味します。

 ⑤すべてが終わるまで、祭儀は約2時間かかるといいます。だから、午後8時頃に終わるわけですが――どうしてか理解に苦しむことに――その約3時間後の同日午後11時から、まったく同じ祭儀がもう一度くりかえされるのだそうです。最初の祭儀は「夕(よい)の儀」、次の祭儀は「暁の儀」と呼ばれています。
 特に真夜中の「暁の儀」は、さぞかし人知では測り知れないような、神秘的な、森厳な霊気が、あたり一面をおおうのではないでしょうか。。

 ⑥新嘗祭は重要な祭儀であるところから、「三権の長」や大臣らには参列の案内状が出されるらしく、「暁の儀」の体験談を山本氏が紹介しています。
 「参列したことのある大臣経験者によると、着席している場所からは、前庭越しに見える神嘉殿内部の様子はうかがい知ることはできず、かすかに建物内に明かりのともる障子に、人の動く影がたまに映る程度だった、という。「夜の闇の静寂の中、前庭に響く楽師の神楽歌に合わせて鳴らされる和琴(わごん)の低い響きと、庭でたかれるかがり火のパチパチとはぜる音が印象に残っている」と話してくれた。」

 以上が、皇室祭祀のなかでも最も重視されている「新嘗祭」のあらましです。これだけの文字情報があれば、この宮中祭祀がどういうものか、おおよそのイメージを描くことができると思います。しかし、これだけでは満足せず、もっと知りたい、映像でも見たい、宮中神事の現場をナマで見たい、だから「伝統の儀式」を公開してほしい、と声をあげる国民が少なくない、と言われています。ここで、もしも皇室が、その種の国民の見たい知りたい欲望に負けて、宮中儀式・皇室祭祀の公開に踏み切ったとすると、どうなるか。     

 見たい知りたいということは、それ自体としては悪くないとしても、それによって、天皇および天皇家の主宰する「皇室祭祀」(=プライバシー)が「情報の対象」にされてしまうのではないかと、そういう心配をしなければならなくなるということでもあります。

 天皇および天皇家の「私的な行事」(=プライバシー)であるところの、宮中儀式・皇室祭祀から、その私的性格(=プライバシー・独自性・主体性)が奪われ、天皇および天皇家ならではの宗教性――皇室神道――が根絶やしにされかねない、そういう危険が生じます。

 これらの心配ないし危険とは、別言して言えば、今上天皇が築き上げてきた象徴天皇像というものが、打ち砕かれ、踏みにじられかねない、ということのそれです。
 象徴天皇像を破壊して、神聖天皇にとって代える、などということがあってはなりません。ぼくらにとって「今上天皇の制作による象徴天皇像」は、何ものにも替えがたい価値の源であると言っても言いすぎではない、それほどの存在だからです。

 天皇という存在およびその祈りについて、その内的構造みたいなものがわかると、だいぶ物事がはっきりしてくると思うのです。以下に、その断片を記します。

 ①宮中神殿など「神々と対面する場」にあって「神々と共に祈る時」の天皇は、皇室祭祀の主宰者です。また、行幸啓先の「国民と対面する場」において「人々と共感共苦する時」の天皇は、国民統合の象徴者です。
 ②国民統合を象徴する天皇は、人々の苦しみや悲しみ・悩みや怒りをその身に体して、宮中神殿に帰り、神々と対面し、神々に拝礼して、人々の救いを求め、助かりをお願いして、祈るのでした。
 ③皇室祭祀における天皇の「祈り」は、このようにして神々へと取り次がれます。神々は、ご加護の霊力を授けて天皇を、人々のもとへと帰してあげるのではないでしょうか。
 ④(象徴天皇であり人間天皇であり祭祀天皇であるところの)天皇の「祈り」が、人々の苦難と苦難からの救済の願いを、神々へとつないでいる__そういう理解でよいのではないでしょうか。

 先に書いたように、皇室祭祀の国民への公開要求について、ぼくは反対です。どうして反対なのか、以上の議論によってどれだけ解明されたか、心許ないばかりです。
 ぼくの力量不足のところは、島薗進氏に補ってもらおうと思います。片山杜秀・島薗進著『近代天皇論』(集英社)における島薗進氏の発言から引用して以下に示します。

 「もうひとつ考えるべきは、民主主義の基盤に宗教的な次元がじつは欠かせないという問題です。共感や連帯感なしに人々が社会の問題に取り組むことはできません。他者に継続的に想いを寄せ、関与していく姿勢は、宗教的な基盤から生まれてくることが多いのです。もちろん、特定の宗教に政治が肩入れすることは危険ですし、神聖国家としての戦前日本の失敗をくりかえすべきではありません。
 あくまで人間として他者のために祈るという天皇のあり方が、ぎりぎりのところで、成立が難しくなってきた民主主義を支えつつ、神聖国家への回帰を防ぐ防波堤の役割を果たしているのです。」