「天皇を読む」第5回


たけもとのぶひろ[第122回]
2017年2月25日

かつてこんな発言もありました

かつてこんな発言もありました

第四節 皇室の伝統——神聖天皇(注)か象徴天皇か

 「お言葉」第四節は、二つの文章からなっています。最初の文章はいつもの陛下の文章らしく、誰が読んでも直ぐわかります。即位以来、自分は象徴天皇の在り方をずっと考えて来た、ということです。ところが、二番目の文章はきわめて難解です。何度読んでも活字の向こうにある、それを書いた人の心に届きません。陛下のいつものわかりやすい文章からすると、どうもどこかが違うような気がしてならないのです。どうしてなのか? そのことを考えることから始めたいと思います。まず、各々の文章を示します。

 第一の文章。「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。」
 第二の文章。「伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。」

 第一の文章から第二の文章へ移るとき、えっ? と思いました。接続詞も主語もなくて、冒頭いきなり「伝統の継承者として」と始めています。そしてこの文章の中程にも「いかに伝統を生かし」と出てくるのですが、この「伝統」が何の伝統を意味しているのか、どこにも書いてないのです。ヘンだと思われませんか。

 陛下の元々の原稿は、「皇室の」伝統であると明記してあったはずです。「皇室の伝統の継承者として」ないしは「皇室の伝統を継承する者として」というふうに。
 天皇の長い歴史のなかで、天皇を「象徴天皇」と規定したのは、現行の「日本国憲法」が初めてです。その「望ましい在り方」を模索していくなかで陛下は、皇室の先祖が天皇という立場をどのように務めてきたかを調べ、学ぶべきよき事績はこれを「伝統として継承し」て、自ら実行し、後生に引き継いでいこうとされたに違いありません。

 これは、陛下の基本的な考え方であって、「お言葉」以前に、同じ趣旨のことは何度も述べておられます。例えば、ということで、記者会見での談話を二つ挙げます。いずれも、「皇室の」「長い歴史」のなかで、「伝統的な天皇の在り方」に言及しています。

 まず、「天皇皇后両陛下御結婚満25年に際しての記者会見」(1984.4.6)から。
 「日本の皇室は、長い歴史を通じて、政治を動かしてきた時期はきわめて短いのが特徴であり、外国にはない例ではないかと思っています。
 政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は、象徴という言葉で表すのに最もふさわしいあり方ではないかと思っています。私も日本の皇室のあり方としては、そのようなものでありたいと思っています。」
 「日本の皇室のあり方として」「最もふさわしいあり方」は、「政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せた」過去の天皇の姿にあるのであって、直接「政治を動かしてきた時期はきわめて短い」例外である、というのが主旨です。 

 次に、「天皇皇后両陛下御結婚満50年に際しての記者会見」(2009.4.8)から。
 「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。」
 ここでは、大日本帝国憲法と日本国憲法と、二つの憲法の名前を挙げて問うています。
 「天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿う」のはどちらか、と。そして皇室の伝統を継承しているのは、現行の日本国憲法下の象徴天皇のほうである、と答えているのです。

 安倍首相たちが「お言葉」原稿について許しがたいと思った――と察せられる――のは、今上天皇が「天皇の歴史」「皇室の伝統」を引き合いに出して、「大日本帝国憲法下の明治天皇制」を全面的に否定している点です。
 陛下は「天皇不執政の伝統」(政治に距離を置く伝統)に学び、これを継承するところに、
 「象徴天皇」のあるべき姿があると確信しています。他方、安倍たちの「自民党憲法改正草案」は、その第一条の冒頭に、「天皇は、日本国の元首であり(云々)」とうたっています。現行憲法の「象徴」規定の前に「元首」規定を置いているのです。天皇の元首への格上げです。天皇権力の政治利用の意図が見え隠れします。

 「お言葉」第四章についての安倍たちの要求は、次の二点にあったのではないでしょうか。一つは、おそらくは元原稿には「皇室の伝統の継承者として」とあったであろう文章のなかから、「皇室の」の文言を削除して、「日本の」に変えよ、というものだったと思います。いま一つは、最初に挙げたぼくの言う「第二の文章」の中程の2箇所に「日本」を加筆せよ、というものだったのではないでしょうか。

 彼らのこの要求の意味を理解してもらうには、陛下の元原稿を想定して示す必要があります。へたくそな文章で申し訳ないですが、陛下はおおよそ次のような主旨で書いておられたのではないでしょうか。
 たとえば、「象徴天皇のあるべき姿を模索するなかで私は、皇室の伝統を継承する者として、これを守り続ける責任に深く思いを致すとともに、日々新たになる世界の中にあって、皇室がその伝統を現代に生かし、(云々)」
 といったふうに。
 この表現で、陛下が伝えようとされた文意は伝わるはずだと思います。ところが、安倍たちは気に入りません。「日本」がどこにも入っていないではないか、というわけです。
 ならば、ということで、無理矢理「日本」を入れます。「日々新たになる【日本と】世界の中にあって、【日本の】皇室が、いかに伝統を現代に生かし(云々)」と。

 ぼくは加筆の必要がないと思います。無意味だからです。それにしても、どうして、このように「日本」を露出させる結果になったのでしょうか。
 先に指摘したように、安倍たちは、陛下の「皇室の伝統を継承する者として」を否定し、「日本の伝統の継承者として」を主張したものと察せられます。これに対して陛下は、「日本の伝統」などという意味不明の文言は採用できない、と強く主張されたに違いありません。結果は痛み分けで、「皇室の」も「日本の」もない、ただの「伝統」の継承者、ということになったものと推察されます。

 ここで「日本の伝統」という表現を押し通すことができなかった官邸側は、どこかで無理にでも「日本」を露出させなければ、との思いに駆られたのではないでしょうか。
 彼らが言いたいのは、要するに、こういうことでしょう。――日本国憲法第一条の天皇規定に「日本国」「日本国民統合」「日本国民」と三回出てくる「日本」は、いずれも日本という「国家」を意味する、その点をよくよく意識して第一条を読むと、条文は以下のようになるはずである。すなわち、「天皇は、日本国という国家の象徴であると同時に、日本国による国民統合の象徴でもあって、この地位は、主権の存する日本国国民の総意に基く」というふうに。

 こうなるともう、自民党改憲草案の問題意識そのものではないでしょうか。彼らの主張はおおよそ以下の通りだと思います。
 天皇は、「国民の天皇」「日本国民の天皇」であるより以前に、まず「国家の天皇」「日本国の天皇」でなければならない。このことを全国民に周知徹底させるためには、第一条のど頭に「天皇は日本国の元首である」とうたわなければならない。「象徴」であるより前に「国家元首」なのだ、と。「国民皆の天皇」であるより前に、神聖にして侵すべからざる「国家の天皇」なのだ、と。今上天皇の象徴天皇論には「象徴」があるのみで、「日本国」「日本国家」がない、それが問題なのだ、と。

 結局、安倍たち官邸側が目指しているのは「大日本帝国憲法」の方向だ、ということです。
 彼らの目論みは「神聖天皇」の再登場にある、ということです。「神聖天皇」とは何か。「大日本帝国憲法」「第一章 天皇」の条文に明記してあります。彼らの天皇の何たるかを知るには、次に示す四つの条文を一読すれば十分でしょう。曰く。

 •大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス
 第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ(云々)
 第十一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
 これだと天皇は、国家そのもの、政治そのものです。天皇と国家、天皇と政治が、合体しています。あるいは、国家ないし政治のなかに天皇を取り込み、押さえ込んでいます。

 今上天皇からすると、言うところの「神聖天皇」は「天皇」の名に値しません。すでに紹介した陛下の言葉に明らかなように、このような天皇の在り方は、皇室における「天皇不執政の伝統」(政治に距離を置く伝統)に反するからです。

 この「伝統」の意味するところは、非常に重要だと思います。「政治に距離を置く」にしても「国家に距離を置く」にしても、「距離を置く」というそのこと自体に、わが国の天皇の伝統的な在り方が「象徴」としてのそれである、と示唆されているのではないでしょうか。

 同じこのことについて、逆の表現をして考えてみます。――天皇が政治ないし国家との距離をつめて一体化したばあい、天皇ははたして象徴たりうるか、と。象徴するものとされるものの間に隔たりがあること、その距離の存在こそが、象徴ということを成り立たせている条件なのではないでしょうか。

 今上天皇は、日本国憲法が天皇を「象徴」として位置づけている点をとらえて、むしろこの国の天皇の在り方について妙に言い当てているように感じる――といった趣旨のことをどこかで述べておられたような気がします。どこにその文章が書いてあったか、今は想い出すことができないのですが、それを目にしたとき、陛下ご自身が、「象徴天皇」についてどれだけ思索を深めてこられたことかと、そんなことを思ったことでした。

 神聖天皇が国家(政治)との一体化のもとに置かれるのに対して、象徴天皇は「天皇不執政の伝統」のもとで国家(政治)とのあいだに距離を置くのが、その在り方です。
 両者のこの違いは、国民に対する関係をも規定します。神聖天皇は、国民に対して「上から君臨」します。象徴天皇は、国家(政治)から距離を置いているおかげで、「国民とともに歩む」ことができます。この違いが決定的であることについて今上天皇は、皇太子の頃から、それも皇后がいまだ正田美智子さんであった頃から、非常に自覚的であったとの指摘があります。斉藤利彦著『明仁天皇と平和主義』(朝日新聞社 2015年)から引用します(なお、文章の趣旨は保阪正康著『明仁天皇と裕仁天皇』講談社2009年に拠る、との著者の注釈があります)。

 「皇太子は美智子妃に何度か電話をかけ手紙を送ったという。その中で、自分はどのような天皇像を求めるのか、天皇がかつてのように神であったり、上から君臨する形では決してなく、国民とともに歩み、憲法を尊重した新しい形の皇室を作っていきたいとの意志を明確に示したという。」

 明仁皇太子は、正田美智子さんとお付合いを始められて一年余りで結婚しておられます。ご成婚は1959年(昭和34年)ですから、上記の「理想の天皇像」はちょうどその頃、皇太子25歳前後のものだと思われます。陛下の理想は当時から一貫しており、「国民とともにある」天皇という理想の自画像に迷いはありません。その一貫性を証すために、同じ趣旨の談話を選んで次に示します。

 まず、49歳のお誕生日記者会見での談話です(1982年12月17日)。
 「(記者の発言の)「国民に親しまれる皇室」ということは、私は言った記憶はないんですけれども。ただ国民とともに歩む皇室でなければならないと。(中略)国民の苦労はともに味わうということを昔の天皇はしていらしたわけです。そういう意味で、国民とともに歩むという意味で私は使ったと思います。」
 次に、72歳のお誕生日記者会見での談話です(2005年12月19日)。
 「私の皇室に対する考え方は、天皇及び皇族は国民と苦楽をともにすることに努め、国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが皇室のあり方として望ましいということであり、また、このあり方が皇室の伝統ではないかと考えているということです。」

 「国民とともに歩む」「国民と苦楽をともにする」との表現に見られるように、「〜とともに」という言葉を大切にしておられます。国民と天皇とは、立場も役割も「違う別々の」存在です。だからこそ、「ともに」歩んでいく必要があるし、「苦楽をともにする」必要があるのでしょう。この「ともに」ということが大事なのだ、と上記引用文のうちの前者、皇太子時代の談話は指摘しています。

 おそらく記者の誰かが、「 殿下は “国民に親しまれる皇室” を理想(目標)としておられるのですか」みたいな質問をしたのではないでしょうか。
 明仁皇太子は、上記の通り、自分は「国民とともに歩む皇室」ということを言っているのであって、「国民に親しまれる皇室」というふうには言った覚えがない、と述べています。
 彼は立ち入った議論をしていませんが、時間が許せば、あらまし以下のようなことを述べていたのではないか、と想像するところを書きます。

 曰く。上記の二つ――「ともに歩む皇室」と「親しまれる皇室」は、似ているように聞こえますが、決定的に違います。「親しむ・親しまれる」というのは、「なれ親しむ」「馴染む」「なつく」などの言葉を連想させませんか。さらに印象の悪い言葉で言うと、「馴れ合う」とか。英語でいうと、be familia とか melt together とか。そういう関係の在り方は、天皇(皇室)と国民の関係の在り方に関するかぎり、きわめて適切さを欠いているのではないでしょうか。
 天皇と国民の間の隔たりをなくして一体化する、両者の違いを無視したうえで、あたかも同化しているかのように思いこむ、このことは、天皇と国家の関係におけるそれと同じで、天皇の伝統的な在り方にそぐわないと思います。――等々です。

 天皇が国民を見るその眼差しについても、同様のことが指摘できるのではないか――そんな思いを抱いてきました。そのことを書いて、今回は終わりにします。

 「神聖国家」の時代、吉田松陰はじめ維新の志士たちは「一君万民」を叫びました。曰く。神聖なる天皇「一君」による統治あるのみ、あとの国民は上下の別なく万民平等の社会でなければならない、と。天皇は国民(臣民・赤子)に向かって何と呼びかけたか。爾(汝)億兆、と。「万民」の「万」にせよ、「爾億兆」の「億兆」にせよ、つまりは「数」です。国民は単なる数だ、と。それも、まとめてなんぼの、つまり万なり億兆なりの全体があって、そのうちの「1」にすぎない存在が国民なのだ、と。one of all です。
 存在すると称するall がすべてで、それを構成するはずのone のことなど知ったことではない――そういうお国柄を好しとするということですよね、これだと。

 では、今上天皇は国民に向かって何と呼びかけておられるでしょうか。「国民皆」です。ぼくは、この言葉づかいがとても気に入っています。読んでも聞いても、心地よく、好ましく感じます。昔、子供の頃に聞いたのかどうか、おぼろげな記憶しかないのですが、英会話のラジオ番組のイントロに、♪come, come, everybody(みんな,みんな、おいで〜)という音楽があったような気がするのです(間違っていたら、ごめんなさい)。
 誰も彼も皆、と呼びかけているんですよね。一人一人に、皆に。辞書でevery を見ると、
「each of all」とあって、次のように解説しています。「単数構文をとる:多くのものにつき個々に見てこれを総括し、従ってall や個別的なeach よりも意味が強い」と。
 「ともに歩む」国民に向かって語る気持ちで、陛下は「国民皆」と呼びかけておられるのではないでしょうか。

(注)「神聖天皇」というネーミングは、片山杜秀・島薗進著『近代天皇論』(集英社 2017年)に拠るものです。