「天皇を読む」第3回


たけもとのぶひろ[第120回]
2017年2月15日

退位の意向を伝える新聞報道

退位の意向を伝える新聞報道

在位30年——時間の経過を踏まえてある現在

 今上天皇は「お言葉」を次の一文をもって始めています。曰く、「戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます」と。たったこれだけの短い一文でもって一節(ワン・パラグラフ)を構成するからには、「お言葉」を発信する陛下の心のなかに、言葉にはできないほどの思いがあるのではないでしょうか。
 その思いに耳を傾けたいのです。新聞記事を頼りに、今改めて、ということですが。

 ぼくが何を聞いたか、結論を先に書いておきます。陛下は、何年も前から、皇位の継承について心配し、問いかけ、熟慮を重ねた末に、「生前譲位」という解決策を提案してこられた、ということです。心配、問いかけ、熟慮、提案――このプロセスには、何年もの歳月が費やされています。内閣・政府当局は、いったい、いつまで知らぬ顔の半兵衛を決めこむつもりなのか、ほどほどにしなさい、というのが、陛下のホンネだと思います。つまり、
 「しびれを切らして」陛下は、国民に直訴する挙に出るほかはない、と決断されたのが、今回のビデオメッセージだった、と察せられます。事がここに至るまでの、陛下の発言の跡を、新聞記事・宮内庁ホームページに拠りながら辿ってみます。

 平成20年(2008年12月)――かねて親しい人に、皇室の将来への思いを伝える。
 「「常に先のことを見越して判断することが大切だと思います」。象徴天皇として自らはどうあるべきか。親交のある男性に、陛下は理想とする姿を切々と語った。「先のこと」には、皇室の将来への思いがにじむ。8年ほど前のことだ。
 同じ頃、陛下は変調を訴えた。ストレスによる胃腸炎と診断され、宮内庁幹部が「心労や心痛をじっと耐えていらしたと思う」と明かすなど、体調不良が表面化した時期だった。」
 そして翌年には、記者会見の場で陛下は、問題とその解決の方向について明言しています。
 記者の問いと陛下の答えを次に示します。

 平成21年(2009年11月)天皇陛下ご即位20年に際し
 問2 両陛下はこの20年、常に国民と皇室の将来を案じてこられたと思いますが、皇室についてはこの先、皇族方の数が非常に少なくなり、皇位の安定的継承が難しくなる可能性があるのが現状です。昨年末の天皇陛下のご不例の際、羽毛田信吾宮内庁長官はご心痛の原因の一つとして「私的な所見」と断った上で「皇統を始めとする諸々の問題」と発言し、皇室の将来を憂慮される天皇陛下の一面を明らかにしました。両陛下は皇室の現状、将来をどのようにお考えでしょうか。皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻を始めとする次世代の方々に期待することも交えながらお聞かせください。
 天皇陛下 皇位の継承という点で、皇室の現状については、質問の通りだと思います。皇位継承の制度にかかわることについては、国会の論議にゆだねるべきであると思いますが、将来の皇室の在り方については、皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要と思います。二人は長年私と共に過ごしており、私を支えてくれました。天皇の在り方についても十分考えを深めてきていることと期待しています。

 上記記者会見は「お言葉」から7年前です。その1年後、「お言葉」から6年前の、 2010年の参与会議において、陛下はもっとはっきりと期限を切っておられます。「このままでは天皇の務めを果たせなくなる。その前に、私は譲位すべきだと思っている」「80歳までは務めを果たしたいが、その後は譲位をのぞみます」と。「80歳」ということは、2013年(平成25年)ということですから、3年の猶予を置いての期限設定だったということです。しかし、政府はまったく反応しません。「首相官邸や宮内庁は5年前には陛下の意向を把握していたというが、」無視です。

 それからさらに3年が経った、2016年(平成28年)、しびれを切らしたかのように、陛下はビデオメッセージ「お言葉」の挙に撃って出たられたのでした。今となっては残された時間にあまり余裕がないと思っておられるのかもしれません。また、ほかに選択肢があるとも思えない、そういう事情もあったのではないでしょうか。

 陛下としては、内閣の対処を待つ間、どれだけじりじりされたことでしょう。これまで何年ものあいだ、じりじり、いらいらしながら待つだけ待った、しかし我慢もここまで、と決断されたのでは、と察せられます。それが、「お言葉」第一節の、思い切り短いワンセンテンスに表れているように思えます。時間の流れが書いてあるだけで、ほかにはなにもないのですが、そのことからむしろ今上天皇の心中がいかばかりか窺うことができる__そんな気がしてなりません。

「お言葉」の主題

 陛下はこのビデオメッセージで何を訴えようとしているのか、その主題ないし趣旨に当たるものを語っているのがこの節です。
 齢80の境を越えた「この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました」とあるのが、それです。陛下の気持ちを砕いて示すならば、次のようなことではないかと思います。__“ 生身の人間としてすでに老い、生理的に衰えが見え始めた自分ではありますが、天皇の地位にある以上は、当然のことながら、それにともなって、どうしても果たさなければならない「務め」というものがあります。その重い務めを果たすために、自分は天皇としてどうあらねばならないか、天皇である自分の「在り方」が問われていると思います。省みて年齢のことを思うと、不可能への挑戦に近いものを感じつつも、答えを求めて模索してきました。思いを致す際に手掛かりとなってくれたのは、一つには、「天皇としての自らの歩み」でした(第二節)。いま一つは、「我が国の長い天皇の歴史」でした(第九節)。過去を振り返りつつ思いを重ねて思い至ったところを、今日はお話しするつもりです。”

 天皇としての自らの歩み、そして我が国の天皇の歴史を振り返りつつ、高齢化した天皇という自分の立場に目を据えて、天皇の「在り方」や「務め」について思いを致してきた。第二節は、あらましそういう内容だと思います。
 陛下がこの主題についていかに思いを致してこられたかは、「お言葉」のほとんどどの節において、これら二つの言葉をキーワードとして使っておられることからも窺われます。これらの言葉がどれだけ・どのように使われているか、記号【】で括って以下に示します。

 「天皇の望ましい【在り方】を、日々模索しつつ過ごして来ました」(第四節)
 「従来のように重い【務め】を果たすことが困難になった場合〜」(第五節)
 「これまでのように、 全身全霊をもって象徴の【務め】を果していくことが、難しくなるのではないかと案じています」(第五節)
 「私はこれまで天皇の【務め】として、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが〜」(第六節)
 「天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという【務め】を〜」(第六節)
 「天皇もまた、自らの【ありよう】に深く心し〜」(第六節)(注 在り様=在り方)
 「これからも皇室がどのような時にも国民と共に【あり】、そして象徴天皇の【務め】が常に途切れることなく、安定的に続いていくことを〜」(第九節)(注 共にあり=共に在り)

 第七節から引用する部分は、ここに別立てで示します。なぜ別立てか。陛下は、ビデオメッセージというコミュニケーションツールを発想された当初より、これだけはどういう形であれ・どうしても伝えなければ、と思っておられたことがありました。言うまでもありません、生前譲位の提案がそれです。しかし官邸側は、この言葉をそのまま露出させるわけにはいかない、憲法上の制約がある、と言い立てたにちがいありません。それを言うなら仕方がない、天皇としては攻め方を変えざるをえない。「生前譲位」の制度化を妨げている「摂政による天皇行為の代行」という慣例を問題にしよう、「摂政」「代行」制度は「天皇制度」そのものの制度設計上の瑕疵であるということを示唆する、これ以上は譲れない――陛下はここに阻止線を張り、これ以上は退き下がらない、と自ら退路を断たれたのでした。

 次に示す第七節の当該部分は、官邸側との間であれこれのやりとりがあったであろうことを感じさせつつ、しかし、にもかかわらずそれをどうにかしのいで言い切った――そういうふうに感じさせる文章です。なお、()で内容を補い、【】でキーワードの存在を示しつつ、引用を進めます。
 「この場合(=天皇の行為を代行する摂政を置く場合)も、天皇が十分にその立場(=地位)に求められる【務め】を果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇で【あり続ける】こと(=あり続ける「在り方」)に変わりはありません」と。

 天皇は生きているが、その地位にはいない、天皇職は空位となる。これは何を意味するか。
 天皇とは地位である、その地位が空になることは天皇不在を意味する。天皇は生きてはいるけれども、天皇としてその地位を務めていない。天皇としての務めを果たすことができないにもかかわらず、天皇がその地位に止まることは許されない。事実上、天皇はいないのだから。
 ここで憲法七条がものを言う。曰く「摂政は、天皇の名で、その国事に関する行為を行う」と。ここに「天皇の名で」とある「名」とは、名代・代理・名目を意味する。要は、摂政に天皇代行を務めさせるということだ。この場合、もちろん摂政は天皇ではない、その代行に過ぎない。摂政はあくまでも摂政という地位がその務めであり、間に合わせの処置として「天皇代行」の看板を掲げるにすぎない。代行の看板は、逆に、天皇の不在を物語ることになる。やはり、ここでも天皇はいないのだ。
 天皇はいるのかいないのか、いるとしたらどこにいるのか、誰なのか。これらを問われたとき政府は、きっぱりと確信をもって答えることができるでしょうか。

 生前譲位の制度化に取り組むことを怠り、摂政代行主義をもってよしとするのは、その場しのぎの便宜主義であって、それこそまさに天皇の尊厳を侵すものだ、と非難されて然るべきである。__陛下は心中秘かにそう思っておられるにちがいありません。
 それにしても今上天皇が、現行の天皇制度の在り方について、そもそもの「制度設計」それ自体を見直す必要がある、と感じられたのは、いつ頃のことなのか、またどのような事情があってのことなのでしょうか。

 これについては、昨2016年10月18日の新聞が次のように伝えています。
「複数の関係者は、昭和天皇から皇位を引き継いだ即位の頃には、すでに将来的な退位を見据えていた、と見る。
 背景に、晩年の昭和天皇の存在がある。昭和天皇は1988年9月に大量吐血し、逝去する翌年の1月まで、闘病は111日間に及んだ。その間、皇太子だった陛下は国事行為の臨時代行を担い、外国からの賓客とも対面した。
 そこで、陛下は「天皇が存在しながら、代理である自分が対応することは相手に失礼ではないか」との思いを募らせていく。20〜30代の頃、同じく昭和天皇の名代として諸外国を回った際も同様の思いを持ったと、陛下は周囲に話した。」

 三谷太一郎・東京大学名誉教授は、朝日新聞・オピニオン&フォーラム【「お言葉」から考える】のなかで、陛下のお気持ちを汲んで、次のように述べています。
 「国民統合の象徴としてその任務に全的責任を負う、その責任が果たせなくなったら自分の意思で退位する。それを「新しい伝統」としたい。摂政設置論に否定的な理由はそこにあると思います。」

 「お言葉」の主題を問いかける際の二つのキーワード、「在り方」と「務め」に導かれて
「お言葉」の全文を検討するうちに、結論を先取りするかたちになりました。
 とはいえ、「お言葉」を読み解く作業は、起承転結の「起」を始めたばかりです。引き続き「明仁天皇自身の主体的条件と問題提起の真意(陛下の現実)」を見てゆきたいと思います。
 なお、書いているうちに気が変って、第二節のタイトリングを、「お言葉」の主題、と変えました。第三節も変えようと思っています。では、次回にまた。