安倍流 “民主主義” とリンカーン(17) リンカーン像の再構築—⑦リンカーンの悲劇―世界を支配する神がいます。


たけもとのぶひろ[第117回]
2016年12月5日

リンカーン記念堂(1922年ワシントンに建立)

リンカーン記念堂(1922年ワシントンに建立)

 前回の終わりのところで言いたかったことを、今の気持ちで書くとすると、こうなります。
 “リンカーンの生涯は「国民国家」と「民主主義」との同時実現を求めんがための悪戦苦闘だったのではないか。一言にして言えば、「人民の統治」というもの――the people の government ――を求めての戦いだったのではないか。”
 そんなこと、初めから解っているやないか、と言われればそれまでなのですが。

 「ゲティスバーグ演説」のあの名文句におけるリンカーンの主要な関心は、government にあったと思います。合衆国を「中央集権の国民国家」として立ち上げること、それが彼の生涯をかけた使命でした。この点については既述の通りです。
 ただ、このばあい彼は、ハミルトンのように、エリートが強力な集権国家をつくりさえすれば、あとはその権力をもって人民を支配すればよいだけの話だなんて、もちろん考えていません。government の中身はthe people でなければならない――と、彼はそう考えています。だからこそ、of the people, by the people, for the people というふうに続けなければならなかったのだと思います。そして、こういうところが彼の彼たる所以であり、自分としても悩ましく思わざるをえなかったところではないでしょうか。

 岩波文庫『リンカーン演説集』には詳しい「解説」が付けられているのですが、そのなかの「ゲティスバーグ演説」に関する部分に、こういう指摘があります。
 「リンカーンが愛読したと伝えられる牧師・講演家・著述家なるシオドア・パーカーの句に、” Democracy is direct self-government, over all the people, for all the people, by all the people. “ というのがある」との指摘が、それです。

 デモクラシーとは全人民が・全人民のために・全人民を自ら直接に統治することである、とパーカーは定義をしています。リンカーンは、パーカーのこの文章を読んでいたであろうとのニュアンスですし、おそらくその推察の通りだと思います。パーカーとリンカーンとは、たしかに似ています。キーワードが同じです( government , people)。前置詞が同じです(over=of, for, by)。

 しかし両者は、まったく別の動機でまったく別のことを書いたのだと思います。パーカーが目的としたのは、民主主義の――良くも悪くもラディカルな――定義です。
 しかし、「全人民」による・「全人民」のための・「全人民」に対する「直接的自己統治」などというものが、合衆国の政治の現実と、いったいどういう関係があるのでしょうか。

 他方、リンカーンは――定義や理念ではなくて――今ある現実の government を問うています。紙の上の all the people の direct self-government ではなくて、再統合しつつある合衆国の、現実の国家 government と国民 the people との、その両方を持ち堪えていかなければならない、と言っているのです。
 リンカーンは、パーカーの上記の定義を読んだとき、観念的に過ぎる、との印象を持ったと思います。実際には、選挙をやって代表を選んで政治をやっているわけですから、directとかselfとかallとか言っても、だれも相手にしてくれません。で、彼はこれらの飾り文句を取り払い、the people を3度くりかえして韻を踏むアイディアだけを頂戴したのだと思うのです。名文句を生むヒントとして、これ以上のものはない――そう直観したに違いありません。

 all the people と言うとあたかも “一枚岩の人民(国民)” みたいなものが成立しうるかのように聞こえますが、「全人民」なんてスローガン以上のものでないことは誰だって承知しています。だから、all は取り除きます。しかし、それならそれで、残った the people についてはどう考えればよいのでしょうか。
 これについてもすでに見ました。「選挙(時日と論議と投票)」「多数派の勝利・少数派の敗北」「共通・共同・再結束」ということを言っているのが、その答えだと思います。
 要は、majority rule のもとでのgovernment ということです。選挙において多数を制した党派が、国民を名乗る大義名分を得て、国民の名において・国民の名のもとに政治を司ることができる――そういうことだったと思います。

 逆に、文字通り「多数派支配の政治」をやるとして、たとえば、government of the major people, by the major people, for the major people なんて言えますか。多数派の・多数派による・多数派権力形成のための政治、だなんて。それは取りも直さず、government without the minor people ということですものね。
 少数派を無視し排除して、ただもっぱら多数派権力の形成を目指すとしたら、公共社会(共同社会)における共通性も共同性も関係がなく、そもそも、政治的統合体(共同体)としての「国民国家」ということ自体、存立の余地を失ってしまうではありませんか。

 government of the people のthe people は、実際にはthe major people であるところの多数派の名分であり建前ではありますが、そのpeopleによるgovernment とは、まさにその名分・建前を引き受けることによって、少数派 the minor peopleと協調して社会の再結集を図る責めを負っている、そういう性格の権力なのではないでしょうか。
 「国民」という多数派の統治権力は、やはり「国民」のなかの少数派との協調および共存を組織することを、最重要の任務として負託されているのではないでしょうか。
 多数派国民の権力とは、したがって、少数派国民との「共存権力」であらねばならず、仮にも権力が共存する条件を失うときは、government の存立自体が危殆に瀕する、ということにならざるをえない、そういうはずのものだと思います。

 リンカーンは合衆国の分断を阻止し、連邦の再統合・国民国家の再建のために戦いました。
 南北の「共存権力」の形成こそが、彼の悲願でした。彼は、自らの死がそこまで迫っている最晩年、何年ものあいだ戦ってきた南部連合国の軍民に向かって語りかけています。
 大統領再選が決定した夜の祝賀会での挨拶(1864.11.10)から、その一部を紹介します。

 「選挙は今や終了したのでありますから、共通 common の関心を持った者はすべて、われわれの共通 common の国を救うために、再び結集して共同 common の努力を致そうではありませんか。私としてはこのためにいかなる障害もつくらないよう努めて来ましたが、これからも努めます。私がこの地位(=大統領)を占めるようになって以来、故意に他人の胸に茨〔いばら、憎悪の念 翻訳者〕を植えたことはありません。(中略)他のなんぴとかがこの結果に失望し苦しんでいるということは、私の満足を曇らさずにおかないのであります。 私に賛同した人々にお願いしたいと思うことは、私のこのような心構えと同じ精神を、私に反対した人々に対して持って戴きたいということです。」(〔〕は翻訳者、なお選挙は内戦中の選挙です)。

 この短い演説のなかでリンカーンは、全国的選挙を実施し勝利したことの意義について、「人民の政治」people’s government の実力を示したものだとしたうえで、選挙に敗れた人たちに向かって「共通の関心」「共通の国」「共同の努力」などとくり返し述べ、改めて互いの力を合わせ、国家再建の事業に取り組もうではないか、と呼びかけています。
 ひるがえって考えるに、国家 government を分かつことなく、「一つの」国民国家 nation へと再結集すること――それこそがリンカーンの初心でしたから、選挙に勝ったからといって、敗北した人たちの心中への気遣いを忘れるようなことはありませんでした。

 ここでまた想い出されるのは、第1次大統領就任演説の最後のところで、リンカーンが南部の人たちに向かって呼びかけた言葉です。彼はこう言ったのでした。
 We are not enemies, but friends. We must not be enemies.
 岩波文庫『演説集』は次のように訳しています。「われわれは敵同士ではなく、友であります。我々は敵であってはなりません」と。

 迫りくる死に向かっていくリンカーンの最後の数か月――その年代記を次に記します。
 1864.11.10 大統領再選祝賀会での挨拶
 1865.2.1 奴隷制を禁じた「憲法修正第13条」に、リンカーン署名する
 1865.3.4 第2次大統領就任演説
 1865.4.9 南部・リー将軍、北部・グラント将軍に降伏、内戦終結
 1865.4.14 リンカーンはワシントン・フォード劇場にて狙撃され、翌日死亡する

 以前にも取り上げましたが、いま一度ここで「第2次大統領就任演説」について考えます。彼の人生最後の演説です。彼は、一か月のちに暗殺されるなんて、思ってもいなかったと思いますが、あたかもそれを予感して語っているのではと、そういうことを思わせる内容になっています。

 岩波文庫『演説集』「解説」はこれを評して「最大の遺書」と書いていますが、その評価は安直に過ぎると思います。リンカーンが伝えたかったのは、これまで内戦を指揮してきた大統領・最高司令官としての「覚悟」について、そしていま新たに第2次大統領の重責を担うにあたっての「覚悟」について、だったと思います。その時その場にあたり「覚悟」のほどを開陳するとなったとき、神の摂理に触れ、内戦の意味を問う__そういう内容とならないわけにいかなかった、ということではないでしょうか。

 この、リンカーンの「覚悟を語る最後の言葉」について考える前に、彼の「覚悟を語る最初の言葉」について触れておきたいと思います。それに当たる言葉が、残されています。1861年2月11日、彼が過去四半世紀の間を過ごした郷土・スプリングフィールドを後にし、ほとんど死を決してワシントンへと向かう際に、汽車のプラットフォームから郷土の同胞へ向かって述べた訣別の言葉です。すべてを神の御手に委ねる覚悟の表明は、実に正直で、心打たれるものがあります。全文を引用します。

 「皆さん。私の今の立場におかれたことのない方にはこのお別れに際しての、私の悲しみは解っていただけないでしょう。この土地と、ここの人々の親切に、私の今日ある、一切を負うております。この土地に四半世紀のあいだ私は暮らしてきました。若い時から、年をとるまで過ごしてきました。この土地に私の子供たちは生まれ、その一人は葬られております。 / 今私はこの土地を去ります。いつ帰れるか、果して再び帰れるか、わかりません。(独立戦争のジョージ・)ワシントンに委された事業よりも、もっと困難な事業を前にして行くのです。彼を常に援け給うたかの聖なる者の守護がなければ、私はとうてい成功できません。神の護りがあれば、失敗はありません。私とともに行き、また皆さんとともに留まり、どこにでも、いつもいることのできる神に信頼して、一切のことはよくなるものと今も確信いたしましょう。皆さんを神の御手に委ね、どうか皆さんも、祈りの中に私を神に委ねて下さることを願って、心をこめたお別れを申し上げます。」

 内戦突入のおよそ2か月前、リンカーン大統領はこのように戦いの決意・覚悟を語っています。「かの聖なる者の守護」「神の護り」「神に信頼して」「神の御手に委ね」と、神のもとで戦う覚悟を示しています。
 そして内戦終結のおよそ1か月前――ということは彼が銃撃されて非業の死を遂げるおよそ1か月前ということですが――の人生最後の演説においても、「覚悟」を新たにするにあたって「神」について語っています。第1次就任演説とは比較にならないほど短い演説なのですが、God が5回、神をあらわすほかの言葉、the Almighty と the Lord とが各1回、述べられています。他に類を見ない異色の就任演説といわれる所以です。

 これまで言わずにおいた、いちばん大事なことを、これから話します、聴いてください、と言わんばかりに、リンカーンは神について語るのでした。それは演説の終わりに近いところにおいて、彼はいきなり、「全能の神 the Almighty は彼自らの目的を持ち給います」と始めます。そしてその後に、「マタイ伝」18章7節が来るのでした。
 「この世は躓物(つまずき)あるによりて禍害(わざわい)なるかな。躓物(つまずき)は必ず来らん、されど躓物(つまずき)を来らす人は禍害(わざわい)なるかな」と。

 しかし、この『聖書』の文章は難解です。躓物とか禍害とか、「神学」を勉強しているのと違うのやから、もうちょっと普通の言葉で訳してもらえんのかなぁ、とついつい愚痴が出ます。原文を見てみましょう。
 The Almighty has his own purposes. “ Woe unto the world because of offenses ! for it must needs be that offenses come ; but woe to that man by whom the offense cometh. “
 woe は「禍害」などという訳をやめて、「災難」「天罰」とします。offense は「躓物」ではなくて「罪悪」とします。神を怒らすにたる罪、という意味です。
 そうすると、「マタイ伝」の当該部分はどうなるか、つまりはこういうことです。
「全能の神には真の狙いというものがあります。すなわち “この世に天罰を下すのは、神を怒らすにたる罪悪のゆえである。人がどうしても罪悪を犯さずにおかないからだ。ただ、天罰を下すのは、罪悪を招き寄せたその人に対してである” というのがそれです。」

 ここで明らかなのは、人は罪悪を犯す、神はそれを裁いて罰を与える、という関係です。
 「マタイ伝」のこのテーゼが、リンカーンの信仰の大前提だと思われます。上記文章のすぐ後に続けて、彼が何と言っているか、肝心要の部分のみを抜き出して示したいと思います。彼はこう言っているのです。原文とぼくの訳です(岩波文庫の訳は採りません)。
“――that American slavery is one of those offenses which, in the providence of
God, must needs come, but which, having continued through his appointed time,
he now wills to remove, and that he gives to both North and South this terrible
war, as the woe due to those by whom the offense came,――”

「神の支配する世界から見るに、アメリカの奴隷制度は、是が非でも招来しないでは済ますことのできない罪悪の一つでしたが、すでに約束の時が来て過ぎているというのに未だに続いてきたのでした。神はこの邪悪な制度の除去を決意されました。それを招来せしめた者は、北部たると南部たるとを問わず、与えられるのが当然の天罰を受けなければなりません。神がくだされた天罰、それがこの恐ろしい戦争だったのです。」

 人は人を――自他ともに――裁くことができません。神のみが人を裁くことができる――リンカーンは、この神による審判の絶対性を信じていました。どういうことでしょう。
 内戦において南北両軍が体験した出来事――たとえば、奴隷制度の廃止、60万人の戦死者、(この演説の後に起る)南部リー将軍の降伏と内戦の終結――など、これらのすべてが、最高絶対の審判者たる神の裁きを意味します。内戦の諸事実、内戦の結果、これら現実のすべてを受け入れる、ということ――それこそが、リンカーンにとって、神の裁きに服することを意味していたのではないでしょうか。

 選挙であれ戦争であれ、「結果の命ずるところ」に従って人は、government of the people, by the people, for the people を実現しなければなりません。「結果」は神の裁きであり、神の意志であり、絶対だからです。
 彼の文章は、上記のあと、ぼくなりに訳すと、次のように続きます。
 「われわれは、この戦争という神による強烈な天罰が、速やかに過ぎ去ることを祈るものです。しかし、にもかかわらず、神の意志が戦争の永続にあるとしたら――つまり、奴隷の250年にわたる報われざる苦役によって蓄積されたすべての富が絶滅されるまで、また鞭によって流された血の一滴一滴に対して剣によって流される血の償いがなされるまで、この戦争を続けることに、神の意志があるとしたら、われわれとしてはどうなのか、ということです。仮にそうだとしても、3000年前に言われたように、今でもやはり、「主の裁きは真実にしてことごとく正しい」(詩篇19,9)と言わなければなりません。」

 この就任演説の言葉をくりかえし読んでいて想い出すのは、『ゲティスバーグ演説』の「結語」にある Under God です。今にして思えば、リンカーンが Under God と言うばあい、その言葉は「世界の全てを統べる神の支配」のことを意味しており、したがってそこには、「神の裁きの絶対性」ならびに「神の意志への絶対的服従」、の両者が含意されているということ――そういうことだったのではないでしょうか。

 上記演説の数日後、彼は手紙を書き、その中でこんなふうに述懐しているそうです。(岩波文庫『演説集』「解説」から引用します、誰宛ての手紙かは書いてありません)。
 「私はそれ〔就任演説〕がただちに歓迎されるpopularとは思いません。人々は神と彼ら自身との間に目的の相違があったということを示されて喜ぶものではありません。しかしこの場合、その事実を否認することは、世界を支配する神がいますということを否定するに同じと思います」と。

 「世界を支配する神がいます」とはなぁ、よくもまぁ言えたものよ! 
 最後の最後に残したこの短い一言、これ以上に、リンカーンその人を語る言葉があるでしょうか。

 ここに「リンカーンの世界」と題した絵があるとします。その絵をいくつものピース(断片)に分解して、ジグソーパズルをつくります。それをいったんバラしてピースの山にし、そこから然るべきピースを選んで然るべき所に嵌めていって、もとの絵を再現します。
 それを完成させる最後の一枚のピース。その小片の裏側に、短い言葉が書いてあります。
 「世界を支配する神がいます」と。

 リンカーンについてずっと考えてきて、いったんは区切りをつけなければ、というところへ来ています。その今、彼に、あらためてというか、ようやくというか、出会って、その大きさを思い知らされている、そういう気持ちです。