安倍流 “民主主義” とリンカーン(13) リンカーン像の再構築—③「人民の統治」は「あるべき理想」か「すでにある事実」か


たけもとのぶひろ[第113回]
2016年10月30日

ゲティスバーグ演説(1863年11月19日)

ゲティスバーグ演説(1863年11月19日)

 ゲティスバーグ演説の結語部分――that this nation, under God, shall have a new birth of freedom, and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth. について、ぼくは、今迄ずっと勘違いして来たのでした。この有名なメッセージは、内戦を勝利した後のリンカーンがどのような合衆国連邦を再建するかというときの、その理念を語ったものにちがいないと、そう思いこんでおり、そのイメージで議論を進めてきたのでした。

 しかし、これは間違いでした。彼が語ったのは、実現すべき理想なんかではありませんでした。彼としては、すでに実現している現実を、ごくごく当たり前のことのように述べただけのこと、といった印象さえ受けます。
 次に引用する文章は、「特別議会に与えた教書(いわゆる戦争教書)」(1861.7.4)において語られたものです。ということは、南部連合軍のサムター要塞砲撃をきっかけに内戦に突入したのが1861.4.12ですから、上記「教書」は、戦争を始めたばかりのときの発言であり、リンカーンの自由州連邦軍にとって戦局は必ずしも優勢ではなかったときのものです。なお、勝利の展望を切り開いた「ゲティスバーグの戦い」(1863.7.1〜7.3)は、それからまる2年も後のことです。ですが、「教書」のリンカーンは自信満々です。少々長くなりますが、以下に引用します。

 • 世界に比類なきFree Government
 「われわれの持っている【自由な政治制度】は、わが【全国民の権力】を発展させ、その境遇を世界に比を見ないほどに改善してきたものであると断言してもいいすぎではなかろう。これについてはすばらしい、感銘深い例証がある。すなわち、政府が現在就役せしめているような強力な軍隊にして、しかも最後の一兵に至るまですべて【自らの意思によって】服役しているような軍隊は前代未聞のことである。しかのみならず、連隊の内に、芸術、科学、各種の自由職業、さては実用非実用を問わずおよそ【世の中のあらゆることについて実際的な知識を十分に持っている】者を網羅している連隊が少なからずある。そしてどこの連隊からでも、【政府を司るに十分たるほどの大統領、内閣、議会、あるいは裁判所の要員が選出できるくらいの事態である】。(中略)
 (国民に対して――引用者)【かくまでの恩恵を与えている政府】が、崩壊さるべきではないという論拠がいよいよ強まるわけである。いかなる地方(セクション)にいる者であれ、このような政府を放棄しようと考える者は、一体自分はそういうことをいかなる主義に基づいてするのか――今の政府のあとにどれほどすぐれた政府をえる見込みがあるというのか――次の政府が国民に対し【今ほどの善政】をしきうるか、あるいは善政をしく意図があるのだろうか、というようなことを十分に考えてみるべきであろう。」(【】は引用者)

 リンカーンは、自分たちの自由州連邦政府を世界に比類なき「自由な制度」として誇っています。「全国民の権力」を発展させ、国民自らが自分たちの境遇について類い稀なる改善をもたらした――このような素晴らしい政治があるだろうか、と。
 さらに立ち入って彼が主張している点をぼくなりに要約すると、以下の通りです。
 ――軍隊は傭兵や徴兵によって賄われているのではない。自由州連邦軍の兵士はみんな民兵であって、「自分の意思で軍隊を志願した国民」によって構成されている。民兵を志願するほどの人間は、実社会においても自立した一人前の社会人としてやっていくだけの力を有している。のみならず、彼らは三権分立の「政府を司る」だけの力量をも有している。
 国民自らが・国民自身のために・自分たち国民を支配する、そういう意味で自由な、国民自身の政府 free government――それが「今の政府」なのだ。これを越える善政を考えることができるだろうか、等々。

 ここで断っておきたいのは、government of the people, by the people, for the peopleのpeopleについてです。これまでは「人民」と訳してきたのですが、ぼくはこの訳語を、求めても求めてもいまだ実現せざるがゆえに、これからも引き続き追求しないではおれない理想、実現すべき理念、というふうなニュアンスを込めて使ってきたのでした。
 そもそもリンカーンについては、「奴隷解放の父=民主主義者」であり、革命的ですらあると思いこんでいたのですから、「people=人民」と訳していてなんら疑問を感じなかったのだと思います。

 しかし、よくよく考えてみると、内戦(南北戦争)において彼が自身の使命としたのは、独立戦争の父祖たちが打ち立てた合衆国連邦という国家について、決して分裂は許さず、「一つの国民国家=アメリカ合衆国」として再生させること、正確に言えば、その再生をより確実なものとすること、この一点に尽きたと思うのです。

 そして、上記に引用したように、リンカーンの考えでは、「国民国家」のうち「国民」のほうは、すでに世界に比類なき水準で形成されていたのですから、「people=人民」という理念めいた訳語は “お門違い” の類いにならざるをえません。リンカーンのpeopleの訳語としては「人民」は誤訳で、正解は「国民」のほうではないか、ということです。

 次に、ゲティスバーグ演説の結語部分のうち最初のセンテンス――that this nation, under God, shall have a new birth of freedom――に関連して、リンカーンがもう少し具体的に敷衍して述べていないか、岩波版『演説集』のなかを探しました。そして、「感謝祭を行う旨の布告」(1863.10.3)という文書に、関連する叙述があることを知りました。以下にその部分を紹介します。

 • 国力の増大 & 自由の増進
 (わが合衆国連邦は内戦という――引用者)「やむをえない必要から、富と力とを平和産業の部面からさいて国家防衛の目的に転換せしめたにもかかわらず、農場の耕作、工場の筬(おさ)、または船舶等を、停止するには至らなかった。
 森林伐採の斧の力により、われわれの定住地settlement(=開拓地)の周辺は拡張されている。石炭、鉄、ならびに貴金属の鉱産物も、従来より更に以上の産出額を示している。陣営、包囲攻撃、戦場における損失の数は少なくないのであるが、人口は着実に増加している。【わが国は、力powerと勢力strengthとが増大した】ことを知って喜んでいるのであって、【わが国が末永く存続してゆき】、しかも【自由はいよいよ増進してゆく】ことを期待しうるのである。
 【このような偉大なことgreat things】 は、人間の思慮・智慧によって案出されたものではなく、人の手によって成しとげられたものではなかった。これらのものは【いと高き神の恵みの賜(たまもの)】である。」(【】は引用者)

 ここでリンカーンが指摘しているのは、1863年10月時点の合衆国連邦国家が、国家防衛目的の遂行という厳しい制約のもとで、いったい何を実現してきたか、ということだと思います。挙げられているのは、① 農業・工業・船舶・林業・鉱業などの発展、② 開拓地の拡張、③ 人口の増加、などです。これらを別のかたちで括り直すと、国力の増大、国家の発展、自由の増進、ということになる――彼はそのように主張しています。

 ただ彼は、上記引用文の最後の3行において、これら大事業の大前提とでも言うべき「全能の神の絶えず見守り給う摂理」について、注意を喚起することを忘れません。
 すなわち、これら①②③の「偉大なこと great things」は、人間の力では及ばない「いと高き神の恵みの賜」である、と。

 「感謝祭を行う旨の布告」(1863.10.3)にける、上記、リンカーンの主張および注意喚起は、その一か月半後の「ゲティスバーグ演説」(1863.11.19)では、その結語部分の二つのセンテンスのうちの前者のなかに集約されています。何度も引用し言及してきましたが、いま一度、次に示します。
 this nation, under God, shall have a new birth of freedom. 神の摂理のもとで(under God)この国家(this nation)は、自由を増進し続けなければならない(shall have a new birth of freedom)。
 これは、リンカーンが実際に司っていた政府 government の運営方針です。政治・統治 government の衝にあたる者の決意表明だった、と言ってもよいかと思います。

 このように見てくると、ゲティスバーグ演説の結語部分は、二つのセンテンスのいずれもが、したがって国民にせよ国家にせよ、現実主義的な政治路線に沿うようにして発想され、構築されていると言わざるをえません。
 ではありますが、にもかかわらず、リンカーンは進歩的な民主主義論者として世界に広く普く知られてきました。これは矛盾です。
 この矛盾のなかにこそ “リンカーン民主主義の問題性” とでも言うべきものの解が潜んでいるのではないでしょうか。次回は、このあたりのことを考えたいと思います。