安倍流 “民主主義” とリンカーン(12) リンカーン像の再構築—②「叛逆=革命」か「国家」か


たけもとのぶひろ[第112回]
2016年10月13日

リンカーン

リンカーン

 前回に指摘しましたが、あのリンカーンが「私のもっとも望んでいることは、白人と黒人との人種の分離であります」などと演説するなんて、意外を通り越して、心外です。
 残念ながら、リンカーンにして、これはいったい何や? ——彼がこういうことを言うのだろうか、と慮外の感を抱かざるをえないことが、ほかにもあります。

 リンカーンを贔屓にしてきただけに残念ですが、自分の中のリンカーン像は自分で勝手に理想化して造り上げたものであって、リンカーンその人としては与り知らぬことです。
 “ 暗殺の悲劇” ゆえにあれこれと美化されるのは、彼としては迷惑至極だと思います。
 後世の人たちには、良くも悪くも自分が生きたそのままを受けとめてもらったほうが、よほど意にかなっているのではないでしょうか。といった思いもあって、彼の言論について疑問に思うことを幾つか取り上げたいと思います。

 意外と権力的なんやなぁ——正直言って、そういう印象を持ちました。いわゆる「戦争教書」のなかから、彼自身の言葉を引いて示します。たとえば、
 「諸州の独立と自由とは、それを獲得したのは連邦であって、諸州がそれぞれ単独に獲得したのではない。連邦はわが全州のいかなる州よりも古く、そして事実連邦が州を州としてつくったのであった。」「連邦を離れては、実体においても名称においても決して州ではなかったのであるから、」「州は連邦 union の内にその地位 status を持ち、それ以外法律上の地位を持たない。」

 リンカーンは、まず連邦があって然る後に州ができたかのように言っていますが、これは歴史の事実に反します。白人清教徒の英国人が新大陸に上陸、経済はじめ諸活動を始め、入植者による自治社会を築いていきました。当初より、州という名称はともかく、ある広がりのもとでの政治が自然発生的に形成されてきたのは、ごくごくわかりいい話だと思います。入植者社会の有り様に即して彼らの社会の変化を見ると、すでに指摘したようにColonies→United Colonies→Free and Independent States→United States of America ということですから、最初に連邦 Union があって、という話は、事実に反すると思います。

 『独立宣言』の結語部分を引きます。
We, therefore, the Representatives of the United States of America, in the Name,
and by the Authority of the good People of these Colonies, solemnly publish
and declare, that these United Colonies are, and of Right ought to be Free and
Independent States……….

 これをみると、合衆国の成り立ちというものは、下から・周辺から起ちあがっていった政治エネルギーが、中央の上部組織を必要とするなかで、支配の構造ができあがっていったのであろうと察せられるのですが、そしてまさにその点に、彼らの強みがあると思われるのですが、リンカーンの発言はまったく反対なのです。やはり「戦争教書」のなかで彼は、たとえば次のように発言しています。

 「疑いもなく諸州はすべて、米国憲法によって憲法のうちに、州に留保されている権限と権利とを持っている。しかし、有害破壊的な、人が考えうるあらゆる権限がこの州の留保権限のうちに含まれているわけではなく、その限度は当時統治上 governmental の権限として一般に知られていたものだけである。そして政府を倒す権限は、政治的 governmental(の、)換言すればたんなる行政的の権限としては決して考えられていたはずはない。」(なお()はぼくが補ったもの)
 「政府を倒す権限」が「有害破壊的な権限」であろうがなかろうが、また、その権限なるものが「統治上の権限」に止まるものであろうがなかろうが、また、「政治的・行政的の権限」であろうがなかろうが、否、政府を倒さんとする政治意志は、そもそも権限の有る無しに関係がないと思うのですが、いかがでしょうか。
 世界中から “奴隷解放・民主主義の旗手” みたいに目されている人が、よくもまぁ、こんなふうに ”組織の権限“ みたいなものにこだわった ”形式論” を振り回すものよ、と半ば呆れませんか。

 また、彼は上記引用文のすぐ後を、次のように続けています。
 「この連邦権力と州権(力)との相互的関係は、原理的には全体 generality と地方 local-ity との関係にほかならない。全体に関することはすべて全体――すなわち全国の政府general government に委託されなければならない。一方、州のみに関することは、ただ州だけに委託されるべきである。これが[国家権利と州権に関する]本来的な原理の一切である。」(なお、()はぼく、[]は翻訳者のものです)。

 これがリンカーンのホンネなんだなぁ、というのがぼくの感想です。連邦が全体であり、州が部分です。連邦権力は上位の権力であり、州権力は下位の権力です。連邦と州とは、権力の力関係としては、上下関係にあるということです。連邦が州に権力を行使することはあるけれども、州がその権力を行使して連邦権力をどうこうすることは許されない、ということです。連邦政府は、法の上で、剥き出しの権力行使を許されており、州政府はこれに従う義務がある、従わないとなれば、それは謀反である、反逆である、とさえ言っています。実際の話、合衆国連邦軍(北軍)は、内戦 Civil Warのことを、南部奴隷州連合軍による「反逆戦争 War of Rebellion」と呼び、それに対する自軍の戦いを防衛戦争と位置づけていたそうです。(南部連合国軍は「独立戦争 War of Independence」と呼んでいたと言うのですが。)

 同じ「教書」のなかでリンカーンは、こうまで言い切っています。
 「州は連邦 union の内にその地位 status を持ち、それ以外、法律上の地位を持たない。もし州がこの連邦を破り離脱するならば、それは法律の背反であり、また革命行為である」
 と。ここにあるのは「連邦離脱=法律背反=革命行為」という等式ですが、これはこれでよいのでしょうか。ぼくは、彼が「革命行為」を悪であると決めつけているところに、違和感を覚えます。というか、彼が「革命=悪」と認識していること自体に、釈然としない感情を覚えます。なんでや? と。

 リンカーンは、「独立宣言」「独立戦争」の父祖たち、というフレーズをしばしば使います。
 ところが、周知のように「宣言」は、人民に「革命権」あり、と宣言しているのです。英国王室の米植民地支配に対して抵抗し革命を起こす権利が、弱い立場の植民地側にある、との主張です。「独立戦争」の「革命戦争としての正義」を主張する際の、理論的根拠とされています。原文とぼくなりの日本語訳を示します。

………whenever any Form of Government becomes destructive of these Ends,
it is the Right of the People to alter or to abolish it, and to institute new Govern-
ment, laying its Foundation on such Principles, and organizing its Powers in such
Form, as to them shall seem most likely to effect their Safety and Happiness.

 「いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的(=生命権・自由権・幸福追求権など)に対して破壊的になったときはいつでも、人民は、その政府を改造あるいは廃止して、新しい政府を樹立する権利がある。ただその際の新政府建設の原理原則および権力形態は、人民の安全と幸福の最大化をもたらすものでなければならない。」

 以上の文言を、リンカーンは知りつくしています。自分たちの先祖、英国出身の新教徒入植者は、かつての母国イギリスとその王室の支配に抵抗し、新大陸に革命政権を樹立した事実こそ、彼らの最大の誇りでした。独立のための革命は正義だったのです。
 だから、北部自由諸州・合衆国連邦国家としては、南部奴隷諸州・連合国家が――先にも紹介しましたが――内戦を War of Independence と自称し、我らこそが「独立戦争」の父祖たち直系の継承者であるかのように吹聴するのが耐え難かったのではないでしょうか。

 リンカーンたちの言い分はこうです。南部連合の奴らは、奴隷制プランテーションを土台とした国家建設のために、合衆国連邦を割って出ようとしている、早い話、我らの国家=合衆国連邦を破壊しようとしている、許せない、「叛逆」「革命行為」として断罪しなければならない、と。なんという情けない、皮肉な成行きであることでしょう。

 推し測るに、リンカーンはさぞかしイライラしていたのではないでしょうか。
 少し歴史を振り返れば、誰だってわかるでしょう。合衆国連邦governmentのそもそもの始まりは、彼らの父祖たちの母国への叛逆、革命権の行使にありました。具体的に形で言えば、「独立のための宣言と戦争」というものがまず最初にあったのです。それがあって然る後に、その成果を継承してきた、だからこそ合衆国連邦国家government の今日があるわけでしょう。
 すべては父祖たちの「叛逆」「革命」に始まるというのに、それと同じ「叛逆」「革命」という言葉を使って、南部奴隷州連合国を非難しなければならないとしたら、さらには連合国が合衆国連邦から「独立」しようとしているとして弾劾せざるをえないとしたら――事実、そういうハメに陥ったのでしたが――それは、窮極の自己矛盾、裏切りの極致と言ってもよいのではないでしょうか。

 以上と密接に関係するのですが、ぼくがいまひとつ納得できないのは、リンカーンがもっとも大事な問題を避けて通っているのではないか、と疑われる点です。
 彼が南部連合国を非難している論理は実に単純です。まず、奴隷諸州・南部連合国が自分たち北部自由諸州・合衆国連邦から離脱しようとしている。次に、この南部離脱の動向は連邦の存在を脅かし、「一国の統治」「一国の独立」を危うくしかねない。だから、内戦に訴えてでも、抑止する必要がある。――これがすべてです。
 しかし、こういったリンカーンたちの見立ては、これはこれでよいのでしょうか。

 奴隷諸州・南部連合国の最大の問題は、彼らが連邦から離脱しようとしている点にあるのではなくて、彼らが奴隷制度を土台から建て直して強化しようとしている点にあったのだ、とぼくは思っています。奴隷制度および奴隷に対する、彼らのこうした考えは「反革命」そのものであり、人類の歩みに逆らうものであることは論ずるまでもありません。
 リンカーンたち、北部自由諸州・合衆国連邦の白人たちに問われていたのは、南部奴隷諸州の奴隷制度再強化の動きを「反革命」路線としてとらえ、それを根源から覆す批判を加えて、斥けることであったと思うのです。
 それには、彼ら白人の一人ひとりが、奴隷制度および奴隷そのものの現実を直視して問題の在り処を探り、解決の方向へと進むよりほかないわけです。同じこと別の言い方で言うとすれば、この仕事は、白人の彼らが自らの因って来たるところを直視することなくしては一歩も前に進めることができないという難事業だったということです。

 リンカーンには、すでに前回みたように、そういう問題意識がありませんでした。彼にとっては、奴隷の運命よりも、連邦国家の運命のほうが大切だったのだと思います。ただ、そうであっても、内戦勝利の戦術的必要性から、奴隷制度を廃止するところまでの選択はできた、そこまでで一杯一杯だったということなのでしょう。奴隷制度は廃止できても、奴隷解放にまでは至らなかった。黒人奴隷について、白人との分離を理想として公言するほどですから、奴隷を解放して、自分たち白人と共同の社会をつくっていくなんて、イメージすることさえ無理だったのではないでしょうか。(ぼくは、てっきりそういう話だと思いこんでいたので、残念です。)

 であるからこそ、リンカーンは南部の奴隷制をまともに批判することができなかったし、その分、連邦国家への “叛逆” を反革命と断じ、過剰に反応せざるをえなかったのではないでしょうか。ということは、結局、彼の政治生命が、「独立戦争と建国」の父祖たちに連なる直系の大統領として、アメリカ合衆国という連邦国家を守る、という、この一事にかかっていた、ということだったのではないか、それに尽きるように思えてきました。

 次回は、リンカーンのかの有名な民主主義テーゼについて、あれは追求すべき理念だったのか、あるいはすでに現実に行われている統治について述べたものなのか――そういうことを考えたいと思っています。