今上天皇の8月15日―「全国戦没者追悼式」「おことば」(下)

たけもとのぶひろ[第97回]
2016年2月16日

全国戦没者追悼式

全国戦没者追悼式

 引き続き「全国戦没者追悼式」「おことば」です。その第3節を考えたいと思います。
従来版は以下の通りです。
 「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からの追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

 この節をぼくなりに解釈すると、こうなります。――人類の歴史は戦争の歴史でした。そう言っても言い過ぎでないくらい、世界は戦争をくりかえしてきました。しかし、それではいけないのであって、ぼくらは二度と戦争の惨禍を繰り返さないことを誓って、戦没者を悼み、平和の祈りを捧げなければならないと思います。

 注意して見てほしいのですが、上記の従来版・第3節は、その冒頭に「ここに歴史を顧み」と前に置いています。「世界の歴史」「人類の歴史」をふり返るとき、人は誰しも、戦争に反対しないではおれないし、平和であれかしと祈らずにはおれないと思うのです。「歴史」は「戦争反対」「平和祈念」を説いているし、それに異を唱える人は少ないと思います。にもかかわらず、戦争の惨禍は途絶えたためしがありません。どうしてなのか。

 今上天皇はそこのところを自らに問い、考えを尽されたのではないでしょうか。
 戦争というものは「歴史を顧み」て考えるだけで十分なのだろうか、それだけだと、なにか大切なものを見失い、気づかないままでやり過ごしてしまうのではないか、と。
 また、たとえ歴史となっている事実であっても、それらを自分の身に引き寄せ、いまを生きる自分自身の問題として受けとめる、あるいは、今後を生きる自分自身をその上に重ね、その先につなげて考える__そういう作業が必要なのではないか、と。
 その作業というのはまた、自らの内面奥深くに表現を求めて、あるいはわだかまり、あるいはもつれあっている思いのところまで降りていって、それを取り出し、言葉にする――そういう性質の営みでもあるのではないか、と。

 そのようにして生まれたのが「おことば」第3節の改訂版ではないか、というのがぼくの感想です。一読したところ、そんな大袈裟な話であるとはとても思えない、ごくごく単純明快な、一行にも満たない表現なのですが。その第3節改訂版を以下に示します。
 「ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

 改訂部分は、「ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、」の部分です。従来版の「歴史」を「過去」に訂正したうえで、「さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、」を加筆しています。
 従来版の「歴史を顧み」る立場だと――繰り返しになりますが――「戦争の惨禍」といっても “歴史の上” での出来事として少し距離を置いて受けとめることができそうな気がします。ですから、「戦没者追悼」「戦争反対」「平和祈念」にしても、万人周知の、当たり前の常識として、頭の上を素通りしてしまうような、あるいはついつい聞き流してしまうような、受けとめ方が一般なのではないでしょうか。

 しかし、この「歴史」を「過去」という言葉に置き変えると、「戦争の惨禍」は、決して他人事では済まされない、自身の過去でもあるものとして考える余地が生まれるような気がするのです。自分たちの先輩たちが殺し殺された、その意味で自分たちにも重大な関わりのある、「戦争の惨禍」として、立ち現われてくるのではないでしょうか。
 改訂版第3節は、上記のように「過去を顧み」のすぐあとに、それを受けて「今後」と続きます。「過去」も「今後」も、自分たちの生がなんらかのかたちで関わってきた、あるいは関わっていくであろう、時間です。過去への反省があってこその、今後への祈りがあるのだと思います。

 今上天皇が向き合っている戦争とは、したがって、単に歴史的事実としての戦争ではありません。自分たちの関わりのもとで起こした戦争、自分たちの過去における戦争、「さきの大戦」を意味します。それは、自分たちと直接に、あるいは何らかの形で、関わりがあります。だからこそ、自らが振り返って思いを深くする必要があるし、誰彼に言われなくとも、自分たちが自らの過去のもとへと立ち帰り、そこで出会うであろう過去を自分たちの手で持ち帰ってきて、まずは現在の自分たちの目の前に置いて直面しなければいけないのではないか。もう少し言い足すと、そういう営みを営々と続けることが、実は「深い反省」という行為の意味するところなのではないか。そういうことではないでしょうか。

 それにしても、「さきの大戦に対する深い反省」とはなぁ、よくぞ字にして書いて読み上げられたものよ、とその決断に敬意を表さないわけにいきません。
 「深い反省」なんて言語道断だ!  自虐史観だ!  ――なんて、少なくない人びとが見当ちがいの悪罵を浴びせることでしょう。安倍内閣総理大臣を先頭に、国論が大きくその方向に傾きつつあるのではないか――と心配される現実があるからこそ、今上天皇としては、「日本国と日本国民統合」の象徴の責任において、このことを明言しなければならない、と決断されたのではないでしょうか。そして、その決断を実行する最上の機会は8月15日の戦没者追悼式でなければならない、とも。

 今上天皇がこの「深い反省」という表現を、この改訂版「おことば」(平成27年)よりも以前に使っておられたかどうか、ぼくは知りません。ただ、そこにあって然るべき位置にその言葉がない、ということで言うなら、その発言例はあります。二つ紹介します(朝日新聞 平成27年4月4日「戦後70年――慰霊の旅 果てなき祈り」より)。
 ① 戦後60年の平成17(2005)年12月、72歳の誕生日会見で
 「日本は昭和の始めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います。」
 ② 平成21(2009)年11月、即位20年にあたっての会見で
 「私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです。(中略)過去の歴史的事実を十分に知って未来に備えることが大切と思います。」

 「深い反省」という言葉があってもよいと思う位置に、それはありません。どうしてか。①②において注目してほしいのは、「過去の歴史」「過去の歴史的事実」という物の言い方です。それらは理解の対象、記憶の対象としてイメージされています。天皇は、歴史のなかの過去、歴史的事実としての過去を問うているのであって、この過去は、自分たちがそこをくぐり抜けてきた、体験としての過去ではない、自分たちの過去ではない、いまだ自分たち自身の過去とはなっていない、いわば “未成の過去” なのではないでしょうか。

 平成17年・21年当時の今上天皇は、ご自身がその象徴であるところの、日本及び日本人について、とくに近代史の諸事実を踏まえたうえで、自他を得心せしめるにたる歴史認識に至らなければ、との思いを抱いておられたのではないでしょうか。
 言葉を変えて言うと、この当時――平成17年・21年当時――の「過去」は、「認識の対象」であって、「反省の対象」としてのテーマではなかった、とまで言うのは言い過ぎかもしれませんが。当時「深い反省」という言葉が見られなかったことを、ぼく流に考えるとこんな具合になるということです。

 であるからこそ、改訂版「おことば」第3節冒頭の――「過去を顧み」「さきの大戦に対する深い反省」「今後」といった――自分自らに引き寄せた論理の展開は、単なる言葉を越えて、実に大きな広がりを感じさせますし、深いと思います。戦争に対するぼくたちの態度ということで言うと、時代を画するものを感じる、というのが率直な思いです。

 「おことば」の最後の部分は、従来版も改訂版も変わりありません。すなわち――「全国民と共に」、戦没者に追悼の意を表し、「世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」という言葉で終わっています。ただ、平成27年の場合は、言葉は同じでも、その表現に込められた思いには格別のものがあったのではないでしょうか。

 以前と違って今回の天皇は、とくに第2節において、戦後の「国民の尊い歩み」に触れ、国民に向かって直に語りかけています。この国の「国家=統治権力」――「象徴」という役割で天皇自体がその一部をなしているのですが――が、「世界の平和」を乱しかねない方向に舵を切り、かつ「我が国の一層の発展」をも危うくしつつある、そういう差し迫った情勢であるからこそ、全国民と共に、平和と発展を祈らずにおれない、ということだと思うのです。

 戦後70年の「国民の尊い歩み」は、史上稀なる平和の歩みであり、それゆえに尊い歩みであることを、いま改めて知る必要があると思います。
 「その戦後を継承する」、「新たな戦前への歩みは一歩たりとも許さない」、そういう決意を示す必要がある。――今上天皇の平成27年版「おことば」が訴えているのは、要するに、これに尽きるのではないでしょうか。