今上天皇の8月15日―「全国戦没者追悼式」「おことば」(上)

たけもとのぶひろ[第96回]
2016年2月7日

全国戦没者追悼式

全国戦没者追悼式

 「今上天皇の8月15日」ということをテーマにして書こうと思います。とりわけ昨年・平成27(2015)年の「おことば」を考えてみたいのです。
 「おことば」とは、終戦記念日の日に政府が主催する「全国戦没者追悼式」において、陛下が述べられる追悼の言葉です。この「おことば」について今上天皇は、即位以来26年の間、その内容を根本から考え直すようなことはしておられません。どうしてでしょう。

 「全国戦没者追悼式」は、天皇の意見を述べる場ではありません。「儀式」です。儀式である以上、何年経っても変わることのない一定の形式にもとづいて厳粛に執り行うことが願わしい、そういう側面のあることは認めざるをえません。
 陛下はそこのところを考えられたのではないでしょうか。ご自身の「おことば」自体が、形式の一部として組み込まれているのではないか、だとしたら、その内容を軽々に変更するのはいかがなものか、と。
 察するところそういう事情への配慮もあってのことかと思うのですが、終戦記念日の「おことば」は、平成元年の最初のそれがそのままずっと受け継がれてきたのでした。

 ところが平成27年の終戦記念日は、まるで “異変” でも起きたかのようでした。「おことば」が、これまでのとはまるで違っていたのです。陛下の言葉はぼくらの胸に迫り、心を強く捕らえて離さないほどの力に満ちていました。そうした印象を抱きつつ思ったことがあります。このたび「おことば」を改訂するにあたって今上天皇は、これまでの骨格はそのまま残しながらも、その中身については改めてもう一度「最初から考え直す」くらいの気持ちで取り組まれたのではないだろうか、ということです。

 そのあたりのことを知りたくて、「おことば」の従来版から改訂版へと、どこをどのように改変(加筆・訂正)されたのか、立ち入って検証してみることにしました。
 「おことば」は、1行18字の新聞記事でわずか19行、400字づめ原稿用紙1枚にも充たない分量です。全文の構成は、3節(段落)から成っています。それぞれの節にはぼくなりのタイトルを付けたうえで、陛下のおことばをそのまま紹介し、それについて考えてゆきたいと思います。
 第1節 戦没者追悼と平和祈念
 第2節 戦後日本の総括
 第3節 戦争と日本国民

 •戦没者追悼と平和祈念
 「「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。」
 冒頭のこの節で今上天皇は、通称「終戦記念日」に臨んで表明する自身の「おことば」について、どのように考えているか、その意義、理念といったものについて述べています。短いけれど含蓄の深い文章だと思います。その点を見てゆきたいと思います。
 なによりもまずこの式典は「全国戦没者追悼式」ですから、「さきの戦争において、かけがえのない命を失った数多くの人々」すなわち戦没者を追悼する、悼み悲しむための儀式だということです。ただし、戦没者を追悼し、その遺族と悲しみを共にすることは、そのまま同時に、「平和を祈念する」ことでもなければならない、というのが陛下の考えだと思います。「全国戦没者追悼式」と発語する前に、真っ先に「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と述べてあることが、その基本理念を如実に語っていると思います。
 いまひとつ、「全国戦没者追悼式」のなかにある「全国」「国」についても、今上天皇の立場は旗幟鮮明です。この式典における「戦没者追悼・平和祈念の思い」は、会場における参加者だけのものではなく、電波を通して「全国」の国民のもとに届いており、国民の一人一人が式典に参加し、思いを共有している、だから本当は「全国民」戦没者追悼式なのだ、と。式典の開催主体はなるほど政府ですが、しかし、このことは、政府が国民の税金でもって式典の経費を賄うこと、そして国民になり代わって式典を運営すること、この二点を意味するに過ぎません。
 この式典の主催など御免こうむりたい、それが政府のホンネでしょう。国の内外からあれこれ言われるだけで、なんのメリットもないし、衷心より戦没者を悼み・平和を祈るなんて、そもそもそんな気持ちないしなぁ、と。
 だったら、どうして主催してきたのか――国民がうるさいからです。いやがる政府に圧力をかけて、国民が無理にもやらせてきた、ということです。国家・政府が自から進んでやってきたのではない、ということです。
 しかし、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」(日本国憲法)天皇にとっては、「戦没者を追悼し平和を祈念する」「全国戦没者追悼式」が、何にも代え難い最重要国事行為の一つであるということ、――これが、今上天皇の信念なのだと思い知らされました。第1節についてのぼくなりの感想は、これに尽きます。

 •戦後日本の総括
 従来版の第2節は、次の通りです。 
 「終戦以来既に69年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。」(「終戦以来既に69年」から、これは実際には平成26年の文章で、従来版の一つ)。
 従来版の言わんとするところは、実に単純明快です。平和と繁栄にむけて国民はたゆみなく働いてきた、「国民の努力」の結果、今日の我が国の平和と繁栄がある、その苦難の戦後史を思うと感慨は尽きない。もう少し単純化して繰り返すと、「国民の努力」があって、それがそのまま「国家の成功」につながって、天皇としては「感慨無量」である、というそれだけの話ですから、しかも実際の経過もおおむねこの通りだったわけですから、即納得ということだと思います。どうして即納得できたのでしょう。国民の多くが、自らを国家と重ね、国民と国家を一体的に感じていたからではないでしょうか。
 従来版の「おことば」は、戦後の歳月を「国家=国民」という立場から見ていたと思うのです。国家はすなわち国民である、と同一視する、あるいは一体的にとらえる――それは、今上天皇のみならず、国民のほとんどがそういうふうに自分たちを見てきたのだと思うのです。これまでずっと、つい近年まで。

 ところが、ここへ来て、わが国をめぐる物事の成り行きは予断を許さない様相を呈しています。事の始まりは、平成25年1月末の安倍内閣所信表明演説でした。演説に曰く、日米同盟強化による安全保障体制の強化が急務である、と。安倍はその年のうちに、そのための組織および人事の体制づくりをします。「安保法制懇」の設置(2月)、現役の駐仏大使小松一郎の召還と内閣法制局長官任命(8月)が、それです。
彼らが目論んだ通りなのでしょう――25年から26年にかけて、この組織体制のもとで、新しい法律づくりがその公布を目指して進みます。すなわち、「安保法制懇」報告書が提出され(26年5月)、安保法制に関する憲法解釈の変更が閣議決定されます(同年7月)。
 戦後政治史上最悪の、安倍内閣の、この政治決断に直面し、今上天皇は、安倍首相の政治信条について重大な疑問を抱かざるをえなかったでしょう。安倍首相は日本国憲法を無視し、国論二分・国民分断の危険を冒してでも、この国を戦争に引きづり込もうとしているのではないか、と。もちろん陛下は、憲法第1条の規定に従って、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」天皇として何を為すべきか、対応を迫られます。
 しかし、陛下において、たとえ為すべきことがあったとしても、その為すべきことを為し得るか否かは、別の問題です。憲法は、天皇が国政に対して直接影響力を行使することを禁じて、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(第4条)と規定しているからです。
 陛下において、為すべきことにどれほど深甚の思いがあろうとも、為してよいとされているのは「この憲法の定める国事に関する行為のみ」です。天皇の国事行為とは何を指すのか、憲法第7条がそれについて10項目をあげています。そのうち9項目までは、形式的な、あるいは手続き上の行為です。ただ、第7条の最後、第10項は「儀式を行ふこと」を国事行為である、と規定しています。
 天皇が何事かをなし得るとしたら、その場は「儀式を行ふ」という国事行為以外にはないということです。つまり、陛下にとって「儀式」は、為すべきことを為すことのできる唯一の場であるがゆえに、為し遂げるべきことをなんとしても為しとげなければならない、そういう機会なのだ、ということです。
 第4条の制約のもとで第7条10項をどれだけ活かして用いることができるか――陛下は知恵の限りを尽しておられるのではないでしょうか。斯界の権威として高名な岩井克己氏は今上天皇を評して、「(第4条すれすれの)ストライクゾーンに精一杯ボールを投げこんでいる」と述べているそうです(文藝春秋)。
 そして事実、今上天皇は、憲法上唯一許された、この「儀式」の機会を最大限活用することによって、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」天皇として、発信すべきことを発信して来られたのだと思います。発信媒体は、言葉であり、表情であり、姿かたちであり、所作であり、そのほか諸々であるわけですが。
 安倍内閣に危機意識をもたれてからの陛下は、これまで以上に「儀式」を重視しなければならない、との思いを強くされたのではないでしょうか。安倍内閣が「安保法制に関する憲法解釈の変更を閣議決定」した平成26年7月1日の少し前あたりから、陛下の「儀式」への取り組みを辿っておきたいと思います。
 平成26年6月23日 沖縄慰霊の日
 8月6日 広島原爆忌
 8月9日 長崎原爆忌
 8月15日 終戦記念日・全国戦没者追悼式
 平成27年4月 パラオ慰霊の旅
 6月 「戦没殉職船員慰霊碑」(神奈川県横須賀市)参詣・供花
 8月 終戦記念日 ・全国戦没者追悼式「おことば」
 平成28年1月 フィリピン慰霊の旅
 危機感を決定づけた「憲法解釈変更の閣議決定」が平成26年7月1日ですから、その年の終戦記念日に間に合わそうとすると、時間はわずか1か月半です。一方、「全国戦没者追悼式」の「おことば」をその原点に立ち返って吟味し直すという作業は、陛下としては、天皇である自分自身の存在とその真価を問う、という大事業です。あらゆる点に思いを巡らし熟慮を重ねたうえで決定稿としたい、そう思われるはずです。
 おそらくそんな思いもあってのことでしょう、改訂版の「おことば」が披瀝されたのは、1年後の平成27年8月15日のことでした。
 平成27年版「おことば」の第2節を示します。
 「終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。」
 従来版の第2節は、戦後日本の総括として、「国民の努力」「国家の成功」「天皇の感慨」を併記するにとどまっていたのでしたが、そして最大公約数としてはそれでよかったのかもしれませんが、改訂版の第2節はこの戦後総括を一変させています。
 上記三者のうち、「国家」「天皇」についての言及はそのままにしておいて、「国民」の果たした役割をとくに前面にとりだし、これを高く評価しているのです。そこにある評価は、従来版にはまったく存在しなかった言葉、表現です。次の三点がそれです。

 「戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力」
 「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」
 「この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき」

 意地の悪い人がいて、細かいことを言うかもしれません。「国民のたゆみない努力」という文言は従来版でもあったではないか、と。表面だけでいえば、そう言えるかもしれません。しかし、同じ「国民のたゆみない努力」でも、従来版と改訂版とでは内容が違います。
 従来版のそれは、「平和への努力」と「繁栄への努力」の両方を念頭に置いています。
 それが改訂版では、「たゆみない努力」を経済の復興と発展に、したがって「繁栄への努力」に限定することによって、「努力」の中に含意されていた「平和への努力」を「平和の存続を切望する国民の意識」として、新たに取り出して表現しているのだと思います。
 だから、同じ「たゆみない努力」であっても、従来版と改訂版とでは内容が違うということです、言いたいのは。

 それにしても「国民の尊い歩み」とはなぁ!
 ここまで言われると、今上天皇の危機意識の深刻さを思わずにおれません。その深刻さはどこから来るのでしょうか。最終的にはやはり、憲法第1条の天皇規定に行き着くものと思われます。何度も言及しましたが、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」というアレです。「象徴」とは、難しい議論はともかくとして、別の言葉で言うと「代表」みいなもの、あるいはソレに近い言葉ではないでしょうか。

 今上天皇は自らに問うておられると思うのです。安倍内閣の統治する日本であっても自分は日本国の代表なのだろうか、それでもなお日本国民の代表として国民を統合していると言えるのだろうか、と。別言すると、安倍内閣が憲法の命ずる平和を捨てて戦争への道を選択したその時点で、日本国憲法は存亡の危機に瀕し、したがって同時に、天皇もまたその在り方自体が問われかねない、そういう情勢なのではないか、と。
 安倍内閣は日本国を政治的に乗っ取ろうとしています。まさにそういう情勢であるからこそ、今上天皇は、「日本国民統合の象徴(代表)」の立場から、「おことば」の内容をいま一度考え直して、直接国民に向かって語りかけなければならない、と決断されたのだと思います。陛下の「おことば」第2節は、ぼくなりに整理すると以下のようになります。

 日本の今日があるのは、戦後70年の「国民の尊い歩み」があったからである。その際、国民の歩みの尊さはどこにあるのか__一つは、戦後経済の復興・発展・繁栄に尽した「国民の努力」「価値観」を挙げることができる。いま一つは、平和を切望して止まない「国民の平和意識」を挙げねばなるまい。この二つの「国民統合」意識が形成されてきたおかげで、この国の今日があるのだ。

 「国民の歩みの尊さ」を強く訴えることによって陛下は、「国民」こそが日本を「国家」たらしめるのであって、「国民統合」なき「国家統治」に未来はないと、そのことを語ろうとされたのではないでしょうか。

 「おことば」第3節については、次回に考えたいと思います。