時空を超えた闇

吉岡達也[第21回]
2015年8月24日

「虎ノ門」の碑。数多くの歴史を秘めた場所だ

「虎ノ門」の碑。数多くの歴史を秘めた場所だ

 今年2月、ふとしたきっかけで「二・二六事件」ゆかりの地を回った。「二・二六事件」とはいうまでもなく1936(昭和11)年2月26日に陸軍の青年将校らが東京都心でクーデターを起こし首相官邸などを襲撃、警視庁などを占拠したものだ。この事件以降、日本の政治が急速に軍部主導へ舵を取っていったともいえる。一連の取材の中で「79年前」と最近の日本の政治状況との類似点がいくつも浮かび上がり、しばしば暗然とした思いに駆られた。天災などで不安な世相が広がっているタイミングを見計らい、仮想敵をちらつかせながら一気に軍事化を進めるという手法は、かつてのファシズム国家の常套手段でもあった。
 さて、1936年の「三大事件」といえば、この「二・二六事件」とともに、「阿部定事件」「上野動物園クロヒョウ脱走事件」が挙げられる。
 「阿部定事件」は5月、待合の仲居をしていた阿部定(1905~?)が都内で愛人を殺害した後、包丁で局部を切り落とした事件だ。当時社会的にも大きな反響を巻き起こした。その後阿部定は恩赦により出所。戦後は飲食業などに就いていたが、1970年代中ごろからその消息は分かっていない。現在生きていれば110歳。いまだに生存を信じて疑わない関係者もいるという。
 「上野動物園クロヒョウ脱走事件」は7月、上野動物園のオリからクロヒョウが逃げ出し、東京中を恐怖に陥れた。短時間で保護されたものの、その後戦局が激しくなるにつれ「動物が逃げ出せば市民に被害を及ぼす」という考え方が広がり、園内の動物が殺処分されるという悲劇につながった。これもまた暗い世相を象徴する事件といえる。
 実は「二・二六事件」に引き続いて、これらの事件の舞台を回ろうと思っていた矢先、何とも衝撃的な報道が飛び込んできた。
 「平成阿部定事件」――。
 8月13日朝、東京・虎ノ門の法律事務所内で、42歳の男性弁護士が法科大学院に通う元プロボクサーの男子学生(24)に殴られ、局部を切断された。しかも局部はトイレに流されてしまったという。この男子学生は既婚者であり、妻はこの法律事務所に事務員として働いていた。どうやら男女関係のもつれが背景にあるようだ。
 しかし、それにしてもだ。「局部を切る」という行為自体、極めて猟奇的だ。しかも凶器は長さ20センチ、刃渡り6センチの枝切りバサミだという。
 この法律事務所があるビルをはじめ虎ノ門周辺は正に都心の中の都心。外堀通り沿いに官公庁をはじめ日本の知と富の心臓部が連なり、道行く人の間からもどこか緊張した空気が流れている。いわば国内エリート層の砦だ。
 そんな真夏の朝日が差し込む外堀通りを、憤怒の形相を浮かべた男子学生が枝切りバサミをしのばせて突き進んでいったというイメージはにわかに想像できない。
 そもそも、プロボクサーが一般人に対して自らの「こぶし」を向けてはならないのは最低限のルールだ。それを破るだけでなくさらに局部を切断するというのは、相手がどれほど憎くても明らかに常軌を逸している。それも「ルール」を生業とする「法曹」を目指していた学生の所業ということであれば、何かが壊れたとしか思えないのだ。
 さて、「三大事件」の1936年を遡ること13年前の1923(大正12)年12月27日には「虎ノ門事件」が起きている。帝国議会の開院式に向かうため自動車で虎ノ門を通りがかった当時の皇太子(昭和天皇)を社会運動家の難波大助が散弾銃で狙撃。同乗していた侍従長が軽傷を負ったものだ。難波が潜んでいた公園は正に先日の「局部切断事件」が起きたビルの位置にあった。また、すぐそばには1869(明治2)年に明治期の政治家・江藤新平が同地で襲撃を受けたことを記した石碑もある。

かつての虎ノ門事件の舞台は再び惨劇を生んだ

かつての虎ノ門事件の舞台は再び惨劇を生んだ

 いずれにしても虎ノ門周辺は幾多の事件の舞台でもある。このことを考えるにつけても、改めて人智を越えた土地の持つ力を考えてしまう。もちろん事件と土地との因果関係を証明するものなどないが、何らかの形で人の意識を狂わすような「負の地場」が流れる場所の存在は否定できないように思える。

◇    ◇    ◇

 都心の高層オフィスビルに取り囲まれるように立つ金刀比羅宮は1660(万治3)年の創建。夏の日差しを浴びながら、ワイシャツ姿のサラリーマンらが熱心に手を合わせている。ここから道路一本へだてたところが「局部切断事件」現場だ。「祈りの聖域」の隣接地で起きた惨劇――。わずかな距離の間に大きな断層を感じる。

金刀比羅宮(東京・港)。都心のビルに囲まれながら独特の存在感を有する

金刀比羅宮(東京・港)。都心のビルに囲まれながら独特の存在感を有する

 現在、東京都心でその歴史の息吹を感じることはなかなか難しい。コンクリートに覆われた街にあって古人の営みを肌で感じることは不可能だ。しかし、そのスピリットはいまも地底に堆積しているはずだ。そして、仮に今日の時流が「清流」とはいえないのであれば、その「澱み」を押し流そうとする力が働いていても決しておかしくはない。
 ともあれ、時空を超えた闇がいま確実に広がりつつあるのを感じる。はたして今年、平成の「クロヒョウ」はどのような形で姿を見せるのだろうか。(敬称略)