[編集部便り]お知らせ

ラッキーと遊ぶたけもとさん

ラッキーと遊ぶたけもとさん

 たけもとのぶひろ氏。愛猫の看病と心労で本人まで体調を壊してしまい、これまで続けてきた「天皇論」は暫く連載を中断せざるをいなくなった旨、前回、お伝えしたが、本人より、この間の経過報告が届いているので掲載します。

 どんな獲物でも虎は狩りに手を抜かない——と言うような格言が、あったかどうか……、譬えはよくないかも知れないが、たけもと氏はそんな虎に似ていると私は思っている。
 軽重を問わず一度引き受けたもの、これと定めた事に対して、決して二言なく、全力で受け止め、逃げることをしないのが彼の真骨頂である。

 「損得」の言葉は彼の辞書にない。当然、こういう生き方は身を滅ぼさざるを得ない。事実、彼は、かつて、学者として将来を嘱望されながら、自分の言動の責任を取って身を滅ぼした。
 その気になれば、いくらでも言い逃れは出来たし、うまくすり抜ける事も出来たハズであるが、彼はあえてそうはせず、従容として(学者としての)身を滅ぼす道を選んだのであった。

 そして今回、猫の看病である。何もそこまでやらなくても……、と「世間知」をかざすのは常人である。しかし、小さな朝露の一粒が大きな朝日を映して輝かせるように(と確かドスト氏がどこかで書いていたような……)、我々は、日常の立居振る舞えの何気ない小さな行為の中に、その人物の容易ならざる本質が顕われているのに気付かされる事も多いのではないだろうか。

 たけもと氏、猫に対してすらそうなのである。ましてや親交を結んだ人達に対して、そして自分が生きてきたこの時代や社会に対して、どんな思いを抱き、接してきたか、推して知るべしである。虎は手を抜かないのだ。

 ひとりぐらい
 こういうバカが
 いなきゃ世間は
 目がさめぬ
 (北島三郎『兄弟仁義』)

 彼の憲法論、天皇論もかかる視点で読んでもらえるとありがたい。