留学生アラレ姫の東遊記(3) 神田祭の巻

アラレ姫[第3回]
2015年5月18日

「神田祭」に行ってきた。日本の祭りを見るのは初めてではないけど、今回の「神田祭」のように、二週間も続く甚大な行事を見るのは初めてだった。
ホームページ(http://www.kandamyoujin.or.jp)を調べて知ったのだが、「関ヶ原の戦勝祝い」という「徳川家縁起で始められた祭」の大衆化の産物が、現在の「神田祭」との事。
この神田祭は、江戸城内を回る祭礼行列が、将軍に上覧されることから、江戸の庶民たちに「天下祭」と称され、延宝末年までは毎年斎行されていたが、天和元年(1681年)より2年に一度、山王祭と交代で開催されてきたという。
それに、今年は神田明神が現在の地(千代田区外神田二丁目)に遷座して400年ということで、多くの参加者でにぎわい、氏子108町会から繰り出した総勢約200基のみこしや山車は、各地区を巡行しながら神社に練り込み、威勢よく祭りを盛り上げているらしい。

それで、どういうことかよく分かっていない私は、今月9日、祭りの様子を見に行くことにしたのだった。
午前10時、神田神社はすでに人混み状態であった。お参拝する行列はまるで初詣を彷彿させ、「神田祭✕ラブライブ!コラボグッズの販売」の行列は更に長かった。良し悪しは別として、そういうところで発揮される、日本人の行列好きの精神には何度もすごいなと感心させられた。
とにかく、神社を回ってみようと思って、神田明神境内・宮本公園特設ステージに行くと、和太鼓の競演にまず吸引された。迫力のある素晴らしい演技、太鼓を打つ女の子の元気さと笑顔が実に印象的だった。

まもなく11時になり、江戸蕎麦打ちの実演奉納をわくわくしながら見に行った。真っ白の服を着ているプロのそば料理人たちは、神田明神の境内で、そば粉をきれいに混ぜ、練り、伸ばし、切っていた。もともと餅づくりと同じようなものだと思っていたけど、なるほど、そばはこういうふうにして作られるのかと、初めて実見で知った。大変おもしろい(写真1)。

(写真1)

(写真1)

師匠たちの手法は非常に立派に熟練され、日本食特有の清潔感、儀式感が感じられる。その一つ一つが、蕎麦という下町庶民の食品に高級さ、神聖さを与えているのであろう。
「じゃあ、この作られた蕎麦は美味しい?」と聞くと、案内してくれた友人は、
「多分美味しい」と答えた。
「誰が食べるの?」と聞いたら、
「たぶん町の偉い人たちかな」と。
そうだ、蕎麦うちも奉納の行動の一つだったのだ。

そば打ちを鑑賞したあと、なんか食事したい気持ちになったので、友人の紹介で、神田駅近くの伊勢ろくで親子丼を食べてみた。安価で美味しい日本食であった。それを食べると、再び元気になって、祭りのメーンとなる「神幸祭」や「附け祭」を参観しにいった。
公式の紹介によると、神幸祭というのは、氏神様(氏子の町を守る神々:大国、えびす、平将門)がお乗りの「一の宮鳳輦」「二の宮神輿」「三の宮鳳輦」をはじめ、諫鼓山車や獅子頭山車など約500名からなる行列が、氏子108町会を巡り、神々の力によって各町会を祓い清める神事だ。
この行列は神社から出発し、神田、日本橋、秋葉原などを約30キロメートルの長い道のりを歩き、途中、山車や武家行列など附け祭りの曳きものも加わって1000人規模の盛大な行列となる(写真2)。

(写真2)

(写真2)

私たちは、16時半ごろ神幸祭の行列と、附け祭の行列が日本橋の交差点で合流することを狙って、そこに移動していった。同じ考えを抱いた人も多いようで、行列はまだ来ていないうち、交差点付近はすでに大勢の観客が集まっていた。
時間になると、まず来るのはいわゆる神田祭で最も人気のある附け祭であった。いろいろ説明をもらったけど、当時は見ることだけで精一杯だった。
格好いい騎馬武者十騎、かわいい江戸っ子「みこしー」、巨大な大鯰と要石、143年ぶりに登場した浦島太郎、元気に笑うことを担当していた花咲か爺さん、それに一日中歩き続けて疲れの見える少年団や浴衣婦人の行列などが、全部通した時には40分以上が経過していた(写真3)。

(写真3)

(写真3)

その後、神幸祭の行列がもう一つの方向から移動してくる。本当に重そうなお神輿が人々に担がれて動いてきた。写真を撮ろうとする人があまり多くて、進み道まで遮断されてしまう。確かに、お神輿も、平安装束をまとった人々も、大変華やかな風景になっていた。それをこの目でみて、大変満足した。

でもそちらの方をよく考えたら、この祭りの関与者はほとんどボランティアや地域の人々で、こんな盛大な祭りで当然疲れているはずなのに、みんなが祭りを楽しんでいるように見えた。そうじゃないと、「神田祭」は400年以上も続くことはなかっただろう。

友人に「中国にはこういう祭りがないのか」と聞かれて、よく考えたら「ないようだが」としか答えられない。横浜の中華街で行う春節のイベントを見たらわかると思うけど、祝日があっても、お祝いの形式は日本の祭りのようなものではない。
つまり銅鑼や太鼓に合わせる獅子舞や、爆竹の鳴り響きという形式は残っていても、たくさんの住民が地域単位で、地域の神様に祈るため、きれいに装い、行列編成し、何日もかけて行事を行うことは想像できないことである。(極少ない場合以外)神様を祀ることはすでに現代中国の都市人に忘れられていたのではないだろうか。

もちろん、本当に神様が守ってくれていると信じている日本人がどれほどいるかは大いに疑問だが、伝統を守ることに執念する日本人の顔が確かに祭りで見えてくる。祭りが商業化されたところも少なくないと思うが、それでも全然違和感なく日本的なものになっていた。私から見ると、意外に悪くない。
以上、今回は、祭りを堪能した一日の事を書いてみました。