天皇について(20)

たけもとのぶひろ[第71回]

一木喜徳郎

一木喜徳郎

■「天皇機関説」――一木理論から美濃部理論へ
 既述の通り、君権学派の主張する「天皇主権」論は、「藩閥政治」家たちにとって、その正体を覆い隠してくれる恰好の “隠れ蓑” でした。そこでは、超越的な唯一絶対の天皇ということがすべての前提でしたから、国家に関わるすべての淵源は天皇にあり、国家とは天皇のことであり(「国家=天皇」)、同時に、天皇こそがこの国の唯一の主語である、天皇こそが国家である(「天皇=国家」)、ということだったわけです。これは、極論すると、法律があろうがなかろうが・その中身がどうであろうが、国家の統治は何とでもなる、と言っているようなものです。一言にして言えば、朕ハ国家ナリ、です。

 そんな暴論が、当時の西洋列強を相手に通用するわけがありません。彼らは国情の違いこそあれ、どの国も、「近代」「国家」「国民」などのテーマと取り組み、新しい時代のあるべき新しい「統治」を実現しつつあったのですから。早い話、かの国々では、「国王」と「国家」と「国民」は、それぞれ別のものだったということです。
 ところが明治のわが国では、「国民」はすでに詳述したように「臣民的国民」と「国家的国民」とに分断されており、しかも前者は無きに等しいあつかいで、後者は「国家」のなかに吸収されていますから、明治時代のこの国を構成していたのは、「国王(天皇)」と「国家」のみであって、しかもの上述のように両者は「天皇=国家」「国家=天皇」という同義反復の関係にあった、ということではないでしょうか。

 このような時代状況に一石を投じたのは、一木喜徳郎・東京帝大教授でした。一木教授は国家について「国家法人説」を、天皇について「天皇機関説」を提唱しました。両説につておおよそのところを示すと、以下の通りです。
①「国家法人説」によると、国家は法人です。法律上の人格をもつと “見なす” ことができる存在です。その意味で、仮構の存在、擬制です。したがって「国家」とは、より正確に表現すると、「法人たる国家」ということです。ここで重要なのは、いわゆる「統治権(主権)」がこの「法人たる国家」に帰属するという点です。別の言い方をすると、統治権(主権)は「法人たる国家」の権限である、と言うことができるでしょう。

②上記「統治権」(主権)を行使する・執行するためにあるのが、国家諸機関です。たとえば、政府・内閣・各省庁など諸行政機関、議会(衆議院・貴族院)など立法機関、司法機関なんかが、それにあたります。天皇というのも、これら国家機関の一つです。その点で天皇は、君権主義者が主張するような、超越的・神格的な存在ではありません。しかし同時に、天皇という機関は、上記国家機関全体のなかで最高位にありますから、この機関が絶対的権限を有することは指摘するまでもありません。天皇は国家機関の一つではあるが、最高にして絶対の国家機関である、というのが一木教授の「天皇機関説」です。

このようにみてくると、一木教授は、「国家=法人」説という基礎工事の上に「天皇=国家最高機関」説という構造物を築きあげ、君権主義者以上に君権擁護に貢献したのではないか、と言いたくもなります。一木教授と直接の師弟関係にあった美濃部達吉・東京帝大教授の、世に広く知られた、いわゆる「天皇機関説」とは趣きがまったく逆になるわけですし。それもそのはずで、一木教授が拠りどころとした国家法人説は、19世紀前半、西欧近代が産みの苦しみのさなか、人民主権と君権擁護がせめぎ合うなかで、君権擁護の側に立った学説だった、との指摘があります。

 一木門下の美濃部教授は、師の「国家法人説」「天皇機関説」という “容れ物” はそのまま継承しましたが、その中身を取り出して、その空いたあとにまったく反対の理論を入れて充てました。まず「国家法人説」について教授は、ゲオルク・イェリネックの「国家法人説」の言説に注目しました。イェリネックの国家論を根底に据えたことが、美濃部学説の性格を決定づけたと言っても言い過ぎではないと思われます。
 イェリネックは、19世紀後半、ドイツ帝国の建国および勃興期、ビスマルク鉄血宰相の時代にあって、ドイツ絶対主義的君主主義(君権主義)に対する抵抗の理論――「法に対する国家の自己拘束理論」――を提唱した学者として、その名を知られた人だと言います。

 イェリネックがその「国家法人説=法に対する国家の自己拘束理論」において言わんとしたことのおおよそは、以下の通りです。①国家は法をつくり出すが、つくり出すことによって同時に、その、つくり出した法によって拘束されます。②したがって国家は、法によって拘束されることなくして、法的な権利・義務をもつことはできません。③国家が法的な権利・義務をもつとは、これを別言すると、国家は法人であるということ、国家が法人となるということ、を意味します。④国家は法人である以上、法を超えることができません。その人民統治行為は、法の命ずるところに従わなければならない、ということです。

 美濃部「天皇機関説」の第一の前提――それが、このようにイェリネックの国家論だとすると、この言説はひよっとしたら “入れ子” 式になっているのではないでしょうか。いちばん外側の箱は「天皇=機関」説ですけれども、その中には「天皇=国家機関」説という箱が入っていて、さらにその箱を開けると、その中に「国家=法人」説という箱が入っている――そういうふうに “入れ子” 構造になっているのが美濃部「天皇機関説」なのではないか、ぼくにはそんな気がするのですが。

 もう少し砕いて表わしてみます。天皇が機関であると言うとき、表には表れていないけれども、本当に大事なことは、天皇が「国家」の機関である、ということでしょう。そして、その「国家」は「法人」として法の拘束下にあるのですから、「天皇」が「国家」の機関である以上、法の命ずるところを超えることはできない、いや、超えることは許されない、――とどのつまりを言うと、天皇は “法(のり)を超えざることをもって信条とする” 存在でなければならない、その信条に生きることを義務づけられた国家機関である、ということではないでしょうか。

 美濃部「天皇機関説」の第二の前提は、これまで論じてきた “国家機関としての天皇” という考えのなかに含まれています。すでに詳述しましたが、一木「天皇機関説」は、天皇という国家機関について、「国家機関のうちの一つではあるが、最高の、絶対無二の機関である」ことを主張します。美濃部「天皇機関説」では、これが正反対になります。「諸々ある国家権力のなかで最高の権力ではあっても、数多ある権力のなかの一つである」というふうに。一木説では、最高の国家権力である「天皇」にのみ光をあてて照射するのに対して、美濃部説では、「天皇」権力について論ずる者は同時に「天皇」以外の国家権力との関連をも論じないわけにはいかない、そういう組み立てになっています。

 いま少し具体的に立ち入って、国家権力の骨格めいたものについて述べます。天皇という国家権力は、国家の全統治権力を「総覧」します(――その曖昧さについては既述の通りであり、ここでは再論しません)。その際、「行政」に関わる国家機関としての「政府・内閣(国務大臣)」は、天皇(国家権力)を「輔弼」するための国家機関でもあらねばなりません。この「輔弼」について一言するなら、君権主義者はそれについて必ずしも必要不可欠の条件ではないとしていますが、美濃部「天皇機関説」は上記「輔弼」を天皇統治(総覧)のために必要欠くべからざる必須条件として重視します。それなくしては天皇統治の統合性が担保できないからだと思われます。

 と同時に、「帝国議会(とくに衆議院)」は立法および予算審議のための国家機関として、やはり同じく国家機関たる天皇に対して「協賛」を期待される構造になっています。“協賛なくして裁可なし“ と言われるのがそれです。すなわち、衆議院(立法機関)は事と次第によっては政府(行政機関)の議案を否決し、ひいては天皇(最高機関)の意思を拘束することができるわけです。さらに言えば、内閣とその国務大臣(行政機関)は議会の信任を必要とします。議会の信任を失うとき、内閣・国務大臣は辞職しなければなりません。
 ひるがえって議会とは何か、畢竟するところ「政党」以外ではありません。では、政党とは何か、「国民の代表」というのがその答えでしょう。だとすれば、政党によって構成される議会は、「国家の立法機関」であると同時に「国民の代表機関」でもあるし、そうあらねばならない、ということです。
 美濃部「天皇機関説」は、あらまし以上のような議論を展開することで、帝国憲法という枠組みのなかで、最大限、「議会・政党・国民」の役割を高めようとしたものだと思います。