「板橋」旅情

吉岡達也[第15回]
2015年5月6日


板橋宿(『江戸名所図会』より)

板橋宿(『江戸名所図会』より)



 いつも、旅に出たいと思う。特にゴールデンウイークなどまとまった休みが取れる時期が近づくとなおさらのことだ。ただ旅出ちたいとひたすら願う。気になっていた土地のことや、長らく訪問できなかった旧友のことなどを思い出し、観光ガイドブックや地図帳などをやおらひっくり返し始める。期待に胸を躍らせる。
 しかし、ここ数年はなかなかまとまった旅に出られない。馬齢を重ねるにつれて、この状況に拍車がかかっている。頭の中では完全に旅行モードに入っているのだが、身体がついていかない。いざ休日が訪れて、そこから動き出そうと思っても、なかなか寝床からはい上がれない。もがいているうちに午後になり、やがて日が暮れる。この繰り返しだ。事前にきちんと旅行の計画を立てればいいのだが、出発当日になにか起きてキャンセルせざるをえない事情が起きたらなどといちいち余計なことを考えるものだから、準備自体も進まない。
 今年のゴールデンウイークもとうとう、どこに行くこともないまま幕を閉じた。ここ数年同様、ひたすら寝ていた。改めて旅など夢の夢だと実感する。
 興味・関心のある場所に実際に足を運んでいろいろ思いをはせることは、必ず得難い思い出を残してくれる。「この世」を終える時には何一つ持っていくことができないのだから、せめて心に残る記憶を残しておきたい思いにかられる。
 どうやら私のごとき、常に「旅に出たいけど、出られない」というジレンマを抱えていた人は古今東西、それこそ無数にいるらしい。旅行文学としてすぐに頭に浮かぶのは江戸期の作家、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」だが、彼にしてもこの作品の内容はその多くがフィクションだったようだ。当時は旅すること自体、それほど困難が伴っていたのだ。ひるがえって現在でも、日頃から様々な雑事に追われている人が大半で、きままな旅行が可能な層などごく一握りに過ぎない。
 話はずれてしまうが、今日少数の富裕層以外、生活の余裕は確実に失われつつある。そして、不満の矛先を見つけられない市民の苛立ちを実感する。卑近な例では首都圏の列車内の雰囲気は悪化し、連日「乗客同士のトラブル」で遅延が生じている。これほど殺伐とした状況は私自身、30年来経験したことはなかった。加えて社会保障関連をはじめ、老後の不安も広がるばかりだ。もたつく震災復興、軍備拡張の動き、国際関係のひずみ――。こうした重い空気を日々感じながら、私自身もいつしか娯楽への余裕を見失いつつあるのかもしれない。
 閑話休題――。
 それでも、何とか身近なところで旅の気分を味わいたいという人は過去現代にかかわらず、あまた存在するはずだ。せめて旅行の雰囲気だけでも体験したいと思う人たちは、実は江戸期でもたくさんいたようだ。
 江戸幕府によって整備された五街道の玄関口としても知られ江戸四宿と呼ばれた「品川」「内藤新宿」「千住」「板橋」の各宿は、旅人とともに江戸っ子にとっても旅情をそそる場所として高い人気を誇っていた。これらの宿場には旅籠のほか、茶屋や名産品を販売する店などが軒を連ね、正に地域のターミナル的な役割を果たしていた。
 実は、まとまった時間の確保が難しくなっている私にとって唯一旅行気分を味わえるのは、当時の江戸の庶民と同様、かつての中山道のスタート地点である「日本橋~板橋」間の散策であったりする。
 中山道はいうまでもなく「日本橋~京都・三条大橋」(全長約540キロメートル)の大動脈であり、時間があれば何としても踏破してみたい。しかしこれが無理ならば、その雰囲気を少しでも感じることができるのが、「日本橋~板橋」の行程なのだ。
 正直いってこの区間を歩いていても、無数の車両が行き交う道路からは江戸の街道の息吹を味わうことなど不可能だ。しかし、かつての加賀藩前田家上屋敷である東京大学(東京・文京)脇のクスノキ並木の前や、巣鴨の「とげぬき地蔵」高岩寺(東京・豊島)界隈の賑わいを抜ける際には、往時の雰囲気や香りを感じたりすることができ、短い行程ながら、歩いていてもあまり疲れを感じない。
 一方でJR板橋駅(東京・板橋)に近い新撰組局長、近藤勇の墓の前では、斬首場所の板橋刑場跡地がほぼ隣接していることもあり、いつもながら厳粛な気持ちになる。
 何といっても私にとって居心地がいい場所が「板橋宿」だ。板橋宿は平尾宿、仲宿、上宿の3宿で構成。仲宿と上宿の間を流れる石神井川にかかる「板橋」が、後の板橋区の名の由来だ。かつて歌川広重の浮世絵などに描かれた名所でもあり、周辺は江戸期から明治期にかけて数多くの人々が行き交い、活気を極めていたという。
 その後明治の大火によって、板橋宿の建物の大半が焼失し、江戸期をしのばせる建築物はほとんど残っていないが、宿場町の雰囲気は十分に感じる。どこか、伊香保温泉(群馬県)など関東の著名な温泉街に似たたたずまいを感じるのだ。それは、歴史をへてきた場所のみが持つ雰囲気なのかもしれない。
 この小旅行は毎度、荒川の手前で終了している。今度の休みはせめて荒川を越え、次の蕨、浦和、大宮宿を目指そうかとふと思った。電車ではそれこそ何度も足を運んでいる地だが、歩かないと分からないこともある。
 少なくても、「時代の苛立ち」を一時でも忘れることができそうだ。