留学生アラレ姫の東遊記(1) 神保町の巻

アラレ姫[第1回]

神保町「春の古本祭り」

神保町「春の古本祭り」


 恥かしいことだけれども、文科系大学院生のくせにわたしは、神保町というところに、古本屋さんがいっぱいあることを、つい最近、友人から聞くまで知らなかった。調べてみると、神保町のホームページ(http://jimbou.info/index.html)に、150軒以上の古本屋さんが登録されている。

 先日、早速現地考察しに行った。ちょうど「春の古本まつり」の時期(3.27-3.29)にあたり、大量で安価な古本が数十台のワゴンに置かられ、街一面を貫いていた。昨年年末から東京に滞在して以来、はじめてこれほど多い古本を見た。よくみると、文庫や新書は100-300円、大型本は300-500円でセールしている店舗が多数あり、「日本の名著」、「世界の名著」、「日本思想大系」、「日本古典文学大系」などのシリーズも一冊300-500円で手に入れられる。貧乏学生にとって幸せな町だ。

 そもそも学生が多いから書店が集まり書店街になったはずなのに、古本のワゴンを回っている方々は、おじいさんの方が圧倒的に多い。白髪で、縮んでいて、たまに手がふるえていて、色の褪せた古本と同じ年ぐらいのおじいさんたちが、町に溢れていた。でも元気のように見えた。中には退職した教授のような人物もいるかもと思ったら、恐縮な気分になる。
 こうして、午前10時ごろから神保町の一つ一つの書店を見ていき、書籍の海から欲しいものを探していった。自分の専攻研究や興味と関わる論著、雑誌などを見つけたら、獲物のようにとってしまう。ああ、気持ち良い。古本探しには一人に限る。自分にあう本、好きな本、自分のペースで探せるのだから。その本との出会いによる喜びは、なかなか人に伝え難いものがある。

 その興奮の中で、お昼の時間も過ぎ去ってしまう。噂の「さぼうる」という定食屋さんを探し、行列に並んで10分間待たされたあと、ビーフカレーのセットを650円で美味しくいただいた。確かに雰囲気の良い、友人と一緒に楽しみたい店であった。
 再び町を歩き回った私は、ときどき、中国の本屋さんのことをおもいだした。毎年4月や9月、北京も図書のフェアのような臨時的な古本まつりを、一週間ぐらい「地壇公園」あるいは「朝陽公園」で開催する。今の神保町と同じように、にぎやかな風景になる。だが、神保町のような、新刊書店も古本書店も集まっていて、長年にわたって繁盛し続けてきた本屋さんの町は、私の知る限りで、今の北京には存在していないようだ。
 近年、三省堂書店のような立派な書店ビル、紀伊国屋書店みたいなカフェつきの書店チェーンなどが、中国の書店の基本形態になっているが、民営の小型書店は、消え続けている。むかしから北京師範大学の近くにあった、古本屋「野草書店」が、2013年7月前後、経営不振で倒産したのはその一例にすぎない。

 おそらく世界各地も同じ傾向だと思うけれど、中国のリアル書店はとくに苦しんでいるようだ。2014年3月のニュース記事によると、その時点までの10年間、ネット販売の発達によって、中国全国のリアル書店が5割以上倒産した。とりわけ2007-2012の5年間、上昇しつつある地価と賃金の圧力で、万軒以上の民営書店が見えなくなった。しかし、これを機会に改革をしなくてはいけないという機運が業界全体の共通認識になってくれるのであれば、必ずしも悲観ばかりしている必要もないのかもしれない。

 すでに共有されている認識だろうが、中国で新刊される書籍は、ほとんど日本の古本ほど安い値段で売られている(というより、やはり日本の図書価額が高い)。最初の定価でさえ、同分量の日本書の(価格の)五分の一程度だし、それに、実際に販売するとき、定価より1~2割引の値段で売るのが普通。もしアマゾンなどのネット書店で購入するとしたら、4~5割引かれることも少なくない。
 それほど厳しい中国の出版状況であっても、新知識への好奇心と、古本に対する好感は、どことも同じように強く存在しているはずだ。ただ中国が困っているのは、いかにこういう経済的な窮境のもとで、新刊書店をまもると同時に、古本屋をうまく経営し続けていくかという問題なのだと思う。

 こんな難問を漠然と考えながら、神保町を歩いていた。「一日で見切れない町だ」、「何度来ても発見がありそう」、「野球選手のサインもある」、「魯迅選集、漱石全集だって一冊百円で買えるのだ」、「あのチッキン南海は美味しそう」、「あの中華屋さんと天ぷら屋さんも試してみたい」、「ああ、北京にも神保町が出て欲しいな」、などと妄想していると、そのうち、手の中の重さがだんだん増えてきて、疲れてきた。それでも、いい気分で図書狩りを終了するころができたのだった。

 最後に思い出したことがある。神保町を教えてくれた友人によると、神保町では、本屋さんの店舗はほとんど北向きの側に並んでいて、本が日差しに当たられないように工夫されているという。なるほど、それを聞いて初めて気がついた。これだけで十分偉いな、と思った。人為的な設計か、それとも、自然的な形成かはっきり分からないが、昔ながらの知恵や書店街文化というものは、こんな何気ないような工夫の中から見えてくるものだ。古本屋の町の形成、その過程自体も、貴重なものだと思った。

霰姫(あられ・ひめ)
1988年生まれ。日本近現代思想史、近代日本知識人の国際関係論に興味をもち、中国からきた留学生。東京大学博士課程在学中。