79年前の幻影(下)

吉岡達也[第13回]
2015年2月23日


1936年2月26日、山王ホテルにたてこもる将校たち

山王ホテルにたてこもる青年将校たち



 二・二六事件の主要舞台は、クーデターを起こした青年将校らが司令部を設置した東京・赤坂~溜池の外堀通り沿いだ。クーデター側はかつての山王ホテル及び料亭「幸楽」を主要拠点とした。
・山王ホテル跡地=山王パークタワー(2000年開業)
・「幸楽」跡地=プルデンシャルタワー(2002年開業)

プルデンシャルタワー
山王パークタワー
プルデンシャルタワー

 山王ホテルは1932(昭和7)年創業。ということは、営業を開始してからわずか4年後に二・二六事件によって建物を占拠されたことになる。ホテルは終戦後の1946(昭和21)年に米軍に接収され、長らくアメリカ専用のホテル施設となる。
 一方、料亭「幸楽」は第二次世界大戦末期、米軍の爆撃機B―29が落下して焼失。その後、東京五輪景気によるホテル建設ブームに合わせて、1960(昭和35)年、ホテルニュージャパンが建てられる。地下にあった高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」には、多くの政財界関係者などが足を運んだ。1963(昭和38)年、同クラブ内でプロレスラーの力道山が居合わせた客に刺され、死亡。その後1982(昭和58)年2月、ホテルニュージャパンは火災により死者33人を出す大惨事となった。

ニューラテンクォーター
ホテルニュージャパン

 この周辺は元々湿地帯であり、江戸時代には大きなため池が広がっていた。「溜池」の名称の由来だ。当時は飲料用などに利用されていたが、玉川上水の完成などによって利用価値も低下し、明治時代に埋め立てられる。今では外堀通りの溜池交差点にある「溜池発祥の碑」だけが往時をしのばせる。
 こうした地形的な影響からだからだろうか。付近を歩く際、時折重苦しい感覚に包まれることがある。都心の中の都心であり、最新の高層ビル群が林立する地域でありながら、なぜか灰色のベールがかかったような「気」を感じる。
 隣接する山王日枝神社は江戸三大祭の一つ「山王祭」で知られ、中世以来の歴史を刻んでいる。現在、山王パークタワーなどが建っている場所周辺には、江戸期は常明院をはじめ山王権現十坊と呼ばれる僧侶の居住空間「僧坊」があった。元来、霊験あらたかなこの地は、今後どのような歴史を刻んでいくのだろうか。
 二・二六事件で青年将校らが襲撃した場所などを巡っていると、すでに痕跡すら残していないケースが多い。歳月の経過により土地の所有者も代替わりしており、関係者の記憶も風化していく。何よりもインターネットの普及などによって時代のスピードがますます速くなり、情報自体の風化が確実に進んでいる。人に考える暇を与えないようなこの風潮が、一歩立ち止まって物事を見つめ直す時間を失わせている気がする。これが、「時代の不安さ」を増幅している一因といえるだろう。
 二・二六事件の際に第1師団歩兵第1連隊によって襲撃された東京・永田町の総理大臣官邸に足を運んだ。
 青年将校ら約300人が午前5時すぎに岡田啓介総理大臣らを襲撃、松尾伝蔵首相秘書官が岡田首相と間違えられて銃殺され、首相は難を逃れた。総理大臣官邸では4年前の1932(昭和7)年には海軍将校の襲撃により、犬養毅内閣総理大臣が殺害されるなど(五・一五事件)、軍部急進派のクーデターの最大の標的となっていた。
 さて、東京メトロ丸ノ内線・国会議事堂前駅を降り立つとすぐに目に入ってきたのは、多数の機動隊車両と警察官だった。いわゆるイスラム国関連の事件により総理大臣官邸周辺などの警備が強化されていることは新聞やテレビを通じて知っていたが、これほどまでだとは想像していなかった。官邸に向かって横断歩道を渡ろうとしたところ、並んでいた警察官が一斉に私を見つめた。数人が厳しい表情を浮かべながら近づいてきた。
 「これは、何なんだ」――。
ふいに、ここが日本であることを忘れた。周辺には多くの警察官以外は私一人だ。不意打ちに似た恐怖を感じ、静かにその場を後にした。
 「二・二六」の痕跡を探す中で最も当時の雰囲気を感じたのは、この一時だった。


◇   ◇   ◇

 東京都小金井市の「江戸東京たてもの園」を訪れた。ここには二・二六事件で殺害された政治家・高橋是清邸が移築されている。そして、殺害現場となった2階寝室も見学することができる。この建物に数多くの青年将校がなだれ込んだのか。事件の現場をあらかた巡ってきたこともあってか、何ともいえない厳粛な感情が沸き上がってくる。窓ガラスは当時のまま。独特の光のうねりが歳月の流れを感じさせ、室内に独特の空気を醸し出している。
 「こわいよお」
観覧に来ていた4歳ぐらいの女の子が、ふいに部屋の隅で泣き出した。
 「大丈夫、何にもこわくないよ」
 母親らしい女性が女の子と手をつなぐと、ゆっくりと階段を下りていった。一体何がこわかったのか。子供の純粋な感性が何かを呼び寄せたのか。

移築された高橋是清邸(江戸東京たてもの園)

移築された高橋是清邸(江戸東京たてもの園)



 30分ほど滞在して玄関に戻り、表へ出た。陽射しがまぶしい。先日、東京・赤坂の高橋是清翁記念公園を散策した時とよく似た雰囲気だった。あちこちから子供たちの笑い声が聞こえてくる。
不意に「北風と太陽」の寓話を思い出した。何であろうと、激しい突風によって物事を変えることはできないのだ。ちょうど79年前の、あの雪の日のように。