たけもとのぶひろ(第58回)– 月刊極北
天皇について(9)

人間魚雷「回天」

人間魚雷「回天」

■日本人の女性的性格――元特攻隊員・上山春平先生の体験から
 前回の終わりに、日本の防衛問題について考え、上山先生の議論を紹介しました。日本文化の凹型性格からして、「力には力を」のマスラオぶりよりも、「力には悲鳴を」のタオヤメぶりのほうが似合っている、というのが主旨でした。 “タオヤメぶりの戦争” という表現からしてすでに言語矛盾ですし、そもそも日本人は戦争に向いていない、ということでした。このことがどういうことを意味しているのか、その中身をもう少し自分の身にひきよせて知りたい、と思いました。先生の前掲書に、第四章・付論「特攻隊のタオヤメぶり」という文章があるのですが、これを紹介しながら考えたいと思います。

 冒頭の問題提起は、以下の通りです。
「私が、日本人というのは、案外に、根は<女性的>な国民なのではあるまいか、と思ったのは、戦後5、6年たって、イギリスの人間魚雷の映画を見たときのことだった。
 実は、それまでにも、うすうすは感じていたのだが、そのとき、ほとんど疑いの余地はない、という確信めいた感情にとらえられた。」

 先生は人間魚雷の搭乗員を体験しておられます。その体験者の目から見て、イギリスの人間魚雷の搭乗員とその部隊はどういう印象だったのでしょうか。
 「はじめに、搭乗要員が、あちこちの部隊から訓練基地に集まってくる場面があるが、そこの様子が、まず、私たちのばあいとまったくちがう。」「(冒頭のこの場面で) “ああ、ちがうな” という感じに、まずとらえられた。」
 では、どこがどうちがったのでしょうか。

 まず、イギリスの隊員の様子を見ます(映画を見た先生の感想のぼくなりの要約です)。
 一人一人基地に集まってくる青年たちは、期待と不安とをたしかめあうように、くだけた、しかし沈痛な態度で接しあっています。彼らの様子から察するに、隊員は、一人一人みずからの心底にわだかまる複雑な情念とまともに対面するなかで、男らしい不屈の自発的精神が芽生えるのを感じとり、その自発的精神の芽生えをたがいにいつくしみあうという仕方で、そこからはじめて深い同志意識が生まれる、と確信しているようでした。そして、そういう隊員の構成する部隊であるからこそ、個々の隊員の沈着な自主的判断力と不屈の冒険精神をよりどころとして戦いを構築することができるのでありましょう。

 次に、日本の人間魚雷部隊はどのような様子でしょうか(先生ご自身の体験談です)。
「少なくとも私のいた特攻基地には、目前に死をひかえたものたちの集団に予想されるような重苦しさはほとんど感じられなかったが、イギリスの基地の様子をみているうちに、ふと、あれは一種のごまかしではなかったか、という疑問にとらえられた。」
 「目前に死をひかえたものたちの集団に予想されるような重苦しさはほとんど感じられなかった」なんて、どう考えても嘘くさい。平気なはずがないのに、平気を装う、その振りをするなんて、正直でない。そもそも形式や規則やタテマエなど外面的な命令や恫喝でもって、不屈の兵士をつくりだすなんて、そんな手品みたいなことができるわけがない
 そんな思いがあってのことでしょうか、先生は、日本軍の本質を次のように特徴づけて批判しておられます。いわく。「官僚風の紋切型とシュウトメのヨメいびりめいた風習とが奇妙に結びついた形の外見本位のカルチャー」と。

 それにひきかえ、イギリスの隊員にはごまかしがない。映画の彼らは、一人一人切り離された一個の存在として登場している。死を目の前にして唯一人であることに、だれしも平気ではいられない、悲しみは深いし堪え難い――その彼らは、それを隠さず、その自分のままで基地に集まってきて、そういう自分をなんとか一個の不屈の兵士にまで高めようとする、そしてじじつ高めてしまう。彼らにはそういう文化があるものと思われます。

 兵士および部隊にみられる、英国と日本とのあいだの違いは、人間魚雷の作戦スタイルの違いとなって現われているとして、先生は次のように説明しておられます。

 • イギリスのスタイル。「搭乗員はアクアラングを着装して水中に露出した座席にまたがり、首から上を水面に出して、時速3ノットというノロノロしたスピードで夜陰に乗じてひそかに目標に近づき、至近距離で潜航して目標の艦底に時限爆発装置をしかけた魚雷の頭部を固着させ、その頭部を切りはなして、ノロノロと母艦に引き上げる。」
 • 日本のスタイル。「搭乗員は外界からまったく遮断された魚雷の筒内に着座したまま、20ノット前後の高速で突っ走り、防潜網などは、魚雷の頭部に着装したノコギリでガリガリと引きかいて前進する」「必要な距離に接近すれば、約30ノットの全速力で目標に突入する。」日本のばあい搭乗員の帰艦は考えない。「死を決して一路敵艦に猛進し、魚雷もろとも海底のもくずと消えるのである。」

 人間魚雷作戦における日英両国の違いに関する、先生の評価は以下の通りです。
 日本のばあいは、「一見、壮烈ではあるが、」「いわばヒステリー状態の女性が刃ものを振りかざして真一文字に相手に襲いかかるようなスタイルになっている。」
 「映画で見たかぎりでは、イギリスのほうが、はるかに沈着な判断と不屈の闘志を必要とするように思われた。」

 このようにして先生は、日本人の国民性の根底にあるものとして「女性的性格」をあげたうえで、タオヤメぶりの憲法を歓迎する、と結論づけておられるのです。すなわち、
 「一般に、最も男らしい行為のように考えられている特攻のあり方に、女性的なものを感じとることを通して、私は、日本人の国民性を根底から特徴づけている女性的性格を確認せざるをえなかったのである。」「その点で、明治以来のマスラオぶりを使いはたしたすえに、おしつけられたタオヤメぶりの憲法を、ありがたいものに思っている」と。

 上記の通り、日本のお国柄が女性性にあるとすれば、そもそも戦争は似合いません。したがって、戦争をしないと誓っている現行憲法は、日本人の国民性に根ざし、日本人の国民性を反映させた、日本人にもっともふさわしい憲法だ、と言わねばなりません。