編集部便り
どうでもいいことですが……。(4)

2014年12月25日

 今シーズンの冬は例年になく出足が速いみたいで、12月の中旬、既に真冬並みの寒波が襲来してきた。しかし、東京で暮らす分には、テレビラジオがどんなにその深刻さを煽ろうが所詮は言葉の遊び、戯言である。
 東京発のテレビで、10センチの積雪の結果、道路での転倒何人、積雪絡みの交通事故何件などという報道に接すると、返って不愉快になるという雪国のヒトは少なくない。
 積雪被害に苦しむ人たちの視点に立てば、その程度を被害とは言わないし、報道の名に値しないと考えているからである。蚊に刺されて救急車を呼んだと聞けば、大抵の良識人は不快感を抱くであろう。それと同じ感覚だと思って頂ければ、当たらずとも遠からずである。
 さて、今回はそんな新潟発のどうでもいいお話だ。

 私は冬山登山で遭難の報道に接すると、これこそ天罰だ、当然の報いだと喜びを顔に隠せない雪国のヒトを知っている。火事で自分の自宅が焼けている時、火事場見物が大好きだという野次馬が喜び勇んで駆けつけて事故にあっても、家を消失した当人は、そんな野次馬に同情はしないのと同じ理屈である。
 毎年、生き死にの雪害に苦しめられ、制約された生活を強いらている私たちをよそ目に、大雪を楽しみにわざわざ遊びに駆けつけて来るとは何事だ、かかる所業は倫理道徳を弁えた人間には絶対に出来ない鬼畜のなせる技にちがいない――、と深く恨むのである。
 しかも、彼らが遭難すれば、真っ先に地元の警官や現地の救助隊が駆けつけるのが現実だ。つまり、雪害に苦しんでいる人たちの膏血がこんな所で浪費されるのである。許せないと怒るのも宜なる哉だろう。
 どら息子・尻軽女の不始末を、日々のやり繰りにも苦労している年老いた両親が、親類縁者に平身低頭、やっと借金して何とか示談に持ち込むような、そういう構図がここにもある。遊びに来る冬山遭難者を助ける予算があるのなら、日々雪害に苦しむ住民にその予算を回すのが本筋ではないかというわけだ。
 
 そんなわけで、私の実家も毎年雪には苦労させられているが、行政からは(私の知る限り)何の援助も受けていない。自分の家は自分で守るしかないのだ、それでも力及ばざれば、親類縁者に救助を頼るというのが現実である。
 今シーズン、早くもこの16日に、かかる緊急動員令が私の所にも届いた。毎年1回は実家からそんなおふれが届くけれども、年末にお声がかかるのは今シーズンが初めてである。
 小生自身の仕事の事もあり、16日に帰郷し翌日の夜には東京に戻る予定で高速バスの予約を入れていたのだけれども、結局、東京に戻れたのは18日の夜であった。高速バスのチケットは運行停止で2回も取り消され、やっと乗車できたバスも、(普段なら1時間半で済むのに)自宅から清水トンネルを通過するまでで既に約5時間を要し、都内まで計8時間の長旅であった。バスに閉じ込められる事は決して嫌いじゃないので、その点、何の文句もないとしても、スケジュールの狂いは如何ともしがたく、多いに迷惑を被ったのである。これまでにない事であった。今シーズンの今後が思いやられる次第である。

(図1) 荒涼たる雪景色と化した自宅の庭と畑

(図1) 荒涼たる雪景色と化した自宅の庭と畑

(図2) 荒涼たる雪景色と化した自宅の庭と畑、別方向を望む

(図2) 荒涼たる雪景色と化した自宅の庭と畑、別方向を望む

(図3) 屋根と梯子

(図3) 屋根と梯子

 実家の玄関先から外を移した風景と自宅の屋根に積もった雪の写真を貼付するのでご覧になって頂きたい。積雪、約1メートル20センチ。わずか二日間の雪である。(図1、2、3)参照。
 久しぶりに屋根に上っての雪との格闘はかなりの重労働で、その後、身体の節々などに痛みを生じされるのではないかと懸念していたが、まったくその兆し無し。
 2ヵ月ほど前、原因不明の高血圧で2日間ほど寝込んで以来、それまで自慢だった体力や肉体的頑健さに、多少自信を失い掛けていただけに、これがまた、かつての自信を取り戻すきっかけになってくれれば今回の雪下ろしもまんざら意味のなかったことでもないと思えるような気がしている私である。万事前向きに考えたいと思う。

(図4) 自宅の庭と畑.(14年5月4日)

(図4) 自宅の庭と畑.(14年5月4日)

 ちなみに、(図1、荒涼たる雪景色と化した自宅の庭と畑)の写真と同じアングルで写した今年5月4日の写真を貼付する。雪がいかに風景を荒涼とさせるかお分かりいただけると思う。(図4、自宅の庭と畑)。