「酒場詩人」礼賛

吉岡達也[第8回]
2014年11月17日

 晩秋である。温かな陽射しが降り注ぐ穏やかな日もある一方、だんだんと寒さが身に染みることが多くなってきた。確実に冬の気配が迫っている。
 例年、この季節になると無性に熱燗が恋しくなるのだが、現在の私自身には体調的に厳しい現実がある。前号に記した通り、強烈な痛風の発作にさいなまれており、これに伴う右腕の腱鞘炎ともども、なかなか完治しないのだ。
 少し痛みが治まるとつい気がゆるんでしまい、痛風の天敵であるアルコールに手が伸びてしまう。なにしろ長年間断なく飲み続けていたこともあって、禁酒期間を置いてようやくありつける酒は例えようのないほど美味いのだ。とりわけ、痛風の主要因とされるプリン体でおなじみのビールに至ってはその味は格別だ。そもそもビールというものは、人それぞれかもしれないが、日々飲んでいると次第に習慣化し、あたかも水を飲んでいるような感覚となり「一杯」の感慨はつい薄れがちになってしまうものだ。今更ながらに「美味いビールを飲みたければ、日にちを開けること」という鉄則に思い当たる。
 まあ、そんなこんなでついつい深酒をしてしまい、数日続けてアルコール漬けとなった際には身体の関節のどこかに例の痛みが出てきてしまうのだ。情けない話ではあるが、この繰り返しだ。痛みも2カ月に入るとさすがに懲り、一念発起して先日以降アルコール抜きの生活を開始した次第だ。
 それにしても、酒の飲めない晩秋というのは社会人になってから経験したことがなかった。自宅の冷蔵庫にはノンアルコールビールとペリエなどの炭酸水を常備し、帰宅後に酒代わりにチビチビやるのだが、これはこれで一抹の寂しさがよぎる。痛風自体、これまでの長年の不摂生がもたらしたものではあるが、私にとって唯一の息抜きの一時が取り上げられたという虚しさは隠せない。
 実は私自身、数年前から街での飲酒、よく使われる言葉でいうところの「外飲み」の機会自体がほとんどなくなっている。理由としては財政的な部分もあるが、最近は自宅での晩酌、いわゆる「内飲み」の方に魅力を感じている。その最大の理由が、BS-TBSで放映されている「吉田類の酒場放浪記」を見ながら「一杯」やるという楽しみに目覚めたことがある。
 「吉田類の酒場放浪記」は2003(平成15)年から放送開始。ナビゲーターの吉田類氏は高知県出身の俳人、イラストライター、エッセイスト。黒ずくめの服装とハンチング帽がトレードマークだ。
 この吉田氏が関東を中心に全国の大衆酒場を巡っては、訪問先の酒場の魅力を紹介しながらひたすら酔っぱらうという実にシンプルな番組なのだが、これが何ともいえず味わい深いのだ。
 よく、このたぐいのテレビ番組では、妙に評論家きどりで偉そうに酒のウンチクを語る輩が登場してうんざりさせられることが多いのだが、その点で吉田氏にはまったく気どりがない。むしろ、心に浮かんだ感想をありのままに語り、実に美味しそうに酒を飲み、周囲の客をもくつろがせていく。
 番組の中で吉田氏はありのままの自分を見せ、あたかも視聴者と一緒に飲んでいるような気分にしてくれる。「猫舌」のため熱い汁ものには苦痛に表情をゆがめ、しばしば刺身にわさびを付け過ぎては悶絶する――。吉田氏の飾りのない性格と心の温かさが番組からたっぷりと伝わってくる。そしてそれが視聴者の共感を呼び、「この酒場に自分も足を運んでみたい」と思わせる力も持ち合わせているのだ。
 「酒場放浪記」の再放送はTBSのCSチャンネルでもよく放映しているのだが、何度見ても、何ともいえず面白い。そしてまたついつい酒が飲みたくなってしまうのだ。
 私自身、唯一の「外飲み」の場は東京・神田の名店「みますや」だ。1905(明治38)年創業。入店した途端、何ともいえない穏やかな感覚がある、私にとっては単なる居酒屋の域を超えてどこか桃源郷のような場所でもある。あるとき吉田氏が「酒場放浪記」で同店を紹介し、その魅力を語っていることを知ってからは一層この店への愛着が深まったものだった。
 何よりも吉田氏に驚かされるのは、番組から伝わってくるその飲みっぷりだ。最近ではその思いが尊敬の念へと変ってきている。還暦を超えても、酒場から酒場へとひたすら飲み続けながら健康体でいられること自体、本当にうらやましいと思う。また、社会の閉塞感が日増しに高まる日本の中で自由奔放に生きるスタイルは、私にとっての理想像にも映る。
 かつて江戸期、町民の暮らしに酒はなくてはならない活力の源であったという。多くの町人は、朝仕事前に厄払いとして茶碗で「一杯」、昼休みに「一杯」、仕事を終えて湯上がりに晩酌、就寝前に「一杯」というのが一般的だった。また、帰宅途中に立ち寄る蕎麦屋での「一杯」もまた極上の楽しみだったという。いわば、吉田氏はこの江戸の活力を現代に伝える伝道師のような存在ともいえる。
 ともあれ、一刻も早く体調を戻して、「酒場詩人」吉田類氏とテレビ越しに「一杯」やりたいものだ。