たけもとのぶひろ(第39回)– 月刊極北

日本国憲法・第九条にノーベル賞を 上山春平著『憲法第九条―大東亜戦争の遺産』(明月堂書店)が参考になる(17)

今月のラッキー(恋人ピース右と。ちょっと興奮気味)

今月のラッキー
(恋人ピース右と。ちょっと興奮気味)

 2014年7月1日、自衛隊発足から60年にあたるこの日、安倍首相は歴代内閣による「専守防衛」の憲法解釈を廃棄し、新たに「集団的自衛権行使容認」の新憲法解釈を採用する閣議決定をおこないました。
 これまでの日本は、我が国が直接攻撃された場合にのみ戦う・それ以外に武器をとってはいけない「専守防衛」の考え方でした。自衛隊はあくまでも個別的自衛権を行使するための軍隊でなければならないということです。この縛りは「(9条のもとで認められる)自衛権発動の3要件」として、知られています。「①わが国に対する急迫不正の侵害があること。②この場合にこれを排除するためにほかの適当な手段がないこと。③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。」の以上がそれです。

 7月1日の閣議は、「個別的自衛権の行使」、「集団的自衛権(=他国防衛権・海外派兵)の行使」、「集団的安全保障措置(=他国制裁)への参加」__これら3種類の武力行使はすべて “ 従来のままの憲法解釈の範囲 ” で可能である(〜憲法を変えなくとも合憲である)、と決定したのでした。これには、しかし、真っ赤な大ウソがあります。従来の「自衛権発動の3要件」を葬って、新たに「武力行使の新3要件」なるものをデッチアゲているのが、それです。

 「武力行使の新3要件」を見てみます。曰く。「①我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない時に、③必要最小限度の実力を行使すること。」

 報道では、もっぱら「新3要件」と表現していますが、これだけでは3つの要件の新旧変化に問題があるかのように受け取られかねません。ここで見過ごすことができないのは、要件ではなくてテーマそのものの変化です。つまり、以前は「自衛権発動」(=個別的自衛権)を問題にしていました。その場合も、できるだけ自衛権を発動しないでも済むように3要件の制約(しばり)をかける、というのが「自衛権発動の3要件」の趣旨でした。
 ところが、今般の閣議決定のテーマは「武力行使」です。「武力行使(=戦争)」は、個別的自衛権の行使であろうが集団的自衛権の行使であろうが、あるいは集団安全保障措置への参加であっても、それらが「自衛の措置」である限り容認される__というのが議論の本質です。そして「自衛の措置」であるかどうかは、「武力行使の新3要件」をクリアしておればよい、と安倍たちは主張しているわけです。
 上記「新3要件」さえ満たしておれば武力を行使しますよ、と言わんばかりの__あえて言えば戦争肯定的な__気分なのではないでしょうか、彼らは。

 集団的自衛権の行使容認を至上命令とする安倍に、この “ワル知恵” を仕込んだ奴は誰か? 安倍が内閣法制局長官に起用した「小松一郎」(第1次安倍政権時代の外務省国際法局長)が、その人だと言われています。
朝日新聞の記事(7月3日)によると、小松は昨秋ごろ、安倍に集団的自衛権の行使を可能とする法理論を説明したと言います。小松は悪魔さながらに囁いたのでありましょう。「憲法9条は集団的自衛権の行使を禁止しているわけではない。個別的自衛権以外の「武力行使」を禁じている。だから「武力行使」の定義を変えればよいのです」と。

 「武力行使」という概念の考え方の問題だと言うのでしょう。これを、「個別的自衛権」「集団的自衛権」「集団安全保障措置」などと分けて考えている以上、「集団安全保障措置」はもとより「集団的自衛権」にも勝ち目はありません。そうではなくて、「武力行使」という概念そのものの定義を変えてしまうのです。その正当性が担保されているばあいの「武力行使」は「自衛の措置=自衛のための戦争」である、「個別的自衛権」「集団的自衛権」「集団安全保障措置」の別なく、すべてが「自衛権の行使=自衛の措置」である、と。

 このように従来の「自衛権発動の3要件」と「武力行使の新3要件」とでは、まったく根本が違います。前者は集団的自衛権の行使を封印するための、平和のための3要件ですし、後者は集団的自衛権の行使を可能にするための、戦争のための3要件ですから、方向がまったく逆です。一方は戦争にブレーキをかけていますが、他方は戦争へ向かってアクセルを踏んでいます。また一方は平和こそが憲法の規範でなければならないとしているところを、他方は戦争なくして平和はないとしており、あるべき憲法の規範は戦争にありと言わんばかりです。

 なのに、安倍は臆面もなく言い切ります。「いままでの3要件とほとんど同じ。憲法の規範性をなんら変更するものではなく、新3要件は憲法上の明確な歯止めとなっている」と。
どこが「ほとんど同じ」なのですか。まったく違うでしょう。
 旧3要件だと、「わが国に対する急迫不正の侵害がある」場合以外は「戦争をしてはならない」と単純明快です。しかし、新3要件だと、かくかくしかじかの場合は「戦争=武力行使をする」と宣言しているのです。しかも、その際の「かくかくしかじか」の要件は、「我が国の存立」および「(要は)我が国の “国益” 」が脅かされる場合です。そして後者について、くどいほどあれこれと述べ立ててあります。その文言の “解釈” さえうまくやれば武力行使は容易にできる__そういう底意があってのことではないかと憶測されます。

 単なる憶測ではありません。ある政府関係者は、こううそぶいているそうです。「要件にいくら厳しい制約をかけるようになったと見えても、表現を工夫すれば問題はない。そうすれば中東での機雷除去もできるし、我々のやりたいことはやれる」と。オマエら恥を知れ!