編集部便り

 月刊『極北』の「埋め草」のつもりの編集部便り、明月堂書店創業いらい間断なく続く「臥薪嘗胆」の日々の気持ちを少しでも紛らわすべく、「時間と空間を楽しむ哲学」などとウソブき、余裕を装っては適当にごまかすつもりで、前回から連載を予告していたのだが、この数日来のパレスチナ情勢の報道に接していると、そういう自分の存在の仕方や自分の無力さにつくづくイヤになるのであった。

 私がユダヤ人の大虐殺を知ったのは中学生の頃だったと思う。しかし私はそれを「歴史」として学んだのであった。それは現代(1960年代後半)を生きる自分にはまったく連ならない過去の出来事であった。昔のヒトはヒドい事をしたもんだ、と言う程度である。
 当時はベトナム戦争が佳境で、連日テレビのニュース番組を賑わせていたが(この頃はもう戦争もリアルタイムの中継が始まっていたと記憶する)後に「ソンミ村虐殺事件」と呼ばれる、ベトナム農民の大量虐殺など、米軍による大小さまざまな蛮行も頻繁に報道されていた。

銃殺される解放戦線兵士。私たちに義憤を喚起させた写真の一つだ

銃殺される解放戦線兵士。私たちに義憤を喚起させた写真の一つだ

 それでなくても米軍のベトナム介入に面白からぬものを感じていた中学生の私は、判官贔屓も手伝って、それらの蛮行報道に義憤を感じ、急速に南ベトナムの解放戦線を応援するようになった。

 そこでユダヤ人大虐殺と米軍の蛮行報道であるが、ここから中学生が得た教訓は以下のようなものであった。
 もし、ユダヤ人大虐殺が米軍の蛮行報道のようにリアルタイムで全世界に報道されていたら、果たして、あのような政策が続けられただろうか、もし、あの惨状がリアルタイムでベトナム戦争のようにテレビで各家庭や職場に映像で報道され続けたら、あんな事は有り得なかったのではないか、さすがに世界は黙っていなかっただろうし、人間として、我々の想像力はあの悲惨に耐えられなかったのではないか、と言うものである。
 実際、米軍の蛮行は、報道により白日の元に曝され、(特に「ソンミ村虐殺事件」では)米軍は世界中から厳しい指弾を受けるなど、報道がそれなりに抑止力として機能した事をハッキリ証明したが、これこそまさに現代の成果であって、それが歴史の進歩というものだ、報道の自由が保障され、通信手段も格段に発展し、世界中がテレビで繋がっている現代(1960年代後半)は、ユダヤ人大虐殺のようなああいう野蛮な事がまかり通った昔、歴史上の話とは全然違うのだ、現代科学と通信網の発展は野蛮時代を乗越えたのだ――。
 私は妙に納得安心し、現代に生きるありがたさをシミジミ感じたのであった。

 まったく恥ずかしい話であるが、当時、私はいわゆる右肩上がりの「発展史観」を信じるオプチミストだったし、実際、それを日常生活において実感する事も少なくなく、学校生活でも、生徒会活動、クラブ活動、つまり中学生の精神世界を含め、高度成長と大量消費、民主主義による社会正義の実現などを素直に信じていたのであった。
 だからこそ、私はベトナムへのアメリカの介入を許せなかったのであり、私が左傾にグレたのは一点アメリカのベトナム政策の責任と言っても過言ではないのである。

 とにかく、単純化して言えば、茶の間のテレビに日々大虐殺の映像がリアルタイムで入ってきたら、昔の野蛮人ならぬ現代に生きる我々は、それに耐えられない(ハズ)と言うのが、中学生以来の私の確信の一つで、その悲惨に対する想像力こそ「野蛮な昔のヒト」と「現代人」である我々を分つ重要なメルクマールのハズだったのだけれども、残念ながら人間はそんなに生易しいものでないことを、昨今のイスラエルのガザ攻撃、大量虐殺の現地生中継が証明してくれたのであった。悲惨への想像力は暴力への抑止力にまったく寄与しない事を思い知らされたのだ。(皮肉な言い方になるけれども)人間はそれが他人の苦しみである限り、どんな悲惨にも耐えられる強さを持っている――と言い改めねばならないかのようである。

 爪まで武装したイスラエルの特殊部隊による、ガザに閉じ込められた非力なその住民へのやりたい放題の大量虐殺を全世界は、昨日も今日も、プロレスの金網デスマッチを楽しむかのように茶の間で眺めていることしか出来ないでいる。
 イスラエルの空爆でガザ地区にあがる黒煙を鮮明なカラー映像でみれば、あの黒煙の下の阿鼻叫喚は容易に想像がつく筈である。にも拘らず、その想像力は大虐殺の抑止に何の力にもなっていない。テレビカメラに向かって救助を求め泣き叫ぶガザの子供達、そして乳飲み子を抱えた母親の必死の訴えも世界に対してはまったく無力なのだ。
 かつてユダヤ人の大虐殺に対して彼らの救助を求める声は国際社会でほとんど無視された。ユダヤ人の声は世界に届かなかった。
 中学生の私は、その原因を当時の通信網の不備、情報の不伝達、人権感覚の問題としてとらえ、それを克服して今の世界がある、現代があると考えてきたけれども、今回のイスラエルの蛮行とそれに対する世界の沈黙を考えると、かつての考えを改めざるを得なくなった。
 実はユダヤ人の救いを求める叫び声は当時も世界に届いていたのだ、世界中みんな知っていたのだ、ただ、誰も耳を傾けなかっただけであり、アウシュビッツが解放されたのは、彼らが叫んだからではなく、それとはまったく別の利害の論理の帰結なのではなかったのかと思えて来る。
 しかし、それを認める事は、ガザ地区の住民の悲惨も、どんなに声を大にして訴えようが誰にも届かず、唯一利害得失の論理が働く時にしか希望が見い出せないということであり、その結論はほとんど私を絶望的な気持ちにされるのである。
 私は今日(7月21日)も一日無力のまま何も出来ないでいる。
  

 追伸
 今朝、調べたい事があり、ヤフーの国語辞典にアクセスしたら、いきなり「今日のアクセスランキング」というのがあって下記のようなランキングが出ていた。
 朝っぱらからビックリするがな。

1、女性性器のしくみとはたらき。
2、かち上げ
3、ガザ地区
4、海の日
5、バイプス
6、村岡花子
7、イスラエルとハマス
8、4Kテレビ
9、奏功 

10位以下は出ていなかった。

 画面を下に動かしてゆくと今度は「新着キーワード」となり(内容省略)、その下に「今日のキーワード」というのが出てきて、やっと上記のランキングに合点が行った。

ろくでなし子
日本の女性マンガ家・芸術家。女性器をモチーフとした創作活動を行っている。2012年には、『デコまん アソコ整形漫画家が奇妙なアートを作った理由』という単行本を出版し、国内外のメディアに取り上げられ、14年5月には都内で個展を開催している。

 と出ていたからである。
 ここまで来ると私も、もう引き返せなくなってしまった。当初の調べものの事などすっかり忘れて、ろくでなし子さんの事を研究したくなり(こういう芸術家の存在を初めて知りました)あれころアクセスしているうちに今度は以下のような記事にぶつかった

〈速報〉岩井志麻子の3D女性器押収されていた
 • 2014年7月18日
 作家の岩井志麻子氏(49)が17日放送のTOKYO MXテレビ「5時に夢中!」番組内で、芸術家“ろくでなし子”こと漫画家の五十嵐恵容疑者(42)がわいせつ電磁的記録頒布の疑いで逮捕された件で、自身も思わぬ被害に遭っていることを明かした。
 五十嵐容疑者は14日、3Dプリンターで女性器の造形物を制作できるデータを頒布したとの容疑で逮捕された。五十嵐容疑者は、従来の性的タブーに疑問を投げかけるため、“ろくでなし子”の名前で自身の女性器をモチーフにした作品を制作していた。
 岩井氏は、五十嵐容疑者の逮捕直前に、自身の女性器をかたどったものを制作してもらっていたと語る。そして、「どうもあたしの……が警視庁に証拠品として押収されているらしいのよ」とぶっちゃけ、「返しなさいよ!」と訴えた。
 また、岩井氏は、自身がいわゆる“さげマン”だから、五十嵐恵容疑者が逮捕されてしまったのではないかと臆測する。「あんなもん(岩井氏の女性器型)置いていたら警視庁にもよくないこと起こるよ」と呼びかけ、再び「だから返しなさいよ」と訴えた。

 教訓、これで30分以上無駄な時間を過ごしてしまいました。ネットサーフィンに要注意!