「箱庭」余録

吉岡達也[第2回]
2014年6月18日

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 前回は、東京・大手町の眺望を「箱庭」に見立てた。実はこの巨大な都心の箱庭の一角に、何とも奇妙な模様を描いた箱庭が鎮座している。それが日比谷公園だ。
 日比谷公園は1903(明治36)年、国内最初の洋風公園として開園。今年で111年目を迎えた公園施設だ。総面積は約16万平方メートル。公園敷地は、江戸期には長州藩毛利家をはじめ、有力大名の屋敷が並んでいたが、明治期になると、陸軍近衛師団練兵場として使われていた。ある意味では、「都心究極の一等地」といえるだろう。
 公園を設計したのは、当時の東京帝国大学農科大学教授だった本多静六博士。1905(明治38)年に日本初の野外音楽堂が完成し、1923(大正12)年には大音楽堂も設置された。いわゆる「日比谷の野音」だ。戦後、公園と公園内の施設はGHQに接収されたものの、4年後の1949(昭和24)年に返還。1954(昭和29)年には大音楽堂も復旧し、その後紆余曲折を経ながら、現在に至っている。都の公園とはいえ、「スクラップ&ビルド」が大好きな開発一辺倒の周辺権力者(業者を含む)の手から、よくぞここまで守られてきたともいえる。
 日比谷公園を人体胸部図として見立てたのは、吉田修一氏の小説「パークライフ」だ。「パークライフ」は2002(平成14)年の第127回芥川賞受賞作でもある。小説の中では、公園東北部の日比谷交差点に近い心字池は「心臓」、人体胸部図の首部分の位置に当たる桜門から続くイチョウ並木は「食道」、草地広場は「胃」にたとえられている。
 さらに、公園西南側の日比谷図書館脇の中幸門は「肛門」、大音楽堂に近い雲形池が「肝臓」、日比谷通り側の第二花壇が「膵臓(すいぞう)」、日比谷公会堂は「膀胱(ぼうこう)」――といった具合だ。
 つまり、北東方向、鬼門に頭を向けて横たわる人物の胸部図が「箱庭」ということになる。さすがに、心理療法として箱庭療法を行っている際に、来談者(クライエント)によって詳細な人体解剖図が提示されたら、さすがにビビるだろうと思う。
 しかし、それにしても実に忠実に作られた人体胸部図だ。私自身、10年ほど前は会社の行き帰りは日比谷公園内を通っており、園内施設についても熟知していたので、日比谷公園を人体にたとえられると、すぐに納得がいったことを思い出す。そういえば、酔っぱらって、「食道」と「肛門」を結ぶイチョウ並木をふらついたことも1度や2度のことではない。
 実は日比谷公園設計にあたっては、本多静六博士案のほかにも、「日本園芸会」案、「公園改良取調委員会」案などさまざまな候補案があった。中でも日本建築学のトップだった辰野金吾博士案は、真ん中に広場があって、後は道が放射線状に直線の道路が7本伸びているといった極めてシンプルなものだった。しかし、さすがにこれはあまりに淡白すぎたのか、結局採用には至らなかった。一説には辰野金吾博士自身、公園設計には、当時あまりやる気が起きなかったという事情もあるようだ。
 さて、数か月前、日比谷公園を通りがかった際に、あるイベントが行われていて足を止めた。仙台市主催による「仙台藩上屋敷」の説明サインの除幕式だった。「仙台藩祖伊達政宗終焉の地」と大書された説明板には、かつて日比谷公園の敷地に仙台藩の上屋敷があり、屈指の戦国武将として知られた伊達政宗(1567~1636)がその生涯を閉じた場所であることなどが記されている。
 伊達政宗のいた上屋敷には、徳川家康、秀忠、家光の3代将軍もしばしば訪れていたという。政宗の死後、1657(明暦3)年に死者10万人を出し、江戸城天守閣も焼失した明暦の大火(振袖火事)で伊達家上屋敷も被災し、その後現在の汐留(現在の日テレタワー周辺)に屋敷を移すまで、仙台藩の江戸の最前線拠点として存在していた。
 政宗がこの世を去ったのは1636(寛永13)年5月24日未明。死因は胃がんとみられている。享年68歳。
 説明板を読んでいるうちに、ふと、例の「人体胸部図」のことを思い出していた。稀代の武将の無念の客死と、北東枕の人体胸部図。北東といえば、鬼門だ。かつて天下を取り損ねて、さまざまな思いを胸に最期を遂げた政宗の思いが、本多博士の力を借りて、巨大なモニュメントを残したのではないか。しかも、政宗は「華やかさ」をなにより好んだ「伊達者」だ。「野音」を胸に抱え、いまも高らかに音楽を鳴らしているのではないか……などと、つい勝手な空想を膨らましてしまう。
 最後に日比谷公会堂といえば連想してしまうのは、1960(昭和35)年10月の浅沼稲次郎社会党委員長暗殺事件だ。殺人を犯した少年もまた同年11月、東京・練馬の少年鑑別所で自殺し、事件は多くの謎を残したまま、時代から消えていった。
 鮮やかな青葉に彩られた都心のオアシスも、ひとたび胸にメスを入れると、無数の過去が浮かび上がってくる。