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虚言癖の役立たずで、まともな人から相手にされない哀れな中年ニートである自分の境遇を、忙しい大学教員に転嫁し、「あんたを相手にしてやっているのは私だけだ!」「あんたの精神状態はやばい」、と泣きながら言い張る中二病オタク(Ookubo Tact)の心の叫び 仲正昌樹【第54回】 – 月刊極北

虚言癖の役立たずで、まともな人から相手にされない哀れな中年ニートである自分の境遇を、忙しい大学教員に転嫁し、「あんたを相手にしてやっているのは私だけだ!」「あんたの精神状態はやばい」、と泣きながら言い張る中二病オタク(Ookubo Tact)の心の叫び


仲正昌樹[第54回]
2018年3月16日
[1]
仲正昌樹氏

仲正昌樹氏

 タイトルの通りである。ここ数回、山川賢一などの「反ポモ」ツイートに便乗して、私の悪口を執拗に言い続ける、中二病オタク(Ookubo Tact)は、どこからひねり出してきたのかにわかには理解できない、突飛な妄想を急に口にする。自分や(反ポモと思い込みだけで繋がった)“お仲間”が一方的に私に対する中傷誹謗――私の学者としての資質とか精神状態を疑わせるよう印象付ける悪質な内容――を始めたにもかかわらず、そのことをすっかり忘れてしまう。彼らの誹謗に対して私がこの連載で反撃すると、「仲正氏の中傷誹謗はひどい」とツブヤク。あるいは、「これが誹謗中傷だと思うとしたら、仲正氏の精神状態を本当に心配します」、などと開き直る。無茶苦茶な悪口を言っておいて、相手が怒ると、「~氏の精神状態を本気で心配します」、と冷静ぶって、あたかも相手の方が正気を失っているかのように見せかけて話をうやむやにするのは、悪質なツイッタラーがよく使う手口である。
 前々回述べたように、この中二病オタクは個体識別能力に問題があるようで、どう考えても私の発言ではなく、(彼から見て私と密接な関係があるらしい)別人が発言したことを私の発言と見なしたり、私の能力とか経歴、性格について、何を根拠にしたのか分からない変な断言をしたりする。一カ月くらい前、以下のような一連のツイートをしている。

①仲正氏は命題論理の上に述語論理があって、述語論理が1階、2階と上がっていくということを無視していますね。 またユークリッド幾何学などでは不完全定理が成立しないことも無視していますし。 現代思想的界隈では、そんなことはどうでもいいんでしょうけど

②「ソーカルのラカン批判」に対して仲正氏がラカンを擁護している件ですけど、仲正氏はラカンについて知らないんだと思うのです。 デリダなどの解説書を書いているから、意外かもしれないですけど、

③ラカンが無理数と虚数をごちゃ混ぜにしているのは、ラカン理論が好きな人達では常識だった可能性が・・・。 ソーカルの偉いところは「王様は裸だ!」と大声を出したこと

④仲正昌樹氏の変なところは、現代思想の解説書をたくさん出しているのに、現代思想で頻繁に出てくる数学や物理学をことごとく無視して解説しているところ。そこは仲正氏の良いところだと思っているのに、ソーカル&ブリクモンを生理的に激しく嫌悪している。なぜだろう?

 先ず、①について。前々回も述べたように、私はユークリッド幾何学と、“不完全定理”――正しくは不完全性定理――を結び付ける話などしたことがない。この男は東浩紀氏の「ソルジェニーツィン試論」の引用文献の中に出てくるユークリッド幾何学に関する記述に関して、見当外れな言いがかりをつけており、そのことを言っているのだろうが、どうして主語が「仲正氏」になるのか、理解できない。本人の中では、東を仲正に置き換えても、話が成り立つようなのだが、個体識別ができない、幼児のような思考をしているとしか思えない。幼児だと、同じようなタイプの大人を一括りにして、Aさんのやったことの責任を、Aさんとよく似ている、あるいは共通性があるように見えるBさんに対して追及することがよくある。ついでに細かいことを言っておくと、「命題論理の上に述語論理がある」というのは、どういう意味だろう?恐らく、論理学の基礎を勉強したことがなくて、孫引きで適当なことを言っているのだろう。「ポモは非科学的、反数学的!」と呪文のように叫んでいる輩には、数学や自然科学についてうろ覚えで適当なことを言っている者が少なくない。中二病は、自分でもよく理解できないソーカルやピンカーのポモ批判を鵜呑みにして、ポモ批判を続けている山川――山川は自然科学や数学については、高校生レベルの知識もあるかどうか怪しいことが既に明らかになっている――の言い分を無条件に信じているようだが、彼の数学や自然科学についての基礎知識はそれ以下ということだろう。
 ②については、何をもってそう思い込んだのかよく分からない。私はラカンを専門的に研究しているわけではないが、ラカンの、特に中期の理論は、現代思想の教科書的な基礎知識のようなものなので、それなりに知っているし、いろんなところで文脈上の必要に応じて、ラカン理論についての簡潔な説明のようなことを書いている。中学生並みの国語力もないために、デリダもフーコーもラカンを邦訳で読んでも、何がテーマなのかさえ理解できない中二病とか山川ブラザーズのような輩に、ラカンを知らない人呼ばわりされる覚えはない。
 恐らく、③の雑な推測に基づいて、逆算的に「仲正はラカンを知らない」ということにして辻褄を合わせようとしたのだろう。だとすると、彼の推論する能力はかなり壊れている。ラカンの専門家でなくても、ラカンを勉強したことがある人なら、彼が数学のアナロジーを好んで使っていることは知っている。しかし、オタクが④で言っているように、頻繁に出てくるわけではないし、物理学は少なくともラカンに関してはあまり関係がない。数学のアナロジーも、ラカンをちゃんと勉強した人なら、どういう意味か分かる程度のものである。「無理数」と「虚数」をごっちゃにしているというのは、『セミネール』のテクストのある箇所(一か所)について、ソーカル+ブリクモンが指摘していることだが、これは本当に混同しているのかテクストを見る限り、怪しい。このことは連載四十四~四十六回 [2]で原文に基づいて細かく指摘したのだが、中二病はそれを全く理解せず、その逆に、ラカンがその“混同”をあっちこっちでやっていると思い込んでしまった。この男は、自分に納得がいくような辻褄合わせをすると、それが真実になってしまうようである。
 多分、[物理学者であるソーカル+ブリクモンが数学の初歩に関して嘘を言うはずがない⇀ラカンは同じ間違いを何度もしているはず⇀それをラカンの専門家が知らないはずはない⇀仲正はラカンを知らない⇀ラカンを知らないのに、ソーカル+ブリクモンを批判するのか彼らを毛嫌いしているからだ⇀仲正は数学や物理学を毛嫌いしている⇀だからユークリッド幾何学の件で東を擁護している⇀仲正は、不完全性定理がユークリッド幾何学に適応できないということを無視している(らしい)]、というように飛躍した、辻褄合わせの推論を重ねたのだろう。自分の頭の中だけで想像するのは勝手だが、その想像がいつのまにか疑いようのない“真実”になってしまい、公言してしまうとすれば、正気ではない。
 中二病はこの他、私には「語学しか取り柄がない」と何度か決めつけていたが、語学しか取り柄のない人間が、大学で政治思想史や応用倫理学を教えたり、専門的な論文を書いたりすることができるとでも思っているのだろうか。私はその他にもいろいろな仕事・活動で忙しいのだが、そんなことは明月堂書店のHPを見ただけでも多少は察せられるはずである。私は一日中、思い込みだらけの恥ずかしいツイートを、人目もはばからず続けている中二病のような暇人ではない。中二病には、自分に都合の悪いことは目に入らないのだろう。しかも、中二病の一連ツイートからすると、彼は、この連載が私の社会的活動の全てであり、他に表現媒体を持っておらず、社会的に孤立し、精神的に危ない状態にある、と思い込んでいるようである。どうしてそう思えてしまうのだろうか?彼にとっては、自分の眼に入ること、自分は関心を持てることだけが、世界の「全て」なのだろうか?恐らく、仲正も自分と同じくらい役立たずで、孤立していると思うことで、安心したいのだろう。そうでないと、彼の断定は説明できない。
 更に言うと、中二病は、私がこの連載で山川等の杜撰な発言の問題点を指摘したことについて、「まるで、ガリ勉の子供が喧嘩に負けて、真っ赤になって泣きそうになって叫んでいるようだ。可哀そう」、という、断定的な評価をしたがる。学者や知識人が無礼な発言に対して、「いい加減にしろ!」、と怒ったら、泣きそうな顔をしていることになってしまうのか?どうしてこういう想像が働き、それが“真実”になってしまうのか理解しにくい。一番分かりやすい説明は、彼自身がしょっちゅう喧嘩に負けて悔し涙を流している弱虫であり、かつ、学者に対してコンプレックスがある、ということだろう。また、中二病はやたらと、「仲正氏の心の叫びだ!」、といって私をからかいたがるが、どうしてバカの言いがかりに対して腹を立てることが、「心の叫び」になるのだろう。多分、彼自身、いろいろな「心の叫び」を抱えているのだろう。
そういう風に考えると、彼が私や東氏についてほとんどまともな情報を持っていないにもかかわらず、いろいろ断言したがる理由がそれなりに納得できる。今回の長めのタイトルは、そうした私の推論に基づいている。これもそれほど明確な証拠に基づいた推論ではないが、中二病の「仲正はラカンを知らない」とか「仲正は泣きそうだ」「仲正は語学しか取り柄がない」「ラカン専門家はラカンが無理数と虚数を区別できないことを知っている」、のような事実とかけ離れたな妄想よりはずっと説得力があるだろう。
 頭の中のでの勝手な想像が“真実”になるということで言うと、奈良大の自称社会学者尾上正人もまたまた、かなりひどい、もはやマジで廃人というしかない思い込みツイートをしている。最近、朝日の文化面に、マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』がブームになっていることについて解説する千葉雅也氏の記事が掲載された。それについて奈良大の恥は以下のようにツイートしている。

哲学に現代の不安を託す 『なぜ世界は存在しないのか』に反響 寄稿、哲学者・千葉雅也 「ドゥルーズやデリダらポスト構造主義の哲学者…見ようによって『どうにでも言える』という相対主義ではないか、との批判も向けられた」 そろそろ千葉さんポモ辞めるってよ(笑)

千葉雅也もポモ教会を脱会する準備始めたみたいよ(私の熱意ある説得工作が奏功したかw)…あとに残るはこじらせ中高年ポモのみ。チーン

 千葉氏の元の記事を見れば、一目瞭然だが、自称社会学者が引用している部分だけでも、普通の国語力のある人が読めば、千葉氏がドゥルーズやデリダが無価値だから捨てるなどと言っていないことは分かるはずだ。そもそもドゥルーズやガタリの脱構造主義的な議論と、最近千葉氏が関心を寄せているメイヤスーやガブリエルは仕事の領域が全く異なる。物理学をベースにした科学哲学考察に力を入れていた哲学者が、生命倫理や工業倫理に研究関心の重点を移したからといって、前者を捨てたということにはならない。そんなのは、(まともに勉強している)大学一年生でも分かることだ。しかも、「私の熱意ある説得工作が奏功したか」などと、恥ずかしげもなく言ってのける感覚が信じられない。ほとんど無名で、一般ツイッタラーと大差ない自分が、千葉氏に影響を与えた、と思えてしまうのだからすごい。年寄りの引退しかかっている文系学者に、最近売れっ子の同業者的な人の名前を挙げて、「僕の鋭い批判を受けて、〇〇君は意見を変えざるをえなくなったんだよ!」、という調子で独りよがりの“手柄話”をしたがる輩がいるが、それと同じ類の発言である。
「あとに残るはこじらせ中高年ポモ」というのは私に対する揶揄のつもりなのだろうが、この男は、中二病ニートと同様に、私が一般に「ポストモダン」系とされる思想家の解説以外にもいろんな仕事をしていることを知らないし、そういう情報が入ってきてもシャットアウトしてしまうのだろう。繰り返しになるが、学者としてのまともな仕事もせず、一日中妄想ツイートをしていられるこの男のように、私はヒマではない。毎日いろんな原稿を並行して書き進めないといけないし、トークイベント的なものの打ち合わせもある。こじらせた中高年は、どっちだろう。ごく普通に考えれば、孤独を紛らわせるために、意味もなく私に粘着し続ける自称社会学者や中二病の方だろう。


kanren