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「箱庭」を眺めながら 吉岡達也【第1回】– 月刊極北

「箱庭」を眺めながら

吉岡達也[第1回]
2014年6月18日
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 東京・大手町。勤務先の高層ビルの喫煙スペースからは、贅沢にも都心の大パノラマを楽しむことができる。窓の手前には皇居の鮮やかな新緑が広がり、向かって右側から最高裁判所、国会議事堂、桜田門、霞が関ビル、法務省、日比谷図書館といった歴史的建造物がずらりと並ぶ。皇居の緑の回廊は、開園から今年で111年目を迎えた近代西洋公園・日比谷公園へと連なり、左側の再開発が進む摩天楼へ吸い込まれていく。景観の左右を均等分割するように、内堀通りが東京タワーに向けてまっすぐ伸びている。ここが私にとってお気に入りの場所だ。
 1590年に江戸に入った徳川家康が、この鳥瞰(ちょうかん)で城下を眺めていたら、一体どんな城内整備を進めていったのかなどと、ふと考える。当時、新幕府の有力な候補地は、江戸ではなく小田原や鎌倉だったという。この中から辺境の地であった江戸を幕府の地として選んだ理由は定かではない。一説には室町期に江戸城を築いた武将・太田道灌が風水学に秀でており、理想的な居館の地として選んだ史実を家康自身が知っていたこと、また、家康の側近中の側近として知られた天台宗の大僧正・天海僧正が江戸を易学上の最適地と助言したことなどが決め手となったとされている。
 ともあれ、天下人すら見ることのできなかった城下の全体像を、ぼんやりと煙草をくゆらしながら眺めることができるだけで、何ともいえない充実感を感じてしまうから不思議だ。
 しかし、ここからの眺めは、他の地方都市や行楽地でお目にかかるような、どの風景とも違うのだ。何ともあっけらかんとしている。同時に、登場人物が見当たらないような空虚感もある。豊かな自然が残されているにもかかわらず、どこか人工的でよそよそしい。しばらく眺めているうちに、景観全体が窓枠に縁取られた小さな箱庭のように思えてきた。
 箱庭というと、心理療法「箱庭療法」を連想してしまう人も多いことだろう。来談者(クライエント)に、砂の入った箱とミニチュアを自由に配置してもらうことで、心のイメージを表現してもらうというものだ。日本ではおよそ半世紀前、ユング研究の第一人者であった河合隼雄氏が紹介し、その後一気に研究が進んだ。言葉ではなかなか表現できない抽象的なことを表現できるということが、心理療法としての特徴とされている。とりわけ日本では元々、盆の上に石を並べ、景色を表現する盆石などがあるなど、文化的土壌としても箱庭療法が根付きやすかったようだ。
 それにしてもこの「都心の箱庭」は、実にクールだ。あっけらかんと時の権力者を迎え、そしてあっけらかんと外へ送り出していく。思えば、太田道灌がこの地で勢力を伸ばした室町期から数えて500年以上にわたって、この地を舞台にあらゆる権力闘争が繰り広げられてきた。もっとも、「都心の箱庭」は単に場所を貸しているにすぎない。時代が変わり、主役が交代しても、またクールに権力者を迎えるのだ。こうして考えていくと、日ごろ新聞やテレビなどで伝えられているさまざまなニュースに対して、いちいち一喜一憂しないようになってくるから不思議だ。
 しかし、裏を返せば、そんな特別な舞台を維持していることが、江戸~東京のすごみでもある。さらに、この土地の持つ特質をかぎつけたうえで、居を定め、強固な権力基盤をつくっていったということを考えると、家康は実に眼力のある人物であったともいえる。1923年の関東大震災、1945年の東京空襲とその復興施策によって、東京も大きくその姿を変えてきたかに思えるものの、結局は家康の作った箱庭の中で踊らされている感がある。
 ちなみに大手町・喫煙コーナーから見える「都心の箱庭」をごく主観的に分析してみる。箱庭の中心部分を内堀通りで分割した、いわゆる「世界の分割」は登校拒否、出社拒否といった何らかの恐怖心を心に持った人によく現れる主題だという。分割したうち、左側にある高層ビル街は外界からの巨大な力であり、右側の皇居の緑に囲まれた地域については、さながら置かれている状況から自分を守りたいという意識の表れとみることができる。
 ……こうして見てくると、この景観を好んでいる私自身が実は分析されているような、妙な気分になる。
 最後にこの「都心の箱庭」。一見無味乾燥に思えるが、日没を迎えると、真ん中を貫く内堀通りの車列のバックライトがさながら血液のように流れるのが眺められる。東京タワーは国民的行事のたびに照明の色を変え、イベントの盛り上げに一役買っている。まもなく開催されるサッカーW杯の期間中は日本選手のユニホームカラーに合わせて青く灯されるのだろう――。ふと我に返り、窓枠に囲まれた箱庭の中にも無数の命が息づいていることに気付かされるのだ。


吉岡達也(よしおか・たつや) 評論家、ジャーナリスト。
1964年、宮城県出身。筑波大学大学院修了(専攻・民事訴訟法、紛争処理法)。毎日新聞記者、NHK記者、住宅新報編集長を歴任。バブル経済崩壊後の都市問題などを主なテーマとして取材。現在は労働関係、とりわけ非正規労働問題に関心を持ち、取材活動を続けている。趣味のカメラに関する著作も多く、「野田康司のカメラ四谷怪談」(東京キララ社)、「銀座・三共カメラの歩み」(同)などがある。