- 明月堂書店 - http://meigetu.net -

日本国憲法・第九条にノーベル賞を 上山春平著『憲法第九条―大東亜戦争の遺産』(明月堂書店)が参考になる(3) たけもとのぶひろ【第25回】– 月刊極北

日本国憲法・第九条にノーベル賞を 上山春平著『憲法第九条―大東亜戦争の遺産』(明月堂書店)が参考になる(3)

たけもとのぶひろ[第24回]
2014年5月3日
[1]

今月のラッキー

今月のラッキー

 憲法9条というのは、「戦争の放棄」「戦力の不所持」「交戦権の放棄」をうたい、再び同じ過ちを犯すことがないよう「平和国家たれ」と戒める、そういう条文です。
 この9条を盾にとって日本は、これまでなんとか直接には戦火を交えずに凌いできました。とはいえ、米軍の戦争でもうけさせてもらったり、米軍に後方基地を提供したり、挙げ句は補助的軍隊として自衛隊を出動させたり、事実上は戦争に加担してきたも同然なのですから、胸を張って “平和憲法を護持してきた” と言い切れない後ろめたさを覚えます。

 とはいえ、憲法施行後70年近くものあいだ、戦争で人を殺したり殺されたりしていない不戦の実績は――とりわけ年がら年中世界中で人を殺しまくっている米国とか、自国の少数異民族を殺しまくって彼らの土地に漢民族を植民させている中国とか、これらの戦争国家の罪悪と比べるとき――それなりに重いものがあるし、その重さは9条があってのものではないでしょうか。

 ところが、誰がどう見ても、今の日本はおかしい。もちろん、中国も北朝鮮も韓国だっておかしくないはずがない。どこの国も国益、国益と言い募ることで、単に醜いだけのナショナル・エゴイズムを焚きつけています。それも、まだまだこれからが本番のようで、どんどん薪を積み上げています。
何かに魅入られているかのように、あるいは何かに憑かれたかのように、日本政府は、なり振り構わず、なにがなんでも戦争に突っ込もうとしています。そして国民の多くが、何でもありの政府のやり口を心配しています。東アジアの緊張が発火点へ向かってヒートアップし、そのままずるずると戦火の中へと引きずり込まれるのではないか、と。ぼくなんかは、安倍晋三がかつての近衛文麿の轍を踏むのじゃないか、とそれが心配です。

 これが日本をとりまく現実です。しかしながら、日本は断じて戦争に巻き込まれるわけにはいきません。いわんや、こちらから戦争をしかけるなど、もってのほかです。
それにしても、憲法9条という、いわば “不戦の盾” だけで戦争を防ぐことができるでしょうか。必ずしも「不戦=平和」というふうにはいかないというのが歴史の教訓です。
 すなわち、9条は平和のための必要条件ではあっても、それ以上のものではない。十分条件たりえていないということです。

 憲法は――というか憲法原文執筆者は、このことをもとより承知しており、憲法前文の第二段落のなかでその論理を展開しています。以下に、その当該部分の英語原文と邦訳を紹介し、必要最低限のコメントを加えます。詳しくは、上山春平先生の前掲書 [2]「解題」で論じたので、その方をみてください。まず原文から。

, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
 そして邦訳。「(日本国民は)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

邦訳「~に信頼して」の部分は、翻訳者が本当の意味をそのまま伝えることを躊躇ったのではないかと疑われます。喉につっかえるようなこの表現は、あまりにも曖昧かつ不自然と思うのですが、いかがでしょうか。
 原文の「trusting in~」は「~に頼る・任せる・委ねる」です。ちなみにtrusteeshipという単語があって、国際連盟においては「委任統治」、国際連合のばあいは「信託統治」を意味する、と辞書にあります。

 また余談ですが、 the peace-loving peoples of the world 平和愛好国民とは、もちろん米英中ソなど連合国united nationsの自画自賛です(これとは対照的に、日本やドイツなど枢軸国は好戦国と呼ばれています)。さらにunited nations は「連合国」であると同時に「国際連合=国連」でもあります。この同語異訳のなかに、枢軸国を排除した「国連」の生い立ちが暗に示されています。

 以上をふまえたうえで、上記の「憲法前文」部分の趣旨を敷衍して述べるとこうなります。
 すなわち、“ 日本国民は、平和愛好国=連合国の人々の公正と信義を信じて、わが国民の安全と生存を彼らに委ねよう、と決意した。彼らに頼んで日本の平和と安全を保障してもらおう、と決意した “ ということです。
 つまり、日本国憲法は、その前文においてこのように「国連依存による安全保障」方式を掲げておいて、そのうえで第9条において「戦争放棄」をうたいあげる――こういう構造になっている、と言えましょう。

 戦後の新生日本は、国際政治機構のメンバー国となることによって、主権の主要部分――平和と安全に関わる部分――を当該国際政治機構に任せる、したがって日本は戦争も戦力も交戦権も必要としない。これが、憲法の前文および9条の宣言です。
 ただ、惜しむらくは、この「平和の論理」がただの言葉だけの、あるいは建前上の “理想” にとどまった、とどまらざるをえなかった、ということではないでしょうか。


>>日本国憲法・第九条にノーベル賞を 上山春平著『憲法第九条―大東亜戦争の遺産』(明月堂書店)が参考になる(4) [3]